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小笠原鳥類『吉岡実を読め!』/『吉岡実詩集』/『小笠原鳥類詩集』

☆mediopos3496  2024.6.13

小笠原鳥類は一九七七年生まれの詩人である
誰にも似ていない詩を書く

彼は詩は魚であるといっているそうだ
最初の詩集は『素晴らしい海岸生物の観察』(2004年)

鳥類なのになぜ魚なのかといえば
魚を狙う鳥だからだとかいう(笑)

小笠原鳥類の詩を読むようになったのは
入沢康夫が上記の詩集の帯にある
「この新しい詩人の自然物(生物、わけても鳥)への
こだわりようはどうだ。筆名までもが鳥類だとは!
 その驚くべきこだわりが超絶的な作品群を発生させる。」
といった賛辞?を書いているのを知ったのがきっかけである

実際に小笠原鳥類は入沢康夫と親しかったらしい
入沢康夫ファンとしては見逃すわけにはいかない

その後思潮社の現代詩文庫を求め
以後その誰にも似ていない言葉を眺め
笑ったりもしている

その小笠原鳥類がまた
誰にも似ていない詩論集?
『吉岡実を読め!』を刊行している

吉岡実の短歌と俳句も加えた全二八〇詩篇を読んで
それについて書いている四五八頁の著作である
(そのために昨年末頃までほとんど半年間を費やしたそうだ)

詩論集というよりは
個人的な感想でいえば
この一冊まるごとが
小笠原鳥類詩集となっているのだとイメージしている

『吉岡実全集』は手元にないが
思潮社の現代詩文庫二種と『サフラン摘み』以降
最後の詩集『ムーンドロップ』までは手元にあるので
ほぼ参照しながら読みすすめることができる

ちなみにこの六月一日に
『吉岡実を読め!』著者トークイベントがネット上で開催され
その模様をYouTubeで視聴することができる

司会は『吉岡実を読め!』を刊行している
ライトバース出版の黒崎晴臣
そしてゲストは詩人の広瀬大志と野村喜和夫である

詩集ましてや詩論集などほとんど売れず
吉岡実の詩さえほとんど手に入らない現状のなか
小笠原氏は当初一冊も売れないのではないかと
心配していたにもかかわらず
現状は品薄で結局増刷の運びとなったとのこと

なにはともあれ
吉岡実の詩があらためて注目されるのはうれしい

さて動画のなかで気になった点についてコメントしておきたい

主に野村喜和夫のコメントからだが

『吉岡実を読め!』は
吉岡実の全詩を評論するというよりは
(ホテルの)バイキングのように
好きな「部分」だけをとりあげ部分と部分をつなげていくもので
吉岡実の全体像は描かれていないが
(特に吉岡実のエロティシズムやグロテスクなものは排されている)
そのことでむしろ吉岡実の「外」がそこに介在してくる・・・
こうした論じ方はこれまでなかったやり方である

野村喜和夫はそれについて
本書の「9 サフラン摘み」から引用し
小笠原鳥類の読み方の特徴を挙げている

「人生や世界の真実は、詩とは無縁だ。
わけがわからない、笑ってしまう(泣けることもある)
謎のエンターテインメントが、詩である。」

「『サフラン摘み』は、そして吉岡実のすべての詩は、
読んでも教訓はない。エンターテインメントだ。」
「たくさんの、あやしいものが
ガチャガチャ並んでいるお祭りである。」

この「ガチャガチャ」はある意味では
レヴィ=ストロースのいうブリコラージュに似ているという
「手持ちの材料を適度に組み合わせて驚異的なものをつくる」
そんなありよう・・・

動画のなかで『吉岡実を読め!』は
どこかポスト・ヒューマン的な
未来への希望を失っている現代的なありように通じている
といったことも語られているが

野村喜和夫の「小笠原鳥類論」(2014)を読むと
動画から伝わってくる小笠原鳥類の不思議なイメージが
少しばかり腑に落ちてくるところがある

「いずれにせよ、小笠原鳥類は孤独である。」
「小笠原世界はほかの誰の世界にも似ていない。
ほかの誰も真似することができない。」

「われわれは彼の孤独に手を差し伸べることはできない。
ただ、繰り返すが、その世界が
「知覚しえぬものへの生成変化」にまでいたるのを、
期待してはいけないわけがあろうか。」

そして「だが鳥類よ、たまには外に出て、
ヒト並みの逸楽や幸福を追求するふりでもしてみたらどうか。
同行しよう。」と論は閉じられている

小笠原鳥類の(詩の)魅力は
その「ガチャガチャ」のエンターテインメントであるとともに
「ほかの誰も真似することができない」
そんな「孤独」にあるのかもしれない

昨日mediopos3495(2024.6.12)で
文月悠光の石原吉郎の詩への関わり方として
「その魅力は理解しながらも、
ある詩人の姿勢として素朴に捉えたい。」としていたが

ある意味で「詩人」とされる人間は
どこか孤島のようなところがある

それぞれの島にはそれぞれ独自な生態系があり
それをほかの島と単純に比較することはできないが
それぞれの島の独自の生態系について「調査」する
そんな楽しみ方はあるのかもしれない

とはいえ「ガチャガチャ」のエンターテインメントを
描く者もそれを享受する者も
それぞれ「身体」を持って生きている

その意味でも詩の外に出て
「ヒト並みの逸楽や幸福を追求するふり」をしてみるのも
別の意味において
「ガチャガチャ」を楽しむことにつながるのかもしれない

■小笠原鳥類『吉岡実を読め!』(ライトバース出版 2024/3)
■『吉岡実詩集』(思潮社 現代詩文庫14 1968/9)
■『小笠原鳥類詩集』(思潮社 現代詩文庫222 2016/4)

**(『吉岡実を読め!』〜「凡例」より)

*「詩人、吉岡実(一九一九〜一九九〇)が書いたものについての本である。『吉岡実全集』(筑摩書房、一九九六)と、この全詩集に収録されていない、吉岡実の句集『双草』(書肆山田、二〇〇三)を読んで、書いていく。

 『吉岡実全集』にある、すべての詩集のすべての詩(帯に「全詩二八〇篇」)のそれぞれについて、少し、あるいはたくさん書く。ただし、歌集『魚藍』と句集『双草』からは、いくつかの短歌と俳句を選んで、それらについて書く。

 すべての詩を褒めてはいない。高く評価されている詩であっても(そうでないようであっても)、これはどうなんだろうという疑念も率直に言っている。」

「この本の題名『吉岡実を読め!』は、中山康樹『ディランを聴け!』(講談社文庫、二〇〇四)(・・・)を参考にしている。」

「吉岡実の詩だけを読むのではなくて、関連する、他の詩人たちの詩、そして他のジャンルの文章を引用していく(・・・)。どのような新しい詩があるべきか、アイデアも書いている。

 最後に、雑誌に発表した論考二つを追加した、吉岡実だけを論じたものではないが、中心に吉岡実がいる。

 詩とはどういうものか、についてのガイドブックである。かたまった過去のことを書いていない。今、そして、これからのこと。」

**(『吉岡実を読め!』〜「9 サフラン摘み」より)

*「詩集がたくさん売れることがあったとしたら(あまりないが)、それを喜んでいるだけでは、よくないかもしれない。詩はおそろしいものであるが、しかし、読者を理不尽な不安で支配するものであってはいけない。詩は教科書や新聞にあるようなものだから、正しいものだと思われるとしたら、それは違う。人生や世界の真実は、詩とは無縁だ。わけがわからない、笑ってしまう(泣けることもある)謎のエンターテインメントが、詩である。

 『サフラン摘み』は、そして吉岡実のすべての詩は、読んでも教訓はない。エンターテインメントだ。難解な(解釈すれば、何か、いいことが読める)詩であると思ってしまうと、そうではないのだかた、読めない。くだらない娯楽だと思うと、読める。たくさんの、あやしいものがガチャガチャ並んでいるお祭りである。

 好きなことだけ、好きな言葉だけ並べる勝手な書きかたが、詩である。エッセイや小説や評論のような散文は、どうしても、かったるい説明のような、つまらない部分が混ざる。書きたくないけれど、書かないと話がつながらないから、書くしかない————そういう部分を、吉岡実は書かない。わからなくても、好きになることができる詩。」

**(『吉岡実を読め!』〜「広瀬大志(帯)」より)

*「もはやこの本は単なる評論集にはとどまらず、ケミストリにより新しく進化した詩の生き物だ。

 ここには「たくさんの、あやしいものがガチャガチャ並んでいる」。驚きたければ『吉岡実を読め!』を読め!!」

「詩人小笠原鳥類が、なんと詩人吉岡実の全二八〇詩篇(それに短歌と俳句も加えた)のぞれぞれ全てに評を記すという、驚くべき書物を生みだした。論じるものと論じられるものとの密着した関係は、縦横無尽に現代詩のフィールドを駆け巡り(ああなんという鳥瞰か)、ついには一体化してしまうほどの幻惑するフォルムを見せつけてくれる。もはやこれは単なる詩論集やガイドブックやオカルトにはとどまらず、ケミストリにより新しく進化した詩の生き物だ。極めて怪物的だ。そのスリリングな追跡に途切れなし。しかも笑ったりする・また吉岡実の詩を読解することによって、途方もない鳥類詩学図鑑を完成させたとも言えるだろう。ここには「たくさんのあやしいものがガチャガチャ並んでいる」。図鑑とは想像力を掻き立てる科学なのだから、読むと好奇な楽しさしかない。さあ、飲みこまれてしまおう。」

**(『小笠原鳥類詩集』〜野村喜和夫「小笠原鳥類論」(2014.12)より)

*「いずれにせよ、小笠原鳥類は孤独である。無人島にいるように孤独である。小笠原世界はほかの誰の世界にも似ていない。ほかの誰も真似することができない。小笠原の登場とともにいわゆる二〇〇〇年代詩は始まったが、厳密に言えば、彼は二〇〇〇年代詩人ではない。究極のところ、詩による他者への開かれの希求、それをもって抒情であるとするなら、そしていわゆる二〇〇〇年代詩がそのような次元での詩的言説空間の更新であったとするなら、彼の世界は徹底して反抒情であり、反時代的である。むきだしで純粋な言語=動物の跳梁的愉楽あるのみ、波がそれを洗っているのみ。

 われわれは彼の孤独に手を差し伸べることはできない。ただ、繰り返すが、その世界が「知覚しえぬものへの生成変化」にまでいたるのを、期待してはいけないわけがあろうか。あるいは、言語=動物の呪縛が解かれて、思いのほかふつうの動物詩集めいた景色があらわれることになるのかもしれない。帰趨は神のみぞ知るであろう。だが鳥類よ、たまには外に出て、ヒト並みの逸楽や幸福を追求するふりでもしてみたらどうか。同行しよう。」

*吉岡実の詩集・歌集・句集 一覧

詩集
『昏睡季節』(草蝉舎、1940年)
『液体』(草蝉舎、1941年・湯川書房、1971年)
『静物』(私家版、1955年)
『僧侶』(書肆ユリイカ、1958年)
『紡錘形』(草蝉舎、1962年)
『静かな家』(思潮社、1968年)
『異霊祭』(書肆山田、1974年)
『神秘的な時代の詩』(湯川書房、1974年・書肆山田、1976年)
『サフラン摘み』(青土社、1976年)
『夏の宴』(青土社、1979年)
『ポール・クレーの食卓』(書肆山田、1980年)
『薬玉』(書肆山田、1983年)
『ムーンドロップ』(書肆山田、1988年)
未完詩篇
歌集
『魚藍』(私家版、1959年・深夜叢書社、1973年)
句集
『奴草』(書肆山田、2003年)

◎小笠原鳥類評論集『吉岡実を読め!』著者トークイベント(2024/6/1)

0:11 司会者挨拶
0:40 著者 小笠原鳥類挨拶
19:16 鳥類さんに4つの質問
29:16 ゲスト 広瀬大志さんコメント
54:29 休憩中トーク
58:29 野村喜和夫さんコメント
1:29:13 リスナーからのご質問
1:34:34 『吉岡実を読め!』が現代詩の未来に及ぼす影響について
1:57:24 著者 締めのご挨拶


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