【思春期メモ】 アルゼンチンで14歳の誕生日!お祝いで話した約束
ご訪問ありがとうございます。
父子でのアルゼンチン移住の日々で感じたことを
感じたままにお届けしています。
子供がアルゼンチンで14歳の誕生日を迎えた。
アルゼンチンに来てから一年、父子だけでの移住生活も慣れて、初めて二人きりで外食しながら過ごすという貴重な時間になった。
1.ここまでの1年を振り返る
とにかく思い通りに進まないジレンマの一年だった。海外移住はそういう葛藤との戦いだということはわかってはいた。
コントみたいな日常を受け入れるまでの父子で決めていた合言葉は
『ここは日本じゃない!』だった。
まだまだいっぱいあるはずなのに思い出せない記憶。当たり前に起こるハプニングの日常が普通に思えてきているのかもしれない。
何があっても「ここは日本じゃない」と言って受け入れる。
そんなルールを2人で作っていた。不思議と「日本が良かったな」って思う状況がなかったことが今思えば不思議なこと。
2.一年前の親子の関係は
〇 当時はこんなことを思っていた
まだ一年目の生活、すべて目に入るものが初めてだった。
新鮮でセンセーショナルなことばかり、しかも「安全な場所はない」と言われながら外出していたので、どこに行くにも緊張感だけが高ぶっていた。
そして何となく日常のルーティンが見えた頃に、子供がサッカーの帰り道に発した「ムカつく」っていうワード。
日本語に飢えていたせいか、そんなことに敏感に反応してしまったのだ。
コーチやサッカーの仲間に向けられた言葉だった。
「日本にいた頃と変わってないなぁ。」って思わず言ってしまったことを記憶している。
言葉が理解できず、会話もままならないのに「ムカつく」っていう感情は湧き上がるっていう不思議。
落ち着いて考えると、生活がアルゼンチンに順応してきて、他人に何かを求める余裕ができたんだなって思ったんだ。
愚痴をこぼすっていうことは、自分自身にもジレンマがあって、変えることのできない他人を巻き込んでしまうという心理状態。
「ムカつく」っていう便利な日本語、実は筆者自身が日々の生活の中で相当口にしていたワードだったのかと反省していた。
3.この一年で一番の出来事は
何よりも日本人父子だけでアルゼンチンで生活できてるっていう奇跡。
これを日本にいる時にイメージしたことなんてなかった。なんの迷いも決断もないままに、そんな状況になっていったという移住生活。
そんなアルゼンチンでアルゼンチンがW杯で優勝するっていうミラクル。メッシという最高の選手に憧れて、アルゼンチンという場所を選んだっていう偶然。
2022年が我が家にとってもアルゼンチンにとっても、メモリアルな一年だったということも偶然ではあるけど、「安全な場所がない」国の生活で事故なく暮らせているって事が実感できる思い出になった。
4.2人で約束したこと
仮に今、ここで日本に戻ったとしても、いつかきっとアルゼンチンに来たいって言い出すと思う。だったら、今のアルゼンチンを本番だと思って生きよう。
「また行きたい」って思える場所にいることを、自分に言い聞かせてやるべきことに向き合っていこう。
そんなことを14歳になった誕生日のお祝いに話すことができた。
思い通りにいかないことには慣れてきたし、それが当たり前だと思えるようになった。
今まで制限してきた、一人だけの外出や言語の習得をすることで、見えなかったことも見えるようになってくるし、もっと重大なハプニングにも巻き込まれることもある。
振り返れば笑い話になるようなこと、そんな経験のできた一年は決して無駄じゃなかった。
手探りだった一年を次のジャンプアップに繋げるためには、今のこの瞬間を「リハーサル」ではなく、「本番」なんだと言い聞かせて過ごす必要があるってことは伝わったかな思う。
異国の地で後悔なく過ごすためにも、今を意識することができるような大人に育ってほしいと願っている。
5.ブログもやってます
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