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中村 圭志 『宗教図像学入門/十字架、神殿から仏像、怪獣まで』

☆mediopos-2536  2021.10.26

神的なものは
対象化できるものとして
表現することはできない

しかしひとは
拠り所をつくろうと
さまざまな偶像をつくりだし
神的なものとして拝してしまう

たとえそれが神への冒瀆とされ
偶像が禁止されたとしても
聖なる道具や文字・書物
あるいは聖なる建造物といった
偶像にかわるものがつくられることになる

地上は対象認識の世界だから
対象化できるものでなければ
たしかなものとは感じられないからだ

偶像崇拝はフェティッシュに似ている

フェティッシュには宗教的な要素はないが
それはある対象に対する偏愛として
いわば「物神」として生まれる

それが集合的なかたちで
宗教的な対称としてあらわれるとき
宗教的なご利益や救済への欲望が投影され
それが偶像としてかたちをとることになる

ユダヤ教やイスラム教は
そうした偶像を排する傾向を強くもっているが
キリスト教は人となった神という教義があることもあり
さまざまな絵や彫刻で図像が描かれてきたものの
教義上は図像そのものは偶像ではないとみなされる

仏教でもほんらい偶像化は排され
葬式で死者に対するときにも
拝するのはその死体に対してではなく
仏性に対してであるとされる

自然宗教において
たとえばご来光を拝むときにもほんらいは
ご来光そのものである太陽を神としているのではなく
それによって象徴されるものを礼拝している

そのようにわたしたちは
神的なものを感受し
それを認識しようとするとき
ほんらい対象化できない存在だとしても
相対する「もの」
あるいはそれが投影されたもの
少なくともその「表象」なくしては
それをとらえることがむずかしい

霊的認識の階梯においても
神的な認識は
まず対象のない思考を得ることから始められる
さらにはその思考さえも排し
排することさえも排し
といった階梯を歩むことで
それぞれの階梯にある偶像的なものを
去っていくことが求められる

けれども地上世界の困難さは
それらの高次の認識が同時に
霊的な世界へと向かうだけではなく
逆に物質的世界へも帰還する必要があることだろう

ものはほんとうはたんなる物質ではなく
物質の姿をした霊にほかならないからだ
閉じ込められた霊は人が解放しなければならない
グノーシス的な救済知がはらんでいる陥穽も
そうした霊的存在と認識の往還がなされないところにある

ほんらいキリスト教がグノーシス的な救済知を排したのも
わたしたちは物質世界を二重の意味で
物質的な対象認識の世界から
解放しなければならない課題があるからだといえる

「宗教図像」もたんに宗教的なご利益や救済へではなく
そこにほんらい映じされているものをとらえかえし
物質世界そのものの解放へとつながるような
そんなありようを生きるための拠り所となるとき
はじめてその役割を担うことができるのではないだろうか

■中村 圭志 『宗教図像学入門/十字架、神殿から仏像、怪獣まで』
 (中公新書 2668) 中央公論新社  2021/10)

(「第2章 空と偶像禁止/見えない神をどう描くか」より)

「神様や真理は絵に描けないし像に刻めない。この点を強調する伝統もある。」

「人類が発達させた言語なるものは、目の前に存在しないものについても語ることができる。おそらくこれが人類が霊や神々の神話をもつことになった根本的な理由だろう。数十万年も続いた原初の狩猟採集生活は、動物などに範をとった精霊の図像を生み出した。一万年ほど前からんじょ農耕生活がもたらした階級社会や帝王のイメージもまた、天界の王族のような神々や天人の図像を生み出した。
 そうした神なる存在は、力においても特性においても人間の理想とした姿であるが、やがて神なる存在を図像にするのは畏れ多いという観念が生まれた。いわゆる偶像制作および偶像崇拝の忌避である。
 偶像禁止をはっきりと信条にしたのは、紀元前一三世紀ごろに歴史に姿を現したイスラエル人(ヘブライ人、後世のユダヤ人)である。彼らは教典(旧約聖書)の中に「あなたは自分のために彫像を造ってはならない」「それにひれ伏し、それに仕えてはならない」としっかり書き込んだ(「出エジプト記」二〇章)。半遊牧民的な出自をもつイスラエルの民は、周囲の農耕民族が豊穣神の神像を刻んで猥雑な儀礼を行なっているのを見て、それらと自分たちの信仰を潔癖に区別しようと思った。像を刻まないことが信仰の純粋性の象徴となったわけだ。
 イスラエルの民は、さらに。自分たちの神ヤハウェを民族性を超越した普遍の神、唯一絶対神と解釈するようになった(紀元前六世紀ごり)。かくして生まれた一神教から、一世紀にキリスト教が、七世紀にイスラム教が派生した。いずれも偶像禁止の建前を受け継いだ。」

「十戒の石板、それを収めた幕屋あるいは神殿が、いわば神そのものを代理する表象となっていることに注目されたい。ユダヤ人は神の像は刻まなかったが、そのぶんだけ石板や聖櫃という呪力を帯びた物品を大いに尊崇したのである。
 なお、石板も聖櫃もない現代では、ユダヤ教徒は幾本かある律法の巻物を礼拝堂(シナゴーグ)に安置し、これを神からの授かりものとして丁重に扱っている。そうした律法の巻物は神の代理表象と化していると言えるかもしれない。
 ちなみにモーセの十戒は、ヤハウェという名前をみだりに呼ぶことも禁じている。ユダヤ人は聖書の中のיהוהという文字(右から左にYHWHと書かれ、本来ヤハウェと読まれた)を「主(アドナイ)」と読み替えて読むようにしたのだが、そのせいでこの文字の正確な発音は忘れ去られた。近代の言語学が発音を復元するまで、西洋の一神教徒は、母音を間違えたイェホウァ(エホバ)が旧約の神の名前だと思っていた。」

「面白いことに、ユダヤ教から派生したキリスト教は、神を描くことをタブーとはしなくなった。絵や彫像を崇拝するのはいけないとしても、図像として描き出すことそれ自体はOKだと考えなおしたのである。タブーがゆるんだ一番の理由は、この宗教では「神が自ら人間イエスとして地上に現れた」としていることだろう。神に地上的姿を与えたのは神自身なのだから、その姿を描いたからといって人間が偶像を創作したことにはならないというわけだ。(…)初期のキリスト教徒はキリストを羊飼いの姿で象徴的に描いていたりしていたが、後世、イエスの生涯と死の各場面が絵画的テーマとして取り上げられるようになり、ビザンツや西洋中世の芸術が開花した。
 キリスト像の中でも格別に興味深いのは「写像」型の一群である。ある伝承によると、イエスが世にあったころ、病気治しの噂を聞きつけた小国の王がこの生き神様を呼び寄せようとした。しかしイエスは旅に出るかわりに顔をぬぐった布を王の使いに持たせた。この布には不可思議なことにイエスの顔が写真のように映っており、霊験あらたかなることこの上なかった。後世この布の写像の絵筆による写しとされるもの----マンディリオン(意味はハンカチ)----があちこちに伝承され、十字軍時代に西方にも伝わった。」

「なお、かつて東方教会では(隣のイスラム圏の影響もあって)聖像(イコン)を描くことの正当性が疑われたことがあった。その時期の聖像破壊運動をイコノクラスム(八〜九世紀)と呼ぶ。結局、論争は終結し、イコンは正当にして有り難いものだということで落ち着いた。呪物として偶像崇拝してはいけないものの、聖像には神という存在の本質が表現されているとみなされるようになった。」

「キリスト教に次いで世に登場した一神教であるイスラム教では、偶像禁止をかなり厳格に守っている。神----アラビア語でアッラー----の姿を絵に描くことも像に刻むこともない。神の啓示を受けたとされる預言者ムハンマドの姿を描いた写本はたくさんあるが、それでも禁忌は強く、ムハンマドの顔を白抜きにしているものもある。
 イスラム教の礼拝施設であるモスクには、神像の類は一切ない。信者はメッカのカアバと呼ばれる太古の多神教の神殿跡の建築物に向かって日に五回の礼拝を捧げる。世界中どこにいても礼拝のときにはこのカアバの方角(キブラと呼ばれる)に顔を向ける。モスク内にはキブラを示すミフラーブという壁龕のようなものがある。
 なお、キリスト教徒にとってキリストが「神の子」であるように、イスラム教徒にとってコーランは「神の言葉」である。だからキリスト教徒がキリスト像や十字架を丁重に扱うように、イスラム教とはコーランを極めて丁重に扱う。そういう意味ではコーランという文書そのものが神の代理表象の役割を果たしていると言えるかもしれない。
 イスラム教は美術そのものを禁止したわけではないが、宗教的行為の中から彫刻や絵画の制作が概ね抜け落ちた。しかしそのかわりイスラム教徒はモスクの壁を美しい幾何学模様のタイルで埋め尽くした。また、アラビア語とアラビア文字で記されたコーランの聖句はそのまま聖なる書道として複雑性を増していった。
 モスクのドームや半ドーム状の空間を覆う、眩暈をさそう複雑怪奇でリズム刈るな幾何学的図形は、まるで神から発せられる光のシャワーのように見える(たとえばイランのシェイク・ロトフォッラー・モスク)。イスラム教には神を「天と地の光」と表象し、世を神の光を受けた光景と捉える神秘主義思想もある。」

「一神教と異なり、多神教世界では一般に神々を図像化することに抵抗はない。とはいえ、真理は偶像的な図像ではえがけないという思想がなかったわけではない。
 仏教世界には諸仏諸菩薩の図像があふれているが、建前としてはそれらはあくまで瞑想修行のための便宜である。(…)最初期には釈迦の姿を直接描くことには遠慮があり、菩提樹、法輪、仏塔などで代理的に表象した。
 仏教では、像だろうが現実の事物であろうが、それ自体には執着すべき実体がないという「無我」や「空」の教えを究極の奥義としていりる・禅者は真理を「空白」や空白の暗示としての円(円相)で表現するようになった。仙厓の禅画は真理を語る表象が月を指す指のようなものであることを暗示している。密教でも悉曇文字(サンスクリット語の表記法の一つ)のaの文字(…)が、全文字の筆頭であり、かつサンスクリット語で否定の接頭辞a-に通ずるということから、「空」の象徴として瞑想に用いられる。」

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