泊まれる演劇「雨と花束」構造進化論



はじめに

このnoteは、泊まれる演劇「雨と花束」が本当に素晴らしかったので、それに感動した一参加者が、過去3作と比較して、どう泊まれる演劇の構造、システムが進化してきたのか、参加者視点で勝手に考察したもの、です。なので当然的外れのことを言っている可能性をご承知おきください。

物語、キャストの演技、演出、美術、音楽など素晴らしいことは山ほどあるのですが、特に物語に関して話すと、万が一再演された時にネタバレになり、参加する方々の意欲をそぐのでは、と思ったのでそこは核心には触れていません。システムの話が主ですので、再演があっても、これぐらいであれば知っていてもその体験感は大きくは損なわれないはず、むしろ観たくなるように、という狙いで書いていますが、その時に備えて全く情報は1ミリもいれたくない、という方は読まないという判断もアリかと思います。

システム、物語以外の他要素は、自分の語彙力ではあまり表現し切れず、体験してもらうしかないと思ったので今回はそこは「とても良かった」程度の表現にとどめております。

また、ここで話した内容と同じようなことは、こちらのスペースでも音声で話してたりしますので、もし興味あればどうぞ。ただし、こっちでは遠慮なく物語のネタバレもしています。


過去3作の流れ

まずは、泊まれる演劇が、どういう進化を遂げてきたのか。あくまで自分視点で、自分が参加した、藍色飯店からの流れを書いていきたいと思います。

藍色飯店

まず先に断っておきます。僕は藍色飯店が大好きです
なので、他2作に比べて、この項だけ長いです。

これだけ雨と花束、そこまでの進化を語るnote、って断っておきながら、好きな泊まれる演劇は?って聞かれたら一番最初に参加した藍色飯店と答えるか、雨と花束と答えるか、悩みます。

ただし、一番オススメな泊まれる演劇は?と聞かれたら、雨と花束、と間違いなく答えるでしょう。まずはその理由を説明していきたいと思います。

藍色飯店には、「時間を忘れたホテル」という特殊な設定があります。
ですので、いくつかの序盤の個室でのイベントは、それが設定的にも矛盾ない形でループし続けます。

その構造自体は、自分の別のnoteでも解説してますのでご参考までに。

ただ、上記にもあるように、途中から時は動き出します。そこで観客はさまざまな物語と多くのエピソードと出会います。そのエピソードをつないでいくと、わかりやすく、そのままではなく、単純化した例に言い換えて表現しますが、たとえばこのようなことが起きます。

AはBより年上
BはCより年上
まあここまではわかりますよね。

そこで、他の人に話を聞くと、
CはAより年上
みたいなの情報が放り込まれてくるのが藍色飯店なのです。

つまりA>B>C>A….のようにつながっている。これらの事象が時が止まった中で語られる。ちょっと意味わかりませんよね。でも、この意味わからないのは、全情報を並べるとこうなるのですが、たとえば、最後のCはAより年上、という情報さえなければ
A>B>C
で素直に情報は確定するのです。

逆にA>Bの情報を見てない人がいれば、その人の視点では
B>C>A
で確定します。

これがどれぐらい狙って作られたのかはわかりませんが、藍色飯店は、むしろ、人によって解釈が変わることを狙っている。つまり物語をひとつに「収束させない」ように作り、人によって視点が変わって、そのために他の人とやりとりすればするほど、え?そうなの?みたいな状況を作りだしているように思いました。それによってむしろ横のつながり、会話、特に感想戦を強くしてる。

僕はこの構造をメビウスの輪のようだ、と思いました。

どこかでねじれが発生しているが、そのどこにねじれがあると認識しているか、によって各自の解釈が変わり、物語は収束するのでなく拡散する。それが藍色飯店の唯一無二の魅力だと思ってます。これによって、終わった後も、その場にめぐり合わせた人同士や、もしくはその後オンラインで別の回だった人と、情報交換が盛んにおこなわれました。

しかし、これには大きな欠点があります。とにかく、わかりにくい、のです。自分なりの解釈をもって楽しめた人はいいのですが、え?どういうこと?となってエンディングシーンであまり感情移入できなかった人も中にはいたのではないか、と周りを見ていても、そして周囲の感想を見ても思いました。(僕は完全に泣いてたのですが、え、みんな泣かないの……?って思ってた……) 

また、僕は1回の体験で十分に思ったのですが、リピーター前提、と感じた人も多かったのではないでしょうか。

藍色飯店はコアなファンに絶賛された一方で、おそらく、どう物語を観客にどう理解してもらって、収束させるか、という課題も抱えたように自分からは見えました。

MIDNIGHT MOTEL'22 “ROUGE VELOURS”

脚本、演出はおなじみSCRAPのきださおりさん、そして一緒に、雨と花束でも脚本、演出をつとめられた、藤井颯太郎さんがクレジットされています。

ROUGE VELOURESは藍色飯店ととても対照的な作品でした。

ある程度地に足の着いたリアルな世界観のもとで、面白い体験ともありつつ、メインの物語はエンディングで、ほぼほぼ解釈のブレなく収束します。ルートによって、あんなことがあった、こんなことがあった、とかももちろんあるのですが、それはラストのエンディングでキャストによって参加者の体験を紹介しつつ、何があったか語られます。

これは参加者全員に物語を理解してもらい、収束させる、という点においては、とてもよくできた構成でした。

しかし、あまりに藍色飯店と対象的だったこの作品には正直ちょっと面喰いました。むしろ謎解きとかに慣れている人間にはこっちの方が一般的なのだとは思うのですが、極端な2作品だったので。終わった後の感想戦は、「きださんだったねー」という一言で感想がはじまるのですが、あまり交換する情報がないなー、と思ったのを覚えてます。


ホテル・インディゴ

さて、そこでホテル・インディゴです。藍色飯店で脚本・演出を務めた山崎彬さんが再び担当します。名前からもなんらかの共通性があることがうかがえますし、期待は高まりました。

おそらく、前年に対照的な二作品をやったこともあり、ホテル・インディゴは新しいチャレンジをやってくるのだろう、と思いましたが、その予想は当たっていました。

藍色飯店のような物語のわかりにくさ、解釈の振れ幅自体は敢えて残っていました。それでもみんなが置いてけぼりにならないように施策がとられました。それは公演の途中でも、キャストが参加者の情報をすいあげ、他の参加者への共有を促す、というものでした。

「どんなことがあった?」とキャストが自分の情報収集のため、という体で参加者にいろいろ聞き、他の人にも聞きます。その場で居合わせた人同士の情報共有がこれによってスムーズに行われ、得られなかった情報が途中でも拾われることになります。これによって、藍色飯店に比べて、各段に物語がわかりやすくなりました。

しかし一方で、ちょっとその途中の共有部分が、多くなりすぎてないか?という気が自分はしました。おおよその状況がわかってるのなら、やっぱりそんな説明よりもまずは体験したい。参加者の情報の共有なら後でもできる。僕はそう感じることがありました。その話前聞いたー、だから別のこと体験したい!というような。

もちろん、ホテルインディゴ自体の物語・体験はとても面白いものでした。ただ、やはり一番参加者に物語を伝えるための収束のさせ方には、一番苦悩が見えた作品、だったかもしれません。

余談ですが、お芝居の終盤、あるキャストが皮肉的に、「そうやってあなたがたは歩き回り、ひとつの答えを求めるのでしょう?」というようなことを参加者側に言ったことを自分は記憶しています。(セリフ自体はうろ覚えですみません) これは、ひょっとして脚本家なりの苦悩の末の嘆きでもあったのかな、とかちょっと思いました。

雨と花束

さてやっと本題です。では、雨と花束はどうやってこの物語の理解度を参加者たちの間でそろえていったのか。

物語の理解度

こちらの記事にあるとおり、実際に今回「ゲスト間での物語の理解度を平均化する」というのはテーマであったことがわかります。

(この記事が出る前にこの自分のnoteかけてたらかっこよかったんですが、同じような内容を前述のスペースでも話してたのでそこは褒めてくださいw)

そして、そのために打たれた施策のひとつが、「三幕構成」であることがわかります。今回、OP、ED以外にも、中盤に2回、全員が集まりお芝居を見る場面が設けられています。この時に、参加者たちの物語の理解度を一定まで引き上げていきます。もちろん、人によって、「そもそもあの人会ってないんだけど誰?」みたいなことは起きますし、実際僕もそうでした。ただ、逆にその集合しての芝居の部分がなければ、その人の存在を知ることすらなく進む可能性があったわけです。それを避けるための三幕構成でした。

その狙いは奏功しました。設定的には、藍色飯店やホテルインディゴほどではないにせよ、若干理解が難しい面もある物語を、全員にほぼ基本の流れは理解できるように演出され、伝えられていきました。

参加者共有

さて、これはホテルインディゴで行われた試み部分です。どうやって、参加者のもっている情報を引き出し、他の参加者に伝えていったのか。

そのために今回取り入れられた大きな仕掛けがあったのです。それは、

参加者に役名を与えたこと

でした。参加者は人格としては参加者のまま、ただ、本名を魔女に知られてはならない、という設定のため、花の名前がそれぞれ与えられていたのです。そのため、自然にキャストは、二人称としてだけでなく、三人称で参加者を呼ぶことができました。このため、「ナズナはこう言ってるけど、ハコベはどう思う?」みたいな会話の振りもできますし、さらに「さっきツユクサがこう言ってたの」みたいな、その場にいない人の体験の話をすることもできます。

この名前をつけることは、参加者の意識を変える部分にも大きく貢献しましたが、こうやって参加者間の情報の共有をスムーズにするのにも役立ちました。

さらに、今回、特にホテルインディゴ、に比べて何が良かったのか。三幕構成でステージ部分で全員の共有情報を増やしたこともあり、無理に参加者との会話で必須の情報共有をしなくても良くなった。そのため、特定の時間帯であるエリアではまだよくわからない……という人のために解説的に情報共有が行われている一方、別の場所では物語が進行していってる。だから情報を聞いたり深掘りすることもできるし、物語の最前線に立つことを選択することもできる。それをプレイヤーにゆだねることが改めてできたのです。

もうひとつ、今回はそういった最前線にたった人から情報がいきわたり過ぎないように、「それは秘密にしておいてください」と参加者に言われるシーンもありました。あくまで大きく情報を伝えるところはキャストの演技するステージで、という意図がありました。

そして、こうやって理解度をあげた結果、終わった後、まわりの方と感想戦するような機会は失われたのか。まったくそんなことはありませんでした。むしろ、その物語を自分はどこからどう眺めたのか、そういった会話は今まで以上に盛んになされました。共通の物語があるがゆえに、それをどう見たのか、という視点の違いによる共有が行われたのです。

システム部分以外の完成度

ここまで、物語の理解度、収束のさせ方、共有のさせ方、について話してきました。ただ、これをメインに話はしましたが、正直、この部分だけで雨と花束の良さは多分1割も伝えられていない、と思います。あくまで、このシステム部分のみにターゲットをあてた話なので。

物語、美術、衣装、芝居、音楽、そしてホテルにも立ち込める香り、雰囲気……そういったものすべてひっくるめて、今までの泊まれる演劇の中でも高レベルであった、と思います。僕は終わった後「体験型イベントとして今までで最高レベルだった」と評しましたが「演劇としても最高だった」と評した方もいらっしゃいました。

イマーシブシアター、体験型イベントの多くが、舞台がなくなったことで「役者が自分のところに降りてきた」と感じさせるなか、名前をつけた効果などもあいまって、雨と花束は確実に「自分が舞台にあがった」と感じさせるものになっていました。この違いは、圧倒的であったと思います。おそらく参加された方は理解いただけるのではないでしょうか。

上記に書いていたこと以外にも、雨と花束には、たくさん、たくさん、素晴らしい点があったと思います。是非あなたの「雨と花束」のことをまた聞かせてください。

そして、本当に次はどうするんだろう?この完成度の高い作品をどうやって超えてくるのか、いい意味で裏切ってくるのか、をとてもわくわくして、期待しています!


2024年、楽しみですね!





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