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倉谷滋『反復幻想/進化と発生とゲノムの階層性』

☆mediopos-3046  2023.3.21

「発生は進化を繰り返す」
つまり「個体発生は系統発生を繰り返す」
という「発生反復説」は

一九世紀にエルンスト・ヘッケルによって提唱され
その名は宮沢賢治の詩にさえ登場するほどだったが
その後ドイツ形態学としても
二〇世紀にはいったん否定され
タブーのようにみなされるようになったという

しかし二〇世紀も終わりに近づく頃になって
エピジェネティクス研究が進み
「胚の中の個々の細胞が発生中
どのような遺伝子制御の変遷を経験し、
そのときDNAに何が生じているのかまでが
記述されるようにな」るなかで
生物の系統関係や生物進化の道筋が再検討されはじめている

もちろんかつてのヘッケルの「発生反復説」そのものは
すでにそのまま通用することはなくなったのだが
「進化生物学の文脈において
真に明らかに示すべきテーマとして返り咲いた」という

「そのゴールはまだまだ遠い先に」あり
決してそれが結論づけられているということではないものの

「なぜ反復のように見える現象が生じ、その背景に
どのような進化メカニズムが働いているのかという問題を、
思想にかかわらず生物学的に検証してみること」
そのことは忘れられてはならないと明言している

果たして「反復」の正体は如何に
それが意味するものは何か

本書の意図とはずいぶん離れてしまうだろうが
そうした問いを生物学においてだけではく
感覚・感情・思考においても
その発生と進化における「反復」として
さらには生まれて後から獲得されるものとしても
とらえてみるのも興味深く思われる

また生物だけではなく
言語においてそれらをとらえたときも
(もちろん私たちが言語を獲得する過程もそうだが)
「発生は進化を繰り返す」という視点でとらえたとき
言語はどんな「反復」と変化の過程を辿るのだろう

本書を読みながら
そんなことも「幻想」してみた次第・・・

■倉谷滋『反復幻想/進化と発生とゲノムの階層性』
 (工作舎 2022/12)

(「はじめに」より)

「本書を手にした読書諸氏なら、「発生は進化を繰り返す」という言葉をどこかで聞いたことがあるだろう。発生するうちに姿を刻々と変えてゆく動物胚や幼生の姿にあたかも進化を見るように感じた体験や、逆に進化のイメージの中に発生と共通する、何か得体の知れない発展の原理を目の当たりにしているかのような体験に基づく台詞だ。専門的には「個体発生は系統発生を繰り返す」ともいう。曰く、「人間は胎生期に魚のような鰓を持ち、祖先が辿った進化の道筋に沿って発生する」、あるいは「発生中のヘビにも、一過性に足の原基ができている」などなど。最近なら、「恐竜の仲間から進化したトリは、その成長過程で恐竜の姿を経過する」という考えのものに、獣脚類恐竜の復元図が巨大な「ヒナ」のように描かれる。

 発生過程は進化と同じ順序で進行する。そしてそれが自然の原理なのである————このような考え方を「発生反復説」、もしくは単に「反復説」と呼ぶ。それが科学理論として正しいのかどうかはまだわからない。が、その考えを初めて生物学の言葉にした一九世紀ドイツの生物学者にして博物学者、イェナ大学教授であったエルンスト・ヘッケルの名は、とりわけ日本では一般にかなりよく知られている。本書では反復説の正確な内容と由来、そして何よりその科学的信憑性について詳述し、それを手掛かりに進化と発生の間に本当は何が起こっているのか考えていく。」

「確かなのは、およそヘッケルほどこの世界の成り立ちに潜む生命の神秘に入れあげた科学者はいないということだろう。ヘッケルは、それまで観念論のレベルに留まっていた形態学、つまり比較解剖学と比較発生学、そして古生物学を、進化論をベースに正統派科学として再生させ、統合し、新たな科学的自然観を作り上げようとしたのである。あるいは、この惑星のうえで生命が辿ってきた道を、文字通り記述し尽くそうとしていたのだ。そのために必要だったのは、すべての生物が互いにどのような繋がりを持って生まれてきたのか、生物個体をどのように定義づけるか、そしてそれがどのように発生現象に現れているかについての情報である。そのような生物個体の進化的繋がりを視覚化したのが系統樹であり、その形を根拠づけるために必要な理論が、あの発生反復説なのであった。」

「ニワトリのヒナは、わずか二〇日で卵という単一の細胞から発生する。そして、アリストテレスの時代から二〇〇〇年以上を費やしてなお、我々はその仕組みをいまだ理解しえないでいる。そのような複雑極まりない形態進化や発生の仕組み、生物種のめくるめく多様化の中に拘束や同一性を発見し、多様性の深層に潜むものの正体を感知しようとした学問が一九世紀前半の「形態学」であり、同世紀後半、ヘッケルとゲーゲンバウアーが進化論を取り入れ、ドイツはイェナの地でこれを純粋科学にしようと奮闘したのであった。が、そのドイツ形態学は二〇世紀に至って虚しく潰えてしまったとナイハートは分析している。

 しかし、その判断は時期尚早だったようだ。一九九〇年代に興隆した進化発生学は、ドイツ比較形態学の根幹を分子遺伝学的な機械論で塗り替えると同時に、様々な動物の発生機構に隠された驚くべき分子レベルの保存性を次々に暴き出していった。あらためて形態進化の奥深さに瞠目した研究者たちはいつしか、形態学的相同性をもたらしている何等かの下部構造を究めようとし、さらに発生システムの中に形成される揺らぎや拘束、あるいは発生負荷と呼ばれる因果論の中に、ボディプランの要因やその進化の可能性を見出そうとし始めた。いまや、形態学の精神はすっかり甦ってしまった。発生反復は果たして、この形態学新世紀にあの魅力的な姿を取り戻すのだろうか。」

「単に反復説を古典的教義、もしくは異端の学説として捨ててしまう前に、あるいは盲目的にそれを信じてしまう前に、まず反復説の考えを正しく吟味し、それがヘッケル一人に由来するものではなく、さらに発生と進化の間だけに反復が捉えられていたわけではないということを確認し、進化生物学の現在と将来を考えてみることが肝要だろう。(・・・)

 現代ではゲノムシーケンシングやゲノム編集技術が発達し、従来は比較的退学的センスや思弁的な議論に頼っていた比較研究に大量のデータがもたらされるようになった。そして、これまで不可能であった多くの研究が文字通り可能になりつつある。その最初の成果として二〇世紀終盤以来、生物の系統関係も改訂を余儀なくされ、生物進化の道筋もかなり正確にわかってきた。続いて、エピジェネティクス研究が開花し、胚の中の個々の細胞が発生中どのような遺伝子制御の変遷を経験し、そのときDNAに何が生じているのかまでが記述されるようになった。そのようなときだからこそ、生物学思想を見直す重要性が増すのである。

 なかでも忘れてならないのは、なぜ反復のように見える現象が生じ、その背景にどのような進化メカニズムが働いているのかという問題を、思想にかかわらず生物学的に検証してみることだ。あるいは、発生反復という理解の図式を導いた理由を知ることだ。「発生と進化を同一視、あるいは比較してもよいのか」について誰かから確固としたお墨付きをもらいたいのなら、本書はおそらく何の役にも立たない。それはそもそも問いが間違っている。むしろ本書を通じて「反復」の意味するものについて考え、悩み、不思議に思い、自然を解釈しようとする人間の思想史が様々に変遷を繰り返してきたことを知り、それを通じて我々を取り巻く自然の姿、生命の本質や起源がこれまでより少しでも興味深いものに思えたなら、それは私にとって望外のことというよりほかない。」

(「後記」より)

「ヘッケルの言う発生反復説それ自体は、二一世紀のいまではすでに通用しない。しかし、そこで示唆された興味深い進化と発生の傾向、そしてヘッケルが間接的に示した問題の所在とその重要性はいかんとも否定しがたい。これまで発生反復説が、進化生物学や比較発生学にとって重要なビジョンと課題を提供し続けたことだけは間違いがないのだ。同事にそれは多くの学者の思想に影響し、ある者は失望のうちに比較発生学研究から実を引き、ある者は本質的な重要に性に気づき、徐々に反復説はタブーの地位を脱して進化生物学の文脈において真に明らかに示すべきテーマとして返り咲いた。」

「あらためてみれば、発生反復説は進化生物学のすべての領野を潜在的に含みうる、膨大な問いかけを我々に対して投げかけている。生物の生活環の中でどの表現型や発生パターンがどのように選択され、その結果ゲノムのどこが選び出され、それを通じて発生プログラムがどのように変更し。ひいてはどのような発生経路がシェイプアップされてゆくのかという問題であり、それ以上に発生プロセスや発生プログラムがどのように進化してきたのかという問いこそが本質なのである。生体の形、つまり「永続的な形態」は進化の帰結のほんの一部にしか過ぎないのだ。こういった一連の問題群こそまさに「ゲノム型はどのように表現型とリンクするか」という生物学における最大の難問の中核となっている。

 この問題を扱ううえで、生物現象の背景にある階層構造、互いに異なった様々なレイヤーの存在に気がつかないではいられない。そのレイヤーのそれぞれは独立に存在しているわけではなく、異なったレイヤー間を結びつける機構的連関がいくつも存在し。それら様々な繋がりからなる複雑怪奇なネットワークの総体が、進化と発生という二つの時間の中で互いに強く連関し合いながら形を変えてゆく。かつて変化の主導権を握っていた進化のロジックは、いまや発生過程と対等に相互作用するものとなってしまった。そこには、様々なレイヤーの中の様々なモジュールやモジュール間の相互作用が犇めいている。いま、我々が相手にしているのは、そんな膨大な網の目の中に浮かび上がってきた「形」なのである。その形の中で、同じ因果を共有したイベントの重なりに、我々は「反復」という印象を見出してきた。かくして、反復の正体を見極めることは、生物進化の全貌を把握することにも等しい。そう気づいたろき、はたとある事実に思い至った————この本の執筆は終わらない。少なくとも、そのゴールはまだまだ遠い先にある————執筆を通じてそんなことをあらためれ確認し、筆を置いた次第であった。」

◎倉谷 滋(Shigeru Kuratani)
1958年、大阪府出身。京都大学大学院博士課程修了、理学博士。米国ジョージア大学、ベイラー医科大学への留学の後、熊本大学医学助教授、岡山大学理学部教授を経て、現在、理化学研究所主任研究員。主な研究テーマは、「脊椎動物頭部の起源と進化」、「カメの甲をもたらした発生プログラムの進化」、「脊椎動物筋骨格系の進化」など。

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