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『感情の歴史 III 〔19世紀末から現代まで〕』

☆mediopos2623  2022.1.21

人には感情がある

「恐怖、喜び、嫌悪、悲しみ、怒り、驚き、恥辱、
羨望、愛、共感・・・・・・といった感情」は
いつの時代にもある普遍的なものだと思われているが
それは個人・生活・文化・地域・時代によって
さまざまなありようを示しまた変化している

「アナール派の到達点」ともされている『感情の歴史』は
第I巻「古代から啓蒙の時代まで」
第II巻「啓蒙の時代から19世紀末まで」に続いて
本巻「19世紀末から現代まで」の第III巻目で
邦訳が完結することになったが

第I・II巻が時代区分によるものだったのに対し
第III巻では

「I 感情を考える」
「II 一般的な感情の生成」
「III トラウマ――極限的な感情と激しい暴力」
「IV 感情体制と情動の系譜」
「V 感情のスペクタクル」

という五つの領域に分類され
そのなかで具体的なテーマや問題が論じられている
十九世紀末からは感情が以前にはなかったようなかたちで
多様化し問題化されてくるようになったからである
(それぞれで扱っている内容は以下の目次を参照)

一八七二年にチャールズ・ダーウィンが
『人および動物の表情について』を出版し
一八八四年にウィリアム・ジェイムズが
「感情とは何か」という問いを発したことを起点に
十九世紀末からはさまざまなかたちで
多様化しはじめた感情が論じられるようになるのである

現代もその渦中にあるが
二十世紀の産業社会と大衆消費社会は
それ以前の時代にはなかったような環境を生み
それがさまざまな感情を生み出すようになる

スポーツの祭典・映画やテレビ
インターネットによって感情のメディア化
あるいはメディアの感情化が顕著になり
それは私たち現代人の感情生活に
多大な影響を与えるようになっている

さらに二度の世界大戦やナチス・旧ソ連に強制収容所
そしていままさに問題化されている中国の諸問題のように
集団的な暴力が大規模で行われることによって
極限的な感情の負荷がかけられトラウマ化されてきている

そしてとくに心理学・精神医学・神経生理学などが
感情に関わる諸事項を科学的に論じるようになり
感情の諸問題が社会的なかたちでも全面化してきている

おそらくわたしたちのこの時代は自我とともに
感情領域を拡大・深化させようとしている時代なのだろう

かつての時代にくらべて現代は
みずからの感情を拡大・深化させる機会を
各個々人が得るようになっているが
同時にそれは喜怒哀楽といった
単純な分類ではとらえられないような
さまざまな新たな感情にふりまわされ
制御しがたくなっているということもできる

そのことを象徴するのが無意識の発見であり
理性ではとらえれない感情の深みに
どう向き合っていくかという問いが
そこに生まれてくることになる

個々人の感情の拡大・深化の可能性は同時に
政治的な暴力や管理社会による感情の平板・抑圧化
メディアによって生み出される感情の群衆化といった
逆のベクトルをもった感情の危機も意味している

そんな可能性と危機の時代を
わたしたちはどのように生き
どのように感情を拡大・深化させ得るのか
本書はその問いに向かうための良きガイドともなっている

■A・コルバン/J−J・クルティーヌ/G・ヴィガレロ監修
 ジャン=ジャック・クルティーヌ編/小倉孝誠監訳
 『感情の歴史 III 〔19世紀末から現代まで〕』 (感情の歴史(全3巻)第3巻)
 (藤原書店 2021.10)

「感情は人類の属性であり、人類とともに存在してきた。それが何か人は気づくし、理解できる。感情はあまりに明白なので、時間に無関係と思われるほどだ。さまざまな時代と場所に等しく観察され、共通した体験や一見したところ共有される反応があることを示唆している。たとえば大切な人の死に臨んで感じる苦しみ、何らかの危険の後の混乱、失敗したときの苦渋、楽しいことがあるときに感じる喜び、などである。これらはすべて一般的な出来事であり、普遍的なものと永久不変なものがそこに見出される。興奮、不安、歓喜が文化と社会を活気づけ、汗、不快感あるいは震えがその避けがたい表れを示す。」
「しかしこれはけっして明白なことではない。恐怖、恥辱、怒り、喜びはおそらくいつの時代にも観察されるし、ひとつの時代から別の時代になっても理解され、「把握される」ように思われるが、じつは個人によって、文化によって、感受性によって異なるのだ。これらの感情には独自の状態と変遷があり、変化す、個別化し、一般的に広く存在するとはいえ細分化された可能性を示す。」
「感情の歴史的な多様性、濃淡、変化は何よりもまず文化と時代の反映だということである。感情は状況に対応し、感受性の輪郭に合致し、生活様式と存在様式を表現するし、この様式そのものが情動とその程度を方向づける個別的で特定の環境に左右される。」

「恐怖、喜び、嫌悪、悲しみ、怒り、驚き、恥辱、羨望、愛、共感・・・・・・。わたしたちの情動世界を構成するこれらの基本的要素はどこから生じ、どのように形成され、どのように構造化され、互いに結びついているのだろうか。十九世紀最後の数十年間を起点にして、本巻はこうした問いに答えようとする。
 一八八〇年・・・・・・。終わりつつあり十九世紀は繊細な人間を創出した。戦争の雄叫びがとどろき、革命の興奮が響きわたった。しかし新たな時代が一九世紀に始まる。この時代に、人間感情をめぐる観察と考察がそれまでにない形態をまとい、その形態が個人生活、政治生活そして社会生活の中心に感情を据えるようになるのだ。
 一八七二年、チャールズ・ダーウィンが『人および動物の表情について』を出版する。(・・・)これが感情科学のまさに端緒になったことは疑問の余地がない。ダーウィンは著作のなかで感情が普遍的であると主張し、その基本的な分類を提案し、身体表現の典型的な形式と結びつけた。一八八四年、アメリカ心理学の始祖ウィリアム・ジェイムズは「感情とは何か」という問いをはじめて発し、このタイトルの論考において、生命体の変化のなかに感情をくみ入れることでこの問いに答えた。(・・・)
 しかしそれだけではない。十九世紀末期、政治的感情と関連する他の心配事が現れたのである。一八九五年、ギュスターヴ・ル・ボンが『群集心理』を刊行する。(・・・)彼の不安を駆り立てたのは、たしかに公的生活における感情の支配であり、その移ろいやすさであり、政治の領域に感情が広がるのを容易にする不気味な伝染性だったからである。(・・・)
 この問題に関心をいだいたのは彼らだけではない。ヨーロッパからアメリカに目を移すならば、そこでもまた感情の広がりがアメリカ人の好奇心をそそり、熱狂させたことが分かる。ただし今度は経済と財政の分野であり、とりわけ感情の広がりが株の暴落に変貌したときであった。(・・・)この感情的危機は文学的な影響も及ぼし、一八九〇年から一九二〇年にかけて三〇編以上の小説がそれを扱うことになる。ヨーロッパでもアメリカでも問題は同じだった。大衆社会の黎明期、政治的、社会的、経済的に大きな変化が生じた時期にいたるところで、個人と大衆に感情の支配が及んだように思われる。しかも確認できることはそれでけではない、ヨーロッパでもアメリカでも、輪郭が曖昧で、症状のjはっきりしない奇妙な精神疾患が突然現れたのである。アメリカではアメリカ的神経症、ヨーロッパでは神経衰弱と呼ばれた。魂の不明瞭な動きは、主体による制御をますます免れるようになる。当時生まれつつあった精神分析はそこに、情動の無意識の起源を見ることになるだろう。ずっと以前から過度の情念を理性によって支配しようとしてきた長い伝統が、二十世紀の変わり目になって、あきらかに疲弊の兆候を示していた。」

「わたしたちの感情世界が流動的だという考え、「下から見た歴史学」にならって、この感情世界をもっとも卑近な日常性の細部においてだけでなく、系譜学的な次元においても把握することが必要だという意識が、この第III巻の中心にある。そして同じ程度に、二十世紀初頭から二十一世紀初頭にかけて、感情がその支配力を拡大し、個人の心的生活や共同体の社会生活においてますます重要な位置を占めるようになった、という確認も本巻の中心にある。それは三つの本質的な次元にそくして行なわれ、判所に納められている論考全体のあちこちにその痕跡が見出されるはずである。まずトラウマの次元。本巻が扱う歴史的時期は、それを生きた人々の感受性を極度の暴力にさらした時代だった。次に監視の次元、政治世界や経済生産の世界で、それまでなかったような感情操作の形態が出現した。そして最後に人々の感情歴自立の次元。古くからの心理的束縛がしだいに消えて、他の地平のほうに移動する感覚の諸形態が生まれた。かつてなかったような親密性や同情、そしてそれと同じくらいに、それまで未知だった無関心、不安、恐怖などである。」

(小倉孝誠「監訳者解説」〜「本書の基本スタンス」より)

「時代的な区分を設けただけの『感情の歴史』第I、II巻と異なり、本巻は五つの大きな領域を分類し、各領域において具体的なテーマや問題が論じられている。日常生活、私生活、社会、自然、戦争などの暴力、芸術など、さまざまな空間や出来事がどのような感情を生み出し、それがどう変貌していくのかという基本的な問題設定は先行する二巻と同じだが、大きく変わったのである。
 まず、感情が生成し、ときには抑圧される場が多様化した。二十世紀の産業社会と大衆消費社会は、それ以前の時代にはなかったような出来事や、人々が集う空間(ときにはバーチャルな空間)をもたらした。スポーツの祭典、映画やテレビやインターネットによる感情の可視化は二十世紀に始まった現象であり、それにともなった感情のメディア化、あるいはメディアの感情化は近年ますます顕著になっている。それがわれわれ現代人の感情生活のあり方に無視しがたい影響を及ぼしていることは否定できないだろう。
 第二に、二度の世界大戦、ナチスや旧ソ連の強制収容所に象徴されるように、集団的な暴力が未曾有の規模に達し、それが当事者たちに極限的で、長期にわたる感情的負荷をかけてきた。その現象は国境、民族を超えて途方もなく広い範囲で経験されてきたのである。本書では論じられていないが、われわれ日本人にとっては地震、台風、豪雨などの自然災害がつねに不安の種である。現代はトラウマの時代と言っていいかもしれない。
 そして第三に、感情をめぐる科学的言説が多様化した。十九世紀後半にも、すでにダーウィンやデュシェンヌ・ド・ブローニュが生理学的な観点から感情と表情の関係を論じた。二十世紀以降は、心理学、精神分析学、社会学、文化人類学、精神医学、神経生理学などが、それぞれの視座から感情(あるいは情動)を論じるようになった。メランコリーやうつは、かつてであれば哲学者が語り、作家が書き記す内面の出来事だったが、現在では精神科医が診断し、治療する病にほかならない。同じ感情でも、誰が、どのような知がそれを使うかによって、社会における位置づけが変わるということである。こうして本巻全体にわたって、精神医学に属するさまざまな言説(それへの反論、異論も含めて)が援用されている。」

【第III巻の構成と目次】

 総序 アラン・コルバン+ジャン=ジャック・クルティーヌ+ジョルジュ・ヴィガレロ〔小倉孝誠訳〕
 序論――感情の支配  ジャン=ジャック・クルティーヌ〔小倉孝誠訳〕

I 感情を考える

 感情を論じてきた様々な学問と言説の大枠として、社会構築主義と普遍主義の観点を示し、資本主義、政治、ジェンダーの領域における感情の歴史性を考察する。

 第1章 人類学の言説  ヤン・プランパー〔小倉孝誠訳〕
 第2章 科学の領域――心理学、生理学、神経生物学  ジャクリーヌ・カロワ ステファニー・デュプイ
 第3章 感情資本主義  エヴァ・イロウズ ヤーラ・ベンガー・アラルフ〔和田光昌訳〕
 第4章 憤怒、合一そして公民としての熱情――感情と政治活動  ニコラ・マリオ〔和田光昌訳〕
 第5章 ジェンダーと歴史――恥の場合  ウーテ・フレーフェルト〔和田光昌訳〕

II 一般的な感情の生成

 感情形成の場(学校や家庭、政治への参加行動)と、感情が誘発され、増幅される対象(動物、旅、自然)を問題とし、個人の内面を伝える史料を素材に、その歴史を探る。

 第6章 目覚めのとき――子ども、家族、学校  ドミニク・オタヴィ
 第7章 社会参加する――政治、事件、世代  リュディヴィーヌ・バンティニー
 第8章 動物への情愛  エリック・バラテー
 第9章 感情的な熱狂――驚きと失望のあいだで揺れる旅  シルヴァン・ヴネール
 第10章  「荒地」――自然との共感の変容  シャルル=フランソワ・マティス

III トラウマ――極限的な感情と激しい暴力

 戦争、強制収容所、民族虐殺、難民等の例外的、極限的状況における感情の布置を問い、今も止まぬそれらの蛮行が、人間の感情をどのように毀損してきたのかを語る。

 第11章 戦争のアポカリプス  ステファヌ・オードワン=ルゾー
 第12章 強制収容所の世界――それでもなお情動が  サラ・ジャンズビュルジェ
 第13章 ジェノサイド実行者は殺害時に何を感じているのか  リシャール・レクトマ
 第14章 壁と涙――難民、国外亡命者、移民  ミシェル・ペラルディ
 第15章 身体潰走――病と死に向かいあって アンヌ・キャロル

IV 感情体制と情動の系譜

 怖れ、不安、抑鬱、屈辱感、人道主義、そして愛。いずれも古くから存在する感情だが、それらを軸に、情報化された大衆社会の中にある現代人の感情体制を記述する。

 第16章 不安の時代の「怖れ」   ジャン=ジャック・クルティーヌ
 第17章 抑鬱という症例  ピエール=アンリ・カステル
 第18章 屈辱感――貶す、蔑む、引きずり落とす  クロディーヌ・アロシュ
 第19章 感情移入・ケア・共感――人道的な感情  ベルトラン・テート
 第20章 恋愛・誘惑・欲望  クレア・ランガマー

V 感情のスペクタクル

 感情を遍在化するメディアや芸術装置――絵画、音楽、映画、演劇、スポーツ、テレビ等により、感情が可視化されてきた過程を、各分野の歴史と重ね合わせて論じる。

 第21章 芸術への愛ゆえに  ブルーノ・ナッシム・アブドラール
 第22章 暗闇で笑い、泣き、怖がること  アントワーヌ・ド・ベック
 第23章 スポーツ的情熱  クリスティアン・ブロンベルジェ
 第24章 感情の演劇性  クリストフ・ビダン クリストフ・トリオ
 第25章 音楽聴取  エステバン・ビュシュ
 第26章 画面、あるいは情動の巨大実験室  オリヴィエ・モンジャン

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