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碧海寿広『考える親鸞/「私は間違っている」から始まる思想』

☆mediopos-2559  2021.11.18

本書では特に近代以降
清沢満之から三木清・吉本隆明・鶴見俊輔まで
「親鸞」の影響を読み解きながら
とくに吉本隆明の「最後の親鸞」がクローズアップされる

吉本隆明の「親鸞」は
生半可な宗教否定論者をこそ否定しているほどの
宗教的な思惟の構造の解体としてその思想をとらえている

親鸞は自力を捨て
知識や知性がもたらす自己への執着からの解放を求め
「かぎりなく〈愚〉に近づくこと」を願ったという

それは「みんなが当たり前に信じていること」を
「それは本当だろうか」と疑い続けることでもあり
吉本隆明もまたそのような姿勢を貫いた

「疑い」はまず
「自己への疑念」から発せられるがゆえに
みずからの「知」の放棄へ
そして「愚」へと向かわざるをえない

親鸞とともに考えるということは
本書の副題にあるように
「私は間違っている」から考え始めるということだ

現代の知者ないしは知者を自認しているだろう者の多くは
「自己への懐疑」ではなく
「あなたは間違っている」の思想に呪縛されている

「自分を取り巻く世界にひたすら愚痴を吐き、
他者に向けて悪態をつき続けるだけの、
言葉の最悪の意味での「悪人」になり下がる」態度だ

悪人正機は自らを「悪」であり「愚」である
とするところからしかはじまらないのだが
「自己への懐疑」なき知者は正機し得ない悪人でしかない

さて本書の内容から少し外れるが
「懐疑(主義)」といえば
アレクサンドレイアのピュロンだが
ピュロンはアレクサンダー大王の
インド・アジア遠征に参加し
その影響から懐疑主義は生まれたようだ

インドの懐疑主義といえば
釈迦の時代の六師外道のひとりサンジャヤ
釈迦の弟子舎利弗もはじめその師のもとにいたが
釈迦のもとへと去ることになる

釈迦は死後の世界などについて言及を避け
「無記」という態度をとるが
その態度はいわば懐疑主義的な
「テトラレンマ」でもある

「テトラレンマ」とは
《Aと非Aのどちらでもない》という
《A》でも《非A》でもなく《Aかつ非A》でもない
第四の思考であるが
ピュロンはその影響を受けていたのだという

ピュロンからはじまる古代の懐疑主義は
近代的な懐疑主義が知識に対する懐疑だったのに対し
考え(信念)そのものにかかわるもので
それゆえに私たちの生き方そのものに深く関わってくる

サンジャヤからはじまり
仏陀の無記という態度にも影響し
ピュロンが影響を受けた懐疑主義的な態度は
親鸞のような「私は間違っている」という
「自己への疑念」をみずからの「知」への疑念とし
「愚」へと接近させるというものではないが
(一見それは「正しい」をAとすれば《非A》の態度だ)

親鸞が『教行信証』のように知を求め続けながら
その果てに「愚」へと肉薄していこうとしたのは
《知》でもなく
《非知》でもなく
《知かつ非知》でもなく
《知と非知のどちらでもない》
その果てに「愚」を見ていたのではないか・・・
ということで懐疑主義について少しふれてみることにした
(懐疑主義についてはあらためてとりあげることにする)

■碧海寿広『考える親鸞/「私は間違っている」から始まる思想』
  (新潮選書 新潮社 2021/10)

「(吉本隆明の親鸞論の代表作「最後の親鸞」)の大きなテーマは、宗教の解体だ。単に特定の宗教団体や信仰心を否定するのではない。親鸞思想の解読を通して、人間に本能のように備わる宗教的な思惟の構造を解体するための論理を提供しているのである。その意味で、同書は生半可な宗教否定論者こそを否定している、とも評せる。宗教を批判し、宗教から自由になった気になっている人間に、宗教的な思い込みや党派性から抜けられない者の、いかに多いことか。
 吉本によれば、いかなり自力も捨てよと説いた親鸞は、「かぎりなく〈愚〉に近づくこと」を願ったという。親鸞は、人間の知識や知性がもたらす自己への執着からの解放を求めたのである。だが、『教行信証』のような浄土教の専門書を執筆した中世の知識人である親鸞にとって、「愚」に接近するのは容易ではなかった。それゆえ、この「愚」への肉薄こそが親鸞の「最後の課題」であったと、吉本は指摘する。」

「吉本は死ぬ三ヶ月ほど前、先に逝った愛猫について、ゆっくり話をした。その話の内容をまとめた本が、彼の死後に出版されている(『フランシス子へ』)。老齢による惚けが進行し、彼の長女によれば「頭の中で自分だけの記憶が再構築されている」状態にあったというが、同書は、吉本隆明という思想家がどういう人間であったかを簡素に示唆してくれる、良書であると思う。
 前半はむろん猫の話だが、後半では親鸞についても淡々と語られる。たとえば次のように、

  親鸞の考えかた自体がもう、最初っから異端で、普通のお坊さんだったら疑いもしないことを、最初から疑っています。/修行なんて意味がないし、お経も、仏像も、どうだっていい。実証的にわかるところを信じたかっていうと、それも信じることができない。/それで親鸞はそれまで誰も行ったことがない道を行くほかなかった(中略)みんなが当たり前に信じていることを「それは本当だろうか」って疑って、最後までそれを追求し続けた。

 まわりの人々が素朴に信じていることを、ひたすら疑い、考える人。これが吉本隆明という思想家のなかに組み込まれた、親鸞の原像である。中世の僧侶である親鸞にとって、その疑いの対象は、まずもっと仏教にかかわる事物であった。だが、そうした宗教への懐疑の根本には、すべての観念や事実を「本当だろうか」と問い直す、考える人としての親鸞の性分があったはずだ。
 この親鸞に見える「本当だろうか」の思想は、吉本が生きる上でよって立つ原理でもあった。同じ本のなかで、吉本は自分の性分についても語っている。

  「いや、本当にそうか」ってことを追求していったら、なかなか断定なんてできるもんじゃない。もっと言うなら、生きるっていうのは、どっちとも言えない中間を断定できないまんま、ずっと抱えていくことじゃないか。/僕は確かにそういうものをいくつも、いくつも飽きもせずに抱えながら歩いてきた。/これは大変な荷物持ちだねって言われたら、本当にそうだと思います。/考えて考えてはいるんだけど、断定できないんだからそうするよりしょうがないんですね。

 「いや、本当にそうか」−−−−。この問いを飽くことなく繰り返し、最後まで「考えて考えて考え続け」たのが、吉本の思想家としての生涯であったと言える。その人生の過程で、彼は親鸞に出会い、親鸞について考えつづけた。親鸞を考える人の一つの模範としながら、ありとあらゆる対象について、考え続けた。
 その疑い、問い、考える人の心は、人間がやがて終わりを迎えるその日まで、終わることはないだろう。」

「自己への疑念から発する問いと思考の運動は、吉本隆明の「最後の親鸞」において臨界点に達する。自分が所持する「知」を徐々に放棄し、高僧から愚者へと自覚的に墜ちていったかのような晩年の親鸞に、吉本は、自己の構築した宗教を自ら解体する宗教家の壮絶な姿を幻視した。いったんは「知」の高みに上り詰めた人間は。「私は間違っている」と思い直し、「知」への洞察を深めながら「知」を終わらせていくという、実に入り組んだ思考の展開に、吉本は親鸞思想のほかに類をみない強さを見て取り、これを我が物にしようとした。
 誰よりもまず自分を疑い、そこから何かを考える。このような思想と行動を起こした過去の少なからぬ日本人が、親鸞と共にいた。」
「自己への懐疑は、もちろん、ときに世界への疑念や、他者への批判を伴いながら、思想の幅を拡げていく。自分と同じく間違っている世界を正し、自分と一緒に改善されるべき他者を動かすための思想の制作もまた、私たちが親鸞と共に推進しうる活動だろう。
 だが、そうした活動に際しても、徹底して自分への疑いを持ち続ける姿勢を崩さないことが、親鸞と共に考える人にとっての倫理となるべきだ。自己への懐疑を忘却し、ただ「あなたは間違っている」の思想に呪縛されたとき、人は、自分を取り巻く世界にひたすら愚痴を吐き、他者に向けて悪態をつき続けるだけの、言葉の最悪の意味での「悪人」になり下がる。そうは決してならないための倫理を体得する上で、親鸞は、今後も引き続き確かな指針を私たちに与えてくれるはずだ。」

◎目次

序章 親鸞と日本人
第一章 俗人の仏教
1非僧非俗
2魂のずっと奥のほう
第二章 「罪悪感」の思想家
1悪人正機
2煩悶と懺悔のループ
第三章 弟子として考える
1『歎異抄』
2高僧に憧れて
第四章 超越と実存のあいだ
1絶対他力
2仏は唯一と知る人よ
第五章 異端の精神史
1法難と本願寺
2或る歴史家の闘争
第六章 宗教の終焉
1自然法爾
2終わりなき思想
終章 アイ・アム・ロング

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