あの日、あの時

夜の小川のせせらぎが好きだと言っていた。夜中に2人でその音を聞いたことがある。僕らはただ音に耳を澄ませていた。

たしか、車の中で彼女はうずくまっていた。膝掛けを肩まであげて、窓ガラスから耳を出して。闇が僕らのいる車を覆っていた。

せせらぎの波紋は僕らの心にそれぞれぶつかる。そして新たな波紋ができる。心に反響した波紋で僕らはお互いの気持ちに触れることができた。

そうやって時を過ごすことが僕は好きだった。

幻のような時間が幾度も目の前を流れては消え、消えては現れる。

深々と流れる川の音は汚れを洗い流すように、心は浄化されていった。



でも、僕には分かっていた。



こんなことはもう無いのだ、と。



いつまでも続きはしない。はじまりとおわり。必ずセットで訪れる。



あと何時間かすればこの時間は終わりを告げる。



遠くで聞こえた。子どもの泣き声や犬の咆哮。喧騒に気が揺れた。



ねえ、こんなことってあると思う?



どんなこと?



今この瞬間が永遠に続くこと



そうなるといいね



互いに微笑みがこぼれた。



次々と紡がれる川の音に沿って、時がゆっくり僕らを二人の世界から押し出そうとしていた。腕時計が気になった。でも見ない、見たくない。



あの日、この時。僕らは時折そうして思い出すだろう。束の間の永遠を願ったことを。



死の淵を辿るとき、僕は何を想うのだろう。誰にも分からない。誰にも伝えられない。



そうであっても、自分が何を振り返るのか気になった。



千の夜のひとつ。夜空にはひときわ輝く星があった。きっと僕はそれを凝視しながら、触れられずに終えるのだろう。





そう思い、彼女の手を取って、握った。

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