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工藤咲良『静寂なほど人生は美しい―弱視の音楽療法士が伝える「聞こえない音」の世界』

☆mediopos2832  2022.8.19

からだをもって
感覚を深めることは
なにより大切なことだ

けれど感覚を深める
ということは
感覚にとらわれる
ということではない

むしろ感覚の深みにある
感覚なくしては可能にはならない
霊性の道を歩むこと

聞こえない音を聞く
ということも
聞くことなくしては成り立たないが
聞くことにとらわれてしまうと
聞こえない音は聞けなくなってしまう

それは聞くことにかぎらない
見ることも嗅ぐことも
さわることも味わうことも
感じることもそうだ

シュタイナーは12感覚を示唆しているから
五感よりもたくさんの感覚をひとはもっている

考えるということもそうだ
考えることにとらわれると
むしろ考えることは深まらない

そうして
さまざまな感覚にとらわれず
それらを深めていくなかで
はじめて感覚の秘密が垣間見えてくる

本書を読みながらどきりとしたのは
「Ⅲ 私が歩いてきた道」にある
「私自身が、救われたことしか、
 他の人に、できないのです。」
ということばだ

「私自身が、救われ」るということは
「苦しんだ」ということにほかならない
決して「苦しむ」必要はないけれど
「共苦」ということ
パッションということがなければ
ひとがからだをもって生まれてきた
その意味を深めることはできないだろう

救われることが目的ではない
苦しみを超えて生きることで
「共苦」し得る存在になることが課題なのだ
そうでなければ生まれてきた甲斐がない

■工藤 咲良
 『静寂なほど人生は美しい
――弱視の音楽療法士が伝える「聞こえない音」の世界』
 (clover出版 2020/11)

(「はじめに」より)

「この本では、「聞こえない音を聴く」ことを通して、目に見えない世界と出会う道をお伝えします。
それは、私が音楽療法士であることに加えて、弱視という障がいをもっているからです。

私は先天性弱視で、左目の視力が0・05、右目の視力はありません。
両目とも視力は矯正不可能で、見える方の左目も、視野は下半分しかありません。

でも、生まれつきなので、私にとってはこれが当たり前。」

「人生の壁にぶつかった時、アントロポゾフィーは、私に一筋の道を開いてくれました。
「目に見えて、手で触れることのできるこの世界の後ろには、大きな、大きな、目に見えない世界(精神界)があるんだよ。」

これがシュタイナーの思想、アントロポゾフィーの考え方です。」

(「Ⅰ 聞こえない音の世界」〜「1 静けさの贈りもの」より)

「外の世界が静かになると、人の耳は、自分自身の内面へと開きます。すると、よろこびや悲しみ、せつなさや悔しさなど、いろいろな感情を感じます。心が傷ついているときには、その痛みを、もろに、感じます。
 だれでも、痛みは、感じたくないものです。
 でも、そういう、感情のトンネルの先に、聞こえない音の世界は、広がっています。
 たくさんの気づきが、まるで花びらのように風に舞う、聞こえない音の世界が。

わたしたちが、自分自身の感覚で、ものごとを感じ、心に受け止め、頭で整理する力は、まさに、静けさの中で、育まれてゆきます。
 情報の嵐にさらされることのない、静けさの中で。」

「静けさには、ストレスによって傷ついた、
 私たちの心と体を、修復する力があります。

大きな精神的ショックを受けた後に、人の心と体が、もっとも必要としているのは、できるだけ刺激の少ない、安心できる環境です。凍りついた心と体がとけて、ふたたび、ものごとを感じ、考えることができるようになるまでには、長い時間がかかります。

それは、目に見えない世界の力が、傷ついた心と体を、ていねいに、ていねいに、修復してくれる時間です。
 なにかをしたい、見たい、輝きたいと、外の世界へ心が開くのは、その後です。
 ですから、静かな時間と空間を守ることも、音楽療法士の大切な役目の一つです。

「なにも音楽をかけないこと」も、すばらしいBGMの一つです。」

(「Ⅰ 聞こえない音の世界」〜「2 聞こえない音ってどんな音?」より)

「地球をおおう大気圏の内側が、どこもかしこも、くまなく空気で満たされているように、川や海の水の中が、どこもかしこも、くまなく水で満たされているように、この宇宙は、どこもかしこも、くまなく、「音」で満たされています。

……人の耳には聞こえない音で。」

「音がない場所は、決してからっぽではありません。
 人の耳には聞こえない、豊かな輝きで、
 満たされている空間です。」

「じっと耳を澄ましていると、まるで金脈に突き当たるように、話しているその人の本来の姿、その人らしさと出会う瞬間がおとずれます。
(…)
 慣れてくると、初めてだれかと会ったとき、一瞬でその人の「響き」を聴き取れるようになります。私は、前述の通り、弱視なので、もともとこれができました。相手の容姿や表情が見えない私にとっては、この方法しか、相手を知る手がかりがなかったわけで、だから自然に身についたのでしょう。でも、ふつうに目が見える人でも、これはできるようになります。

音楽療法士養成コースの最後の一年間、私はベルリンの病院で、音楽療法士の実習生として働いていました。ときどき、指導教官のペーター先生が、私の行う療法を見学しにうやって来て、いろいろとアドヴァイスをしてくれました。

その日も、ペーター先生が見学に来て、音楽療法のセッションが終わりました。2人きりになったとき、しばらくのあいだ、だまって余韻にひたっていた先生が、ぽつりと言いました。
「まるで銀のようだね……。」
 私のクライエント(患者さん)のことを、先生は、こう表現したのです。
 それは、私が彼女に対してもっていた印象と、まったく同じものでした。その人は透き通るような肌と、ほっそりとした体つきをした、20代前半の背の高い女性でした。」

(「Ⅰ 聞こえない音の世界」〜「3 耳を澄ますことは愛の行為」より)

「聞こえない音は、良い音ばかりなの?
 悪い音を聴いてしまうことはないの?

そんな疑問をもつ人がいるかもしれませんね。
 答えは、良くも悪くもない、です。

音の世界に存在するのは、さまざまな質の音たちです。
 その「質」は、良い悪い、きれいきたない、という評価をこえたところにあります。」

「あなたが「評価」をしない限り、
 悪い音を聴いてしまうことは、ありません。

人は、心や体を病むことがあります。
 生きる苦しみから、人生の道を間違えてしまうこともあります。
 ……それでも、本来その人は、病むこともなく、けがれることもなく、本来のままの姿で、その人のたましいの奥底に眠っています。

いつか、目覚めて、ふたたび、その人の心や体と、一つになれる日を夢見て……。

私たちが、聞こえない音の世界に耳を澄ましたとき、出会うのは、眠っている本来のその人の、尊い姿です。」

(「Ⅱ 聞こえない音楽の世界」〜「1 人々の心が奏でる「聞こえない音楽」」より)

「そう、聞こえない音の響きに満たされた世界は、
 聞こえない「音楽」に満たされた世界なのです。」

「空や海、森や草原、田畑や街を、くまなく満たしている聞こえない音楽も、私たち自身の心と体に満ちる聞こえない音楽も、そして、あなたと私、人間と人間のあいだに響く聞こえない音楽も、聞こえる音楽と同じように、刻一刻と、色合いを変え、姿を変えながら、移り変わってゆきます。」

(「Ⅱ 聞こえない音楽の世界」〜「2 「間」と「余韻」の力」より)

「講演や会議などで、人々になにかを伝えるとき、一番、聴衆の印象に残るのは、聴いた話の内容以上に、「間」と「余韻」に満ちていた、話し手の残響、息づかい、、笑顔……。

——その人の存在そのものの「余韻」なのです。」

(「Ⅱ 聞こえない音楽の世界」〜「3 「心と心が奏でるアンサンブル————ただ、その一瞬の美しさを求めて」より)

「心と心が奏でるアンサンブル。

聞こえる音楽の演奏をしていなくても、
 私たちの心は、常に、ともに、
 音楽を奏でているのではないでしょうか。

聞こえない、音楽を。」

(「Ⅲ 私が歩いてきた道」〜「6 大手術——ある外科医との出会い」より)

「目に見えて、手で触れることのできる、この現実世界の中で、現実的な手の技を、磨いてゆく。その過程でこそ、人の人間性は高まり、精神性(霊性)は高まってゆくのだ……。

一人の外科医の先生が、その事実を身をもって、私に教えてくれました。」

(「Ⅲ 私が歩いてきた道」〜「8 土を耕す——違うかたちで、音楽療法のために働く」より)

「私自身が、救われたことしか、
 他の人に、できないのです。」

「この国に、独自の音楽療法が芽生えるまでには、まだまだ、長い時間がかかるでしょう。
 音楽療法が芽生え、根を張って成長してゆくことができる大地は、よく耕された、肥沃な大地です。
 そんな大地の上に築かれる社会は、きっと、ふところの深い、成熟した社会であることでしょう。

私は。その土地を耕す役目を、担おうと思っています。

この本も、そのための鍬の一振りです。」

(「あとがき 3つの出会い」より)

「私は、自分が教える立場にあるときも、決して、自分を「先生」と呼ばせません、それは、いつの日か、私が教える立場でなくなったときに、生徒さんと良き友だちになる道を、残しておきたいからです。」

「「私はプロの○○です。○○の資格をもっています。」
 そう、自己紹介をすることは、だれにでもできることです。
 でも、一言も、自分自身について語ることなく、相手の心に、それを実感させることは、ほんとうの専門家、数えきれないほどたくさんの経験を積んだ「プロ」にしか、できません。」

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