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スザンヌ・オサリバン『眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た』

☆mediopos-3092  2023.5.6

本書の表紙の見返しにこうある

「人間は機械ではない」

著者のスザンヌ・オサリバンは
オリヴァー・サックスの後継者として注目される脳神経科医で

二〇一七年後半「スウェーデンの謎の病」と題される
ソフィーという九歳の少女の病についての記事をきっかけに
(生気のない無反応状態に一年以上前から陥っているにもかかわらず
彼女の脳は健康で昏睡状態になっているわけではない)

こうした〈謎の病〉とされる症例の実態を
確かめるために世界各地に赴き
患者と関係者へのインタビューをもとに
地域固有の文化や社会背景を踏まえながら
〈謎〉の正体に迫ろうとする

本書で紹介されている〈謎の病〉のエピソードは以下の通り

・スウェーデンの難民家族の少女たちに広まった「あきらめ症候群」
・ニカラグアに現存する幻視や憑依を主症状とする「グリシシニクス」
・カザフスタンの鉱山町で発生した「眠り病」
・キューバ駐在のアメリカとカナダの
 外交官らが羅漢した「ハバナ症候群」
・コロンビアの女子学生たちに集団発生した「解離性発作」
・アメリカ北東部の地方都市ル・ロイと
 南米のガイアナで発生した「集団心因性疾患」
・ロンドンの病院で著者が担当した患者の「解離性発作」

著者の基本的な視点は
「私たちは文化的に形成された病の概念を身体化する。
言語の学習と同様、病のひな型を内面化し、脳にコード化するのだ。
そして引き金が引かれるとそれを身体で表現する」
というものだ

つまり精神疾患や心の病は
生物と心と社会が相互作用することで起こる

それは「生物・心理・社会モデル」によって病を理解するもので
身体性だけを問題にする生物・生物・生物モデルでも
フロイト流の心理・心理・心理モデルでも
精神科医R・D・レインらの社会・社会・社会モデルでも
精神疾患や心の病を理解することはできない

おそらくどんな病でも
生物学的な身体だけ
心理的な問題だけ
社会的な問題だけで
起こるわけではないだろうということは
常識的に考えただけでもわかるはずだが
病の原因は一側面だけに還元されがちである

〈謎の病〉とされるものの多くは
おそらく病の原因とされるものへの視点が
通常のばあい病とされているような原因に還元できない
ということにほかならない

「人間は機械ではない」から
さまざまなレベルでの影響を受けながら生きていて
その影響から発症することがあるということだ

その視点からいえば
オサリバンも指摘しているように
たとえばマスメディアによって
心身症といった症状が引き起こされることもあり
報道のなかでも著名人の発言なども大きな影響力をもつ

訳者も述べているが
「影響力の強いマスメディアこそ、
生物・心理・社会モデルの重要性を認識して、
報道の手法に反映すべきである」

現状の情報の隠蔽や歪曲を事としている
マスメディアの現状を見るにつけ
報道が直接的間接的に引き起こしているだろう病についても
検証してみる必要があるのは確かだろう

■スザンヌ・オサリバン(高橋洋訳)
 『眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た』
 (紀伊國屋書店 2023/4)

(「序 謎の病」より)

「そのできごとをニュースサイトで知ったのは二〇一七年後半のこと。「スウェーデンの謎の病」と題されたその記事は、生気のない無反応状態に一年以上前から陥っている、ソフィーという九歳の少女の話を取り上げていた。彼女は、動くことも、人と接することもできなかった。食べもしないし、目も開かない。ベッドにじと横たわっているだけで、昼夜を区別していることを示す兆候も一切見せなかった。
 (・・・)無反応にもかかわらず、臨床検査の結果では、彼女の脳は健康だった。脳スキャンは、彼女が昏睡状態にはないことを示していた。医師は何を治療すべきかわからず、彼女を家族のもとに送り返した。それから数か月、彼女はよくも悪くもならず、ただ自宅のベッドに横たわったままだった。
 見出しは、ソフィーの病がまったくの謎だと示唆しているが、記事の内容を読むと、原因は完全な未知なのではないとあった。ソフィーの家族は、難民申請者としてスウェーデンに入国していた。故国ロシアでは、家族は地元のマフィアに虐げられていた。彼女は母親が殴られ、父親が警察に逮捕されるところを目撃したことがある。ソフィーの病は、家族がロシアから逃れてスウェーデンに入国したあとで発症した。だから彼女の病が心理的要因で引き起こされたのだという医師の考えには、理由があった。
 私は神経科医として、身体に対する心の影響力についての心得がある。おそらく、多くの医師より知っているだろう。なにしろ、疾患のプロセスそれ自体ではなく心理的なメカニズムのせいで意識を失った患者を折に触れて目にしているのだから。私はこの現象を稀だとは、あるいは異常だとすら思っていない。発作を起こし、てんかんになったと思い込んで私のもとを訪れる患者の少なくとも四分の一は、解離性の、すなわち心身相関性の発作を起こしたことがやがて判明している。この割合の高さは、私のクリニックに限って見られるのではない。神経科クリニックで診察を受けた人々の三分の一までが、本質的に心身相関性と見られる医学的不調、すなわち日常生活に支障をきたすようなリアルな身体症状がありながら、特定の疾患に起因するのではなく、心理や行動に関する要因によるものとして理解できる症状がある。麻痺、視覚障害、頭痛、めまい、昏睡、震えなど、考えられるありとあらゆる症状や障害は、心身症の可能性を持っている。そして、それは単なる神経学的な現象なのではなく、麻疹、息切れ、胸の痛み、動悸、膀胱の問題、下痢、胃けいれんなど、ほぼあらゆる身体症状が心身症によって起こりうる。」

「二〇一九年、『デイリー・ミラー紙』は、「謎の病で発作を起こした少女が、目覚めるとよちよち歩きの幼児のようになった」という見出しを掲載した。これは、筋力低下と発作を起こした、リンカーンシャーの小学校に通う一〇歳の少女アリシアの話だ。問題は足の痛みからはじまり、光や音に対する過度の敏感さへと拡大していった。やがて彼女の筋力は低下し、頭を枕から持ち上げることすらできない最悪の状態に陥る。そして症状は頂点に達し、定期的に発作を起こしては、それに津付いて子どもっぽい奇妙な態度を示すようになる。(・・・)アリシアは神経科医の診察を受け、非てんかん発作(・・・)、ならびに機能性神経障害という最終的な診断を下されている。この記事を書いた記者は、あきらかにその診断を妥当な医学的疾患とみなしていなかった。というのも彼は、「医学的検査はいかなる答えも出せなかった」と書いていたからだ。」

「私はソフィーとアリシアについての記事を読んだあと、心身症や機能性障害を扱ったメディアの報告で、〈謎の病〉という言い回しがなぜここまで頻用されはじめたのか思案するようになった。」

「私の印象では、私たちは「心」に結びつけられたあらゆる病気を〈謎〉と呼びたがるのではないか。たいていの人は、落涙や赤面のようなごく普通の身体的変化と情動の結びつきに気づいているにもかかわらず、それを身体の健康と認知プロセスのあいだの極度の相互作用まで拡張しては考えない。また、脳を鍛えれば、チェスのような認知能力を要する課題やサッカーのような複雑な身体的課題を達成できることを知っているにもかかわらず、脳には技能の獲得と同程度に、技能を捨て去る能力が備わっていることをまるで想像できない人々もいる。しかし、ある一定の行動を通じて新たな技能を学べるのなら、間違いなく別の一連の行動を通じてその技能を捨て去れるはずではないか? まさにそれこそが、多くの心身症や機能障害の発症をもたらす根本的なプロセスなのである。」

「いかなる医学的問題も、生物学的側面と心理学的側面と社会的側面の複合体をなす。変化するのは、各側面の重要度のみである。たとえばがんは、心理的な負荷もあり、社会的要因や影響をともなう生物学的な疾患だ。環境が原因で発症するがんも存在する。」

「心身(psychosomatic)症は、心を意味するpsycheと、身体を意味するsomaの両方に関係する。心は脳の機能をなし、生物学的基盤から生じる。したがって心とは、デカルトが考えていたような、死ぬときに身体から離脱していく、無形の独立した実体などではない。記憶、気づき、知覚、意識はすべて、心の必須の構成要素をなし、それらのおのおのには、現時点では十分に理解されてはいないながら、何らかの測定可能な神経送還がある。だが、心に関する記述から環境を削ぎ落とすのは、健康に対する社会の影響を無視するのと同程度に愚かだと考える人も多いはずだ。」

「狭く限定された特定の地域で暮らす一六九人の子どもたちが、おそらくは心理的な理由によって昏睡状態に陥った。この事実は、一六九の脳が、たったひとつの特異で異常な様態で振る舞うよう、押したり引いたり象られたりしたことを意味する。発病者が特定の地域に限定されている点を考えると、その可能性を生んだ要因は、社会環境に内在するはずだ。
 二〇一八年、私はスウェーデンを訪れ、ソフィーと類似の状況に置かれている子どもたちに会ってきた。そして、彼女たちが経験した病のような集団発生、とりわけ小規模のコミュニティでの集団発生が、社会的要因や文化的要因が生物学的側面や心理的側面に影響を及ぼして心身症や機能障害を生んでいることについて、多くを語ってくれることに気づいた。つまりそれらの症例は、健康に影響を及ぼす社会的要因を拡大して見せてくれるルーペになる。スウェーデンへの旅は、同様に興味深い他の症例の調査につながった。たとえば、世代から世代へと物語を伝えていくことで同時に発作も受け継いでいったニカラグア移民が暮らしテキサス州の町、一〇〇人以上の住民が何日間も「原因不明の」眠りに陥ったカザフスタンの小さな町、数百人の若い女性が発作に見舞われたコロンビアの町、メディアの狂騒のせいで一六人の高校生の健康が著しく損なわれたニューヨーク州北部の町への旅などがある。世界中を駆け回り、新聞を読み漁っているうちに、私は、まったく異なる集団に関するさまざまな記述のあいだに、しかも私の患者を想い起こさせる、前代未聞の奇妙な話にさえも一貫して見出されるテーマがあることに気づいた。スウェーデンの子どもたちは、時代と場所が特定される健康危機に見舞われた唯一の集団ではない。集団心因性疾患は、一年に複数回、世界のどこかで発生している。それにもかかわらず、まったく無関係な、さまざまなコミュニティで勃発するために、ある集団で学んだ知識を他の集団に適用できないのだ。
 ソフィーは特定の集団の一員であり、そこ集団が共有しているものはすべて、昏睡状態の伝播に重要な役割を果たしているはずだ。彼女のような人々は、数十万人単位で存在する。そのなかには幸いには診断を受けられた人もいれば、医療が進歩していること、妥当な説明があること、さらに重要な点として、探せば支援を得られることを知らずに、〈謎の病〉というレッテルを貼られたまま生きることを余儀なくされている人も多い。」

(「訳者あとがき」より)

「本書で著者は、〈謎の病〉とされる症例の実態を確かめるべく世界各地に赴き、患者と関係者へのインタビューをもとに地域固有の文化や社会背景を踏まえて考察し、〈謎〉の正体に迫っている。」

「英国版の原書のカバーに「オリバーサックスの真の継承者」とあるように、読み物としても一級品と追って過言ではない。
 そしてもちろん、本書はサックスの亜流本ではない。著者オサリバンの心身症に関する明確な主張に貫かれているからだ、端的に言うと、心身症は身体と心と社会が複雑に作用し合って生じる、という主張である。」

「本書は八つの章で、以下の〈謎の病〉のエピソードが綴られる。

・スウェーデンの難民家族の少女たちに広まった「あきらめ症候群」(第1章・第4章)
・ニカラグアに現存する幻視や憑依を主症状とする「グリシシニクス」(第2章)
・カザフスタンの鉱山町で発生した「眠り病」(第3章)
・キューバ駐在のアメリカとカナダの外交官らが羅漢した「ハバナ症候群」(第5章)
・コロンビアの女子学生たちに集団発生した「解離性発作」(第6章)
・アメリカ北東部の地方都市ル・ロイと南米のガイアナで発生した「集団心因性疾患」(第7章)
・ロンドンの病院で著者が担当した患者の「解離性発作」(第8章)」

「第2章に、次のようにある。「また、私たちは文化的に形成された病の概念を身体化する。言語の学習と同様、病のひな型を内面化し、脳にコード化するのだ。そして引き金が引かれるとそれを身体で表現する」。つまり、「身体化」は〈脳へのコード化〉〈身体による表現〉という二段階から成っており、これらが生物と心と社会の相互作用を可能にしているメカニズムのひとつだと考えられている。」

「精神疾患や心の病を考えるにあたっては、生物・生物・生物モデルでは不適切なことはもちろん、フロイト流の心理・心理・心理モデルでも、精神科医R・D・レインらの反精神医学的な社会・社会・社会モデルでも同程度に不適切で、生物・心理・社会の相互作用を考慮することこそが肝要になる。そして、神経科学が、その相互作用の基盤を明らかにしつつあるのだ。」

「マスメディアは社会を構成する要素のひとつであり、多くの人にとっての情報源だ。ゆえに生物・心理・社会モデルを重視するオサリバンは本書で、マスメディアによる心身症の扱いにも憂慮の念を示している。
 もっとも顕著な批判は、本書の第7章で展開される。この章で著者は、ル・ロイでの集団発生をマスメディアがどう扱ったかを詳細に説明したうえで、次のように結論する。

  (・・・・・・)ル・ロイで起こったできごとは、集団ヒステリーが通常続く期間よりはるかに長く続いた。私の考えでは、その理由と最終的な解決策は、個人ではなく、文化・社会的領域に見出されるべきものだ。メディアの狂騒、転換性障害に関する不正確な説明、生物・心理・社会的な病に結びついた公的な負の烙印、そして何よりも単なる憶測が事実と同格に扱われる風潮、これらすべての要因が、ル・ロイにおける最悪の興奮状態を醸成したのである。だがそれでもル・ロイのストーリーは、あたかも外部的な要因などまったく存在しなかったかのように、もっぱら少女たち自身の心の問題として語られた。それに対して、メディアや有名人が大きな発言力を持つ文化が少女たちに大きな影響を及ぼしたという認識は、ごくわずかしかなかった。

 心身症ではないが、世界を席巻したコロナウイルスに関しては、恐怖を煽るような報道がときに見受けられた。だが、このような報道のありかたが、たとえばうつ病のある人々にいかなる影響を及ぼしたかた、果たして考慮されていただろうか? 影響力の強いマスメディアこそ、生物・心理・社会モデルの重要性を認識して、報道の手法に反映すべきである。

 本書を読めば、現代の医療現場に何が欠けているかが浮き彫りになるのではないだろうか。
 また、それは医療関係者だけの問題ではなく、マス・メディアや、さらには私たち自身の心の病に対する姿勢の問題でもある。」

【目次】

序 謎の病

第1章 眠りつづける少女たち
あきらめ症候群/ヤズィーディー/仮病疑惑

第2章 グリシシクニス
悪魔が来りて/テキサスのミスキートたち/人類学者マッダと会う/社会による脳の発達への影響/内面から浄めていく夢のようなもの

第3章 失楽園
パーティーはまだ半ばのこと/ある医師の見解/リューボフの見た天国/脳の予測エラー/世界の終わり

第4章 身体を支配する心
モン族と死/心から身体へ、身体から心へ/感覚刺激のフィルタリング

第5章 縞馬ではなく馬だと思え
蹄の音が聞こえてきたら/イアン・ハッキングはかく語りき/キューバ危機とハバナ症候群

第6章 信用の問題
HPVワクチン/ジュリエットの場合/エル・サラドの虐殺/ヒステリーとは何か/エリカとの対話/反ワクチン派とジャーナリスト/子どもたちを救え

第7章 ル・ロイの魔女たち
エリン・ブロコビッチの介入/ガイアナの精霊グラニー/集団ヒステリーと女性蔑視/集団ヒステリーとメディア/地域の慣習と〈病気〉/魔女はいない

第8章 正常な行動
シエナの場合/疾患の診断基準/ロボトミー手術/ADHD大国アメリカ

エピローグ

◎【著者】スザンヌ・オサリバン(Suzanne O’Sullivan)
アイルランド出身の神経科医。ダブリン大学トリニティ・カレッジで医学を修め、現在はロンドンの国立神経・脳神経外科学病院に臨床神経生理学・神経学の医療コンサルタントとして勤める。てんかんを専門とし、心因性疾患を研究している。2015年に刊行した最初の著書 It's All in Your Head は、英国でウェルカム・ブック・プライズと英国王立協会生物学図書賞を受賞。本書は、2018年に刊行され各紙誌で絶賛された Brainstorm に続く3冊目であり、2021年の王立協会科学図書賞の最終候補作に選ばれている。

◎【訳者】高橋 洋(たかはし・ひろし)
翻訳家。訳書に、バレット『情動はこうしてつくられる』、メイヤー『腸と脳』、ドイジ『脳はいかに治癒をもたらすか』、ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(以上、紀伊國屋書店)、グリンカー『誰も正常ではない』(みすず書房)、メルシエ『人は簡単には騙されない』(青土社)、ダマシオ『進化の意外な順序』、ブルーム『反共感論』(以上、白揚社)ほか多数。

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