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魂のはなし…オリンピック開会式と宗教のはなし

東京オリンピックの開会式も
途中でテレビを消してしまいましたが
まさかオリンピック開会式途中で
子供に“見ちゃだめ!“と言わなければならないとは

実際私はオリンピックがいつ始まるのか定かでなく
ダイジェスト版を見ただけなのですけれど
おそらく世界中のお母さんたちが
“見ちゃだめ!“と言ったことでしょう

それより
東京オリンピックの時もそうでしたが
直前に色々なことが変更になり
付け焼き刃な感じのオープニングになりましたが
フランスでもそうだったのでしょうか?

そもそもピエール・ド・クーベルトはフランス人
近代オリンピック発祥はフランスなのに
この人はフランス人?
これはフランスの絵画なの?
という演出が多かったですね
フランスには素晴らしい伝統と文化があるのに
と思ってしまいました

ただこの開会式を見て
潮目がきていることを確信しました

何かしらの宗教に入信していたり
信じている人には申し訳ないですが

信仰心は大切だけど
宗教という組織は必要ないかな
そう思っています

心の拠り所となる信仰心は大切です
正直なところ
その信仰心の対象が
アニメのキャラクターやアイドルでもいいのです
古代人から見た神々はそういう位置付けだったのですから

神々は日々の生活を
楽しく豊かにするために
存在しました
悩み事がある時
その人のことを考えると
ちょっと前向きに考えることができる
そういう存在はとても大切です

昔々私はドイツで西洋美術史を学びました
なのでキリスト教のことはかなり理解しているつもりです
ですがイスラム教んはどのことはほとんど知りません
ですからここでの宗教や神は
キリスト教のことになります

ローマ時代以降
ヨーロッパの美術はキリスト教と共にありました
中世の時代の芸術作品には
宗教上の制約がたくさんありました
その制約の中で製作しないと
スポンサーがつかないことになります

芸術家は一人ではなく
グループで活動していました
建築会社の下請けのような感んじですね
ですからスポンサーがいないと
作品を世に出すことはできませんでした

ですから芸術家たちは
制約の範囲内で
まるで暗号のように
神を崇める気持ちはあるけれど
宗教には反対しているような表現が散見されるのです

今回の開会式で話題になっている
“最後の晩餐“のオリジナルのフレスコ画
にも多く散見されます
ですから宗教に反対するようなそういう表現も
今の時代“あり“ではあるのかもしれませんが
今回のはやりすぎですよね
問題提起だったとしても
オリンピックでするべきものではないかと思います

そして“ヨハネの黙示録“を彷彿とさせる
青白い馬の演出
ヨハネの黙示録は世界の終末の予言書としても有名ですよね

ヨハネの黙示録を読んだことがある人は
私と同じように思う人もいるかもしれません

ヨハネに対しての神の言葉
“ああしろ“
“こうしなければ云々“
“供物を捧げろ“
などなど
うざいのです(すみません)

もしあの馬の演出が
ヨハネの黙示録が
人々の意識にとまり
集合意識となって

ヨハネの黙示録に書かれている
終末予言が回避できるのであれば
災転じて福をなすのかもしれません

今私たちは
大きな潮目(転換期)にいます
色々なことに嫌悪感を覚えたり
理不尽さを感じるかもしれません
その違和感を深掘りしてください
あなたが感じた違和感は
集合意識となって
より良い世界になるための
蝶の羽ばたき(バタフライエフェクト)になります

今までのように
宗教や何かの団体に金銭を払う必要はありません
全てはあなたの中にあります
あなたの魂はもともと一つで
全てのものと繋がっているのですから




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