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池田 清彦『病院に行かない生き方』

☆mediopos2682  2022.3.21

職場では「定期健康診断」が
法律で義務づけられていて
年度末になると受けたくなくて
先延ばしにしているぼくのような人間に
いついつまでに受けるよう矢のような催促がくる
一年のあいだでいちばん体調の崩れるのが
この健康診断後の数日である

養老孟司氏の推薦している本書は
「医療に頼らず、自分に頼れ。
池田流健康術の極意」とのことだが
こうした当然のことを力説しなければならない
そのことこそが深い病なのだともいえそうだ

養老孟司氏もごじぶんの講義のなかで
再三話しておられることだが
「異常」はつくられている
「正常」であるという基準を変えれば
いくらでも「異常」を増やすことができる
血圧の異常云々の多くも
統計的な平均値からの偏差の度合いであって
そこで設定された基準値からの「異常」があるからといって
必ずしも病気であるということにはならない

今年も先月仕方なく「定期健康診断」を受けたのだが
これまでほとんどの問診医はろくに顔さえみないで
数字だけをみながら機械のようにコメントしていくだけだが
今回あたった初老の問診医は
こうした養老孟司氏の考え方をされているのか
健診で出された数値のバイアスや
個人差についてもきちんと説明してくれた
ここ数十年のあいだではじめての体験である

病院と学校はよく似ている
学校でもまた「正常」と「異常」が
「正しい」とされる「指導」のもとに設定される

病院や学校がまったく要らないとは思わないが
病院や学校があるのは当然なことではない
病院や学校が必要なひともいるが
そうでないひともいる

健康であることも学ぶことも
その基本は「自己教育」であるはずで
それを外から与えることはできない
できるのは「自己教育」のためのサポートだけである

病院や学校が必要なひとは
「自己教育」が不全なのであって
その場合には多くのサポートが必要になるということだ

しかし現代ではそのサポートが絶対化され
ますます強要されるようになっている
それが管理社会としては必要不可欠だからだ
病院も学校も自己目的化し
それらが設けた「正常」と「異常」の基準に基づいて
ひとを病人と名づけ「できない子」と決めつける

できれば「病院に行かない生き方」
そして「学校に行かない生き方」で
「自己教育」によってみずからを方向づけられますように

■池田 清彦『病院に行かない生き方』
 ( PHP新書 PHP研究所 2022/3)

(「はじめに」より)

「僕が65歳になってしばらく経った頃、市の健康福祉部から健康に関する調査票が送られてきた。封を開けて見てみると、
「体重はどのくらいですか」
「血圧は気になりますか」
「階段で手すりがなくても上れますか」
「毎日の生活が充実していると感じますか」
「周囲の人から頼りにされていると感じますか」
「これまで楽しんでやれたことが、楽しめなくなったように感じますか」
 などという、バカバカしい質問のオンパレードで笑ってしまった。
 毎日の生活が充実しているかどうかなんてことを、なぜ市の人間に言われなければならないのか。まったく。余計なお世話である。これに真面目に答えて提出すると、答えた内容に応じた「健康アドバイス手帳」をくれるというが、僕はそんなものは要らないから。そのぶん市に払った税金を返してほしいと言いたくなる。
 また、日本では、職場における「定期健康診断」は法律によって義務づけられており、その受診率が低い企業には当局から指導が入る場合もあるらしい。こんな制度がある国が日本以外にもあるのかは知らないが、少なくとも欧米には存在しない。

(・・・)

 健康診断に関していえば、病気の自覚のない人まで「病人」に仕立て上げ、「このまま、ほうっておくと大変なことになりますよ」という未来の仮定を脅し文句にして、無駄な治療を受けさせようとする。
「医療費を削減するためには、病気の予防に力を入れなければならない」などと言っているが、結果はそうなってはおらず、医療費はむしろ膨らむ一方である。自覚症状のない人まで治療の対象にしてお金を巻き上げているのだから、そんなの当たり前だよね。

(・・・)

 なぜそんなことが起きてしまうのかといえば、国が国民の健康状態を心底心配しているから、などではもちろんない。
 一度何かが決まってしまうと、その制度を前提としたビジネスで大儲けしている人たちが世の中には大勢いるからだ。

(・・・)

 国というのは人々の健康に口出しはしてくるけれども、それを本気で守る気などさらさらない。本当に守りたいのは、利権の確保や経済効率、つまりカネなのである。だから結局、自分の身は自分で守るしかない。

 しかし、健康に関していえば、案外それは真っ当な考え方なのかもしれないと僕は思う、自分の体の一番の専門家は他の誰でもない自分だからね。
 誰かの言いなりになるほうが楽だとか安心だとか考える人は多いけれど、医者の言うことを聞いていれば健康になれるかといえば決してそんなことはなく、かえってそれが不健康につながる可能性だってある。」

(「第1章 人間の個体差を侮ってはいけない」より)

「例えばたくさんの人の血圧を測り、横軸に低いほうから高いほうまでの血圧をとって、縦軸にその血圧を示した人数をとれば、グラフはだいたいベル型の正規分布という形になる。これはつまり、平均値あたりの血圧の人が人数的にはもっとも多いということだ。
 統計的な判断としては、中心あたりにいる人が「正常」で、極端に低い数値や高い数値が出た両端のほうの人は「異常」である。つまり、平均値から外れれば外れるほど「異常」だというわけだ。(・・・)
 ただし、これはあくまでも統計的な「異常」であり、それが異常だからといって「健康ではない(あるいはその可能性が高い)という話ではない。(・・・)
 つまり、病名がついている病気なんてものは実在物ではないのだ。僕の知り合いで医師でもある岩田健太郎は『感染症は存在しない』(集英社インターナショナル新書)という本を書いているが、個々の病人は存在するが、結核とか新型コロナの病名で規定される病気そのものは実在しないのだ。新型コロナに感染しても完璧に無症状であれば、病気とは言えないだろう。
 医者が作った勝手な「基準」によって、健康かどうでないかが決まってしまうとなれば、その作り方は「趣味の問題」なんて言ってられない。

(・・・)

 血圧に関していえば、2000年以前は160/95mmHg以上の人を高血圧とすると決めていた日本血圧学会が、2000年からは140/90mmHg以上が高血圧だと言い出した。ひとたび決まってしまうと、あたかもそれが絶対的な基準であるかのようにその数値が一人歩きを始めてしまう。」

「人間ドックですべての項目が異常なしである人の割合が、たった8.4%しかないという日本人間ドック学会の調査結果の記事を初めて目にしたのは2011年だったと記憶している。けれど、2016年になると、さらに状況は悪化し「すべて異常なし」と太鼓判を押してもらえた人はなんとたったの5.6%だ。つまり、すべてが「正常」な人は20人に1人くらいしか存在しないということである。
 実は「正常」な人がさらに減った背景として挙げられているのが、受診者の高齢化・検査項目の増加・判定基準の厳格化だ。」

(「第2章 健康法は自分で決める」より)

「世の中に出回る健康情報というものは、あくまでも不特定多数に向けた一般的で、平均的な情報でしかない。健康のためにこれを食べろとか、これをやれとかいう話を聞くとすぐに飛びつく人がいるが、それが誰にでも合うというわけじゃない。」

(「第5章 死ぬまで自分らしく生きる」より)

「人間という生き物は、命がつながっていればそれでよいのではない。「ただなんとなく生きる」ということができない性分をもっているのだ。忙しい毎日の中でふと我に返り「自分の人生の意味」を追求したくなったり、定年退職を機に「これから何を楽しみに生きてくのか」ということに頭を悩ませたりするのはそのせいなんだよね。
 しかも人間には個体差、つまり個性がある。誰かにとっては楽しくて充実感を得られることでも、別の誰かにとっては苦痛でしかないことだってある。僕にとっては虫を採ったり標本を作ったりすることが最高の楽しみだけど、虫なんて見るのも嫌だという人だっているしね。
 つまり「どう生きるのか」という課題はあくまでも個別の問題なので、他の誰かに託すことはできない。自分自身で解決するしかないのである。」

(「おわりに」より)

「日本で、あたかも健康診断が素晴らしい予防効果をもつかのように喧伝されているのは、はっきりいって医療利権のためである。
 健診を受けて、何でもないと言われて、3カ月後に具合が悪くなって医者にかかったら、がんで余命3カ月と言われた人を、私は何人も知っている。この場合、検診は何の役にも立たなかったのである。
 それでも、毎日毎日膨大な数の健診が行われているのは、健診をやめらたら食うに困る関係者がいっぱいいるからである。しかし、関係者ではない一般人は、健診関係者を食わすために、健診を受ける義務はない。
 まあ、血圧検査や血液検査くらいは受けても体に対する侵襲はないと思うけれど、ある程度の年齢になると、すべての項目が正常という人は少ない。そこで、多くの人は医者の処方されるままに薬を飲むことになる。
 薬には必ず副作用があるので、薬を飲むとまた別のところの具合が悪くなり、その症状を緩和する薬が必要になり、とった具合に処方される薬はどんどん増えていきかねない。薬を5種類も6種類も飲んでいて、薬を飲むのが仕事になっているような人もいる。こうなると、生きるために薬を飲んでいるんだか、薬を飲むために生きているんだかわからなくなる。」

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