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旧自殺志願者からのメッセージ—スーサイドショップ—

概要

監督・脚本:パトリス・ルコント
製作:ジル・ポデスタ
トマ・ラングマン
ミシェル・ペタン
ローラン・ペタン
アンドレ・ルーロー
セバスティアン・ドゥロワ
原作:ジャン・トゥーレ
音楽:エティエンヌ・ペルション
製作国:フランス/ベルギー/カナダ
配給:コムストック・グループ、キノフィルムズ
技術:カラー(ヒューマントラストシネマ有楽町 ほか)(1)

あらすじ

どんよりとした雰囲気が漂い、人々が生きる意欲を持てずにいる大都市。その片隅で、首つりロープ、腹切りセット、毒リンゴといった、自殺するのに便利なアイテムを販売する自殺用品専門店を開いているトゥヴァシュ一家。そんな商売をしているせいか、父ミシマ、母ルクレス、長女マリリン、長男ヴァンサンと、家族の誰もが一度たりともほほ笑んだことがなかった。人生を楽しもうとしない彼らだったが、無邪気な赤ちゃんが生まれたことで家庭内の雰囲気が少しずつ変わり始め……。(2)

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特徴

自殺について

 自殺はこの作品の主題である。人生に生き続けることに疲労しており、この苦痛が続くのならと此岸から逃避してしまう人達に自殺専門用品を売る事を家業とする家族の絶望を象徴に、生きることの迷いを描いている。終盤の登場人物二人の自殺願望を通して表現される絶望、生還、人生とは何か、幸福とは、死とはを我々に投げかける。


アメリカとも日本とも違う映像技術

 アニメというと思い浮かべるの日本特有の顔だけがデフォルメ調で身体が写実的な人物で少ない枚数の中で描かれる為止め絵やズームアップを多用するアニメとアメリカのカートゥーン調の身体と顔、動きの全てがデフォルメ調で多くの枚数を重ねて描かれた滑らかに動くアニメであるがこの作品は人物全体は風刺画な様なデフォルメ具合であり、動きも独特で関節をピンでとめて手足を360°動けるようにした絵をストップモーションで動かした様である。


良い点

背景

 楽観的な息子のアラン以外は全体的にゴシックロマンスであり、暗いながら美を感じる耽美的な人物達である。この作品の舞台の都市も全体的に黒と灰色を多用して暗い印象を保ち、不細工な鼠が這いまわるデストピア的な雰囲気を持っている。警察官なども顔をはっきりと映さず、シルエットだけなどで暗い雰囲気が加速している。そして自殺用品店を開くトゥヴァシュ一の家の内装も美しく、ヴィクトリア朝の研究室の様な秩序的でありながらも不吉で背筋が凍る雰囲気を醸し出している。


 彼等心情は主に歌で表現されており、その歌も全体的にクラシックでありながらも暗い埃臭さと不吉さを出しており、映像と相まって独特な雰囲気を出している。子供たちの明るい歌や今どきの歌も流れる。子どもは未成熟の強いられた高音とリズムで、大人は安定感のある高低差や抑揚が滑らかな歌っており、それがさらに没入感を与え、素晴らしい出来栄えになっている。


自殺する理由

 自殺用品店に向かう人は全て暗い顔のもので目に隈があり疲労で身体がやつれている。彼らにとってこの人生はつらいもので早くこの苦痛を終わらせたいと考えているがこの自殺志願者の何気ない悲痛さがさりげなく伝わり、それによってその苦痛を取り除くことを家業としているトゥヴァシュ一家の使命なども強調されている。その為トゥヴァシュ一家の自殺願望にも、家族を元気にしたいアランの溌剌さも共感できるものとなっている。

悪い点

アランにたいしての家族の感情

 自殺志願者やトゥヴァシュ一家の苦痛と疲労が掘り下げられている中家族のアランに対しての感情の変化、嫌悪からの好意が十分表現されておらず、マリリンに恋人が出来た後にアランをすぐに受け入れられているのは違和感を禁じ得ない。加えてアランを受け入れる前ににノートからのマリリンのヌードの素描を見つけるのはちぐはぐな感じが否めない。
 一方でミシマがアランに煙草を与えたりして煙たがり、そして息子の事で鬱になり、仕事が出来なくなるなどの描写がある為、彼がアランを殺そうとするのは飲み込めるので負の感情の描写が多く、もう少し好意的な描写も増えた方が良いと感じた。(ミシマがアランを受け入れる描写は違和感なく受け入れられた。それはミシマの妄想的であったアランの死が現実のものとなる差で正気になったことにより彼の繊細な本性が現れでて、アランの生存が確認出来たことでこれまでの執念が滑稽だと感じた為であった。)


大人向け

 自殺志願者が自殺を行うシーンがありそこを子どもが見るとトラウマを感じるので子供向けというわけにはいかない。そして全体の位雰囲気は歌などを鑑みても大人向けと言わざるを得ない。そして最後のアランとミシマのシーンなども子どもたちは馴染みがなく理解できないだろう。親は子供の可笑しな行動を微笑ましく笑うものである。

感想

ミシマが渡したクレープ

 最後にミシマが自殺志願者に渡した青酸カリ入りのクレープを自殺志願者は自分の意志で食べた。自殺を失敗した彼は生きる疲労より自殺を繰り返したのである。そんな彼とは違い自殺を試みたミシマは家族に止められる。彼には家族を持っていたがそれとともに生きる楽しさを見つけ、そして物語の最後に彼ら家族は自殺志願者に向かって生きる事の楽しさを見つけようと言っている、これはアランがミシマを笑わせると同様にこの映画で生きる楽しさを今まさに自殺しようとしているものに訴えている。


それでもミシマは自殺志願者に売り続ける

 アランは彼の自殺を止めたが彼の仕事を止められたわけではない。アランが救ったのはミシマという個人だけで自殺者全体には向かっていなかったのだ。それ故にミシマは自殺志願者が求めるのなら道具を与える。先任者の様にミシマは自殺の道具を与えるという方法で自殺志願者を救う為に。


(註)

(1)、(2)、(3)以下からあらすじ引用、画像転載


リンク

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