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魂のはなし…信仰と宗教のはなし

信仰心は大切だけど…
宗教って必要ですか?

信仰とは信じ崇めること
日々の生活に彩りを与え
心を温かく照らすものです
推しや目標としている人物に心ときめいたり
趣味に没頭している時のような
恍惚感を与えてくれるものです

ですが私にとって宗教とは
ああしろ、こうしろと
いちいちうるさいモノという認識がります
(これは私の個人的な感想です)
宗教は
“あなたの為を思って言っているのよ“
が口癖の厄介な親や柵に思えてなりません

お釈迦さまが悟りを開いた時
その周りにお釈迦さまを慕い
そしてその言葉に感動して
多くの人が集まりました
それが信仰の始まりです

お釈迦さまはその時既にあった宗教バラモン教の
カースト制度を無くすような教えも説いていました
カースト制の下層の人も女性も受け入れたのです
そんな素敵な改革者に
人々がときめかないはずがありません
このときめきが信仰だと思っています

キリスト教もそうです
イエス・キリストを慕って
多くの人々が集まりました
お釈迦さまと同じ様に
職業の区別や性別の区別はしなかったでしょう
ですがキリスト教という宗教になると
12使徒(弟子)は男性のみになりました
しかもマリア様の処女性も
大事なことになってしまいます

西洋の中世の芸術作品を見ていくと
この頃はほとんどキリスト教の芸術なのですが
キリスト教の宗教的な教えに
密かに反発した跡が随所に見て取れます
今と違って作品を作る時に沢山の制約がありました
それにスポンサーの意に反した作品を作ることはできません
それでもこっそりと忍ばせています

中世の時代にの有識者の中には
信仰としてのキリスト教の教えは理解できる
けれども
組織として成り立ってしまった宗教には
違和感を感じる人もいたのでしょう

私たち人類は
宗教という名の大義名分のもと
善行もしてきましたが
悪行もしてきました

キリスト教では
大航海時代に多くの植民地を作ったこと
そこで多くの文化や言語を奪いました
イスラム教は今でも紛争が絶えませんし
古くはバラモン教は
今でも根強く残るカースト制度を作りました

一つには多くの宗教が“愛“を説いたこと
“愛“のもとで人々は様々な大義名分を叫ぶことができます
“愛“ではなく
“感謝“であったなら…

そしてもう一つは
宗教ではなく信仰を大切にしていたなら
世界は大きく違ったであろうと思います

日本は無宗教です
本当の意味での信仰の自由がある国だと思います
宗教と宗教の間の葛藤や
宗教の中でのしがらみもなく
ただただ好きな神様を信仰できる
何なら全ての神様を信仰できる自由がある
本当に幸せなことだと思います

信仰は私たちを豊かにしてくれるものですが
宗教はいらないと思いませんか?


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