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大田俊寛『グノーシス主義の思想/〈父〉というフィクション』

☆mediopos2996  2023.1.30

グノーシス主義は
とくにキリスト教を
そしてキリスト・イエスについて
問い直すときに
かならずその前に現れてくる鏡のようだ

グノーシス主義の起源については
さまざまな見解があるが
それについては本書がとっているように
キリスト教とされるものの成立の過程
とくに二世紀の前半から半ば頃に生まれた
そう捉えるのが適切ではないかと思われる

とはいえその当時はまだ
キリスト教も明確な形をとろうとする過程にあり
グノーシス主義者も当時はみずからを
キリスト教と自称していたこともあって
両者は多くの前提を共有している宗教だった

とはいえグノーシス主義のもつ多様な要素のなかには
キリスト教がキリスト教として成立するまえの
プラトン主義的形而上学をはじめとする
諸思想が批判的にせよ多様なかたちで含まれていることから
その成立をキリスト教以前からとされることもある

しかしあらためてグノーシス主義に照らしながら
キリスト教について見ていくと
キリスト教とはなんと謎多き宗教であるかと思わざるをえない

ある意味でこの地上世界の現実を見据えてみると
この地上世界を作ったとされる存在があるとすれば
それは決してほんらいの根源的な神であるとは思えなくなる

その意味でグノーシス主義の説くように
「父なる神は「鏡」として存在しており、
それ自体を認識することができない。
父なる神からは、鏡のなかに束の間に浮かび上がる
仮初めの像のように、
見せかけの姿を呈した数多くの神々が流出し、
そして彼らは、可視的世界において
さまざまな交流と相克を展開し続ける」
としてとらえるほうが物語としても理解しやすい

そして「真実の神とは「虚無の深淵」であるという、
ある種の「無神論」と言っても良い認識に到達し」
「この世は「見せかけ」によって支配され、
人は「見せかけ」に支えられて生き」
て人はそのような「虚構の人格」を
みずからの鏡としながら生きていると

キリスト教が異端審問までしながら
グノーシス主義的なものと闘争を繰り広げてきたのは
ある意味そうした「虚無」へとむかいかねないものを
徹底的に排する必要があったからなのだろう

キリスト・イエスは決して「虚構の人格」ではなく
人として生まれた神でもある人格であり
それを精霊を含む三位一体としての教義を
つくりあげる必要があったのだといえる

そうしたキリスト教的な教義の背景には
ほんらいの神秘学的な秘儀があり
その衝動からそうした教義が
矛盾のなかから生まれてきたのだろうが
地球のそして人間の進化のプロセスには
グノーシス主義的なものさえでてこざるをえない
さまざまな潮流があるのは確かのように思える

そしてキリスト・イエスだけが
その要になるとはかぎらないのだろうが
その「生きた人格」が最重要な鍵であることは
神秘学的な視点からは確かのようだ

しかし異端としてのグノーシス主義は
決して剣をもたらしはしなかったが
聖書にあるように
キリスト・イエスは平和ではなく
剣をもたらすために来たともいわれる

そんな矛盾に満ちたこの世を生きることは
やはりなかなかに難しい

■大田俊寛『グノーシス主義の思想/〈父〉というフィクション』
 (春秋社 2023/1)

(「序章」より)

「一般にグノーシス主義は、キリスト教の「異端」として知られている。そして「異端」としてのグノーシス主義は、歴史のある時点において、キリスト教「正統派」からの徹底した排斥の対象となった。しばしば誤解されがちな点であるが、グノーシス主義の最盛期にあたる二〜三世紀においては、「正統派」のキリスト教もまたローマ帝国からの迫害を被る少数派の宗教にすぎなかったため、中世の異端審問やアルビジョア十字軍に見られるように、キリスト教「正統派」がグノーシス主義という「異端」を暴力的に排斥する、という事態が発生したわけではない。しかし、後のキリスト教がローマ帝国の国教となり、さらには中世ヨーロッパ社会における根幹的地位を占めるようになると、グノーシス主義的な思想を記した文書に対する漸次的な廃絶が図られたということは、ほとんど疑いの余地がない。その証拠の一つとして、厳密な意味において「グノーシス主義の原文」(グノーシス主義者が自ら書き記したもの)と呼びうるものは、今日においてはほとんど存在していないとさえ言うことができるのである。」

「現時点においてグノーシス主義を研究する際に、最重要となる資料がナグ・ハマディ文書であることは否定できない。この写本は、一九四五年、エジプトのナイル川流域に存在するナグ・ハマディという町の近郊で、偶然発見された(・・・)
 全一三巻、五二文書からなるコーデックス(冊子本)型式のコプト語写本集であり、プラトン『国家』の断片等の文書をも含むものの、そこに収められたテキストの大半が、グノーシス主義の思想的性質を示している。(・・・)
 ナグ・ハマディ文書に関して特筆すべきことは、その量の膨大さと、内容の多様さである。三つの写本が収められている『ヨハネのアポクリュフォン』のように、いくつかのテキストには重複が見られるが、そこにはおよそ四〇に上る種類のさまざまなグノーシス文書が収録されている。そしてその大半は、旧約の族長や預言者、あるいは新約の使徒の名前が冠せられ、グノーシス主義的な視点から聖書の物語を再解釈したテキスト群によって構成される。」

「グノーシス主義は、歴史の全体を見渡してみても、かなり特異な部類に入る宗教思想運動である。本書では、可能な限りあらゆる先入見を排し、その思想の特質について始めから考え直すことを目的としている。全体的な指針としては、グノーシス主義という思想が超越的な「父」の存在を希求していたこと、さらには「父」の機能について明確に分析しようとしたこと、しかし逆説的にも、それゆえに持続的な思想運動を形成しえなかったということを跡づけてゆくことにしたい。」

(「第1章 グノーシス主義前史」より)

「グノーシス主義は、プラトン主義的形而上学、ストア主義的自然学、混淆主義的変身譚を内部に取り込み、それらの要素を縦横に紡ぐことによって物語を構築しながら、同時に、それらすべての反逆するという「離れ業」をやってのけた(・・・)。」

「グノーシス主義は、このような思想的潮流が相互に蠢きあう世界に登場した。古代末期の世界では、失われた「父」の姿、そして、失われた「わたし」の姿を見出そうとする、さまざまな思想的試みが繰り返されていたわけである。」

(「第2章 二つのグノーシス神話」より)

「広い意味において「グノーシス主義」の思想圏に含まれる神話や教説を数え上げてゆくと、その数はきわめて膨大なものになる。ここではそのなかから、ヘルメス選集の冒頭に収録された『ポイマンドレース』と、ナグ・ハマディ文書に三つ、ベルリン写本に一つの写本が遺されている『ヨハネのアポクリュフォン』を取り上げることにしたい。」

「その描かれ方にはさまざまなヴァリエーションが存在するものの、グノーシス主義の諸神話においては、「自分自身を知る」際に発生する両義的な効果が、優れて中心的な役割を果たしている。その特質は、まさに「認識(グノーシス)主義」という名にふさわしいものと言えよう。知的認識が持つ両義性こそが、人間の二重性や世界の二重性を生み出す原因となり、こうして現れた二種類の存在者のあいだに抗争が開かれることによって、その物語は複雑な展開をたどることになるのである。」

(「第3章 鏡の認識」より)

「グノーシス主義の思想が示しているのは、自分自身を知るということが、実に終わりのない変転の過程である、ということにあると思われる。鏡を見ることにとって自分自身を知ることは、知的な自己同一性を獲得させるものであるとともに、見られる自己の発見、感性的主体の発見、性的主体の発見と同義であり、主体は自己を知ることによって、逆説的にも他者の欲望のネットワークへと常に譲り渡されてゆく。人間は、自己認識にまつわる両義性のダイナミズムに引き裂かれたまま生きてゆかざるをえず、その過程で「わたしとは誰か」という問いに最終的な答えが与えられることはない。また同時に、他者との関わりが完全に安定したものになるということもない。(・・・)

 グノーシス主義の世界観が全体として提示しているのは、人と人とが完全には分かり合えないということ、人と人のあいだには鏡に映ったイメージが、表象という媒介物が差し挟まざるをえないということ、しかしむしろ、自己と他者とのあいだにそのような疎隔が存在し続けるからこそ、そこに豊穣な人間的交流の空間が開かれる、ということにあると思われる。精神分析が語るように、鏡とは他者性の隠喩に他ならず、人間はそこに映る自己の姿を見つめながら、他者たちのなかで生きる方途を探求し続けなければならない。

 そして、人間関係に関するこのような理解は、世界の始原を開く超越的な絶対者、すなわち「父なる神」の把握の仕方そのものに現れている。グノーシス主義によれば、父なる神は「鏡」として存在しており、それ自体を認識することができない。父なる神からは、鏡のなかに束の間に浮かび上がる仮初めの像のように、見せかけの姿を呈した数多くの神々が流出し、そして彼らは、可視的世界においてさまざまな交流と相克を展開し続けるのである。こうしてグノーシス主義は、彼らなりの仕方で、この世界にはなぜかくも多くの神々の形象が溢れかえっているのか、そしてその状況のなかで、「真実の父」の存在が見失われてしまうのかということを、明らかにしようと試みたのだった。」

(「第4章 息を吹き込まれた言葉————グノーシス主義とキリスト教」より)

「グノーシス主義とキリスト教の歴史的関係について、もちろん現時点において断定的なことは言えないのだが、私自身としては、大枠として次のように理解することができるのではないかと考えている。現在遺されている資料から判断する限りでは、グノーシス主義がその思想的輪郭を取り始めたのは、二世紀の前半から半ば頃であり、しかもそのような初期の段階においては、大半の資料は何らかの仕方で自らを「キリスト教」として位置づけている。グノーシス主義の厳密な起源がどこにあるのか、多種多様な形で存在したグノーシス主義者たちのすべてがキリスト教と接触していたのか、という問題は容易には決しがたいが、その思索が具体化される過程において、キリスト教的な要素が決定的に重要な役割を果たしたという事実自体は、否定することができないだろう。すなわちグノーシス主義は、キリスト教ときわめて密接した思想運動として成立したのである。
 その後にグノーシス主義は、キリスト教の枠内においては、主流派の地位をめぐる抗争に敗れて徐々にマイノリティ化し、「異端」として扱われるようになる一方で、その他の宗教思想のなかへと広く拡散してゆく。ヘルメス思想、マニ教、そしてマンダ教は、それぞれ「キリスト教グノーシス」の文書から影響を受けたことが認められるが、それらにおいては、本来の文書に存在していたキリスト教色が可能な限り脱色されているのである。」

「グノーシス主義の出現時期として想定される二世紀の前半から半ばの段階においては、「グノーシス主義」はもちろん「キリスト教」もまた、いまだその明確な輪郭を獲得するには至っていなかった。これら双方の思想は、自らのアイデンティティや、自宗派と他宗派の区別が定かではない渾沌とした状態のなかで盛んに活動し、相互に影響を及ぼしあったのである。そして、むしろそのような渾沌とした運動の過程において、それぞれの宗派は自らのあり方や相互の差異について徐々に認識するようになり、特にキリスト教は、長期間にわたって存続することが可能であるような宗教的形態を獲得するに至った、と考えなければならないだろう。」

「グノーシス主義とキリスト教は、その活動を開始した当初、きわめて多くの前提を共有していた。超越的な「父なる神」の存在を証し立てるという目的、そしてそのために用いられる概念的な道具立ては、ほとんどそのすべてが共通のものであったと言ってさえ過言ではないだろう。しかし両者の差異は、最初は小さな亀裂であったものが、次第に大きな裂け目となり、それぞれをまったく異なる結末へと導くことになったのである。

(・・・)

キリスト教は、古代末期に存在していたさまざまな宗教のなかでも、新しい「父」を作り上げることにもっとも成功した宗教であった。
(・・・)
 キリスト教においける「父」は、もはや家族や民族とっての「父」ではないため、彼は今や、郷土の大地に住んでいるわけではない。父なる神は、はるか天上に住まう超越的な存在なのである。その姿を人間が直接見ることはできないが、その存在を表すために、父の代理者=表象としての「子なる神」が派遣される。彼は「世を照らす光」であり、そして人々は、彼を中心として食事をともにすることによって、また犠牲として捧げられた彼の血肉を分有することによって、教会という共同体を形成することになる。
(・・・)
 人間の社会は、いつの時代も常に「虚構の人格」を中心とすることによって組織されている、そして、このような「虚構の人格」は自然的には存在しないものなので、それがあるかのように見せる「表象の仕組み」が必要とされるわけである。そしてこのような「表象の仕組み」は、時代の変化とともに常に移りゆく。(・・・)
 そしてグノーシス主義とは、時代が古代から中世へと大規模に移り変わる過程において生じた、あくまで過渡的な一現象であった。(・・・)
 グノーシス主義が「失敗」した宗教であったということ、そのことはどうしても否定することはできない。しかし、彼らの「失敗」
は、根本的に彼らが誤っていたゆえのものだったのだろうか。そうではない、と私は考える。彼らは、彼らなりの真実に確かに触れたのだ————たとえそれが、あらかじめ敗北を運命づけられた真実であったとしても。

 グノーシス主義は一方で、否定神学をその極北に至るまで推し進め、真実の神とは「虚無の深淵」であるという、ある種の「無神論」と言っても良い認識に到達した。否、それはただの「無神論」というわけではない。「深淵」は、そこからすべてのものが生み出される根源であり。そして可視的世界に現れる神々は、そのような「深淵」に映し出された束の間の見せかけにすぎないのである。そしてグノーシス主義によれば、この世は「見せかけ」によって支配され、人は「見せかけ」に支えられて生きる。「虚無の深淵」からどのような仕方で「見せかけ」の神々が生み出されるのか————その思考は、古代から中世へと至る表象の再編の過程を見つめながら、宗教や信仰それ自体の生成論とも言うべき理論的地平を開いていったのだった。

 それゆえにグノーシス主義の思考は、幾度も生滅するにもかかわらず、奇妙な仕方で幾度も回帰する。人間は「表象の仕組み」に支えられて生き続け、その再編の過程が継続する限りにおいて、特に、「虚構の人格」がわたしの姿を映し出す適切な「鏡」として機能せず、わたしとは何か、わたしを知るとはどういうことか、という問いが前景に立ち上がる時代には、再びグノーシス主義の息吹がそこに流れ込んでくることになるだろう。この伝統なき伝統、継承なき継承を、今日どのように引き受けるのかということは、現代のわれわれに委ねられた課題である。」

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