アーユルヴェーダ物語

もう何年前になるだろう?
アーユルヴェーダを習い始めインド&スリランカと日本を年に数往復しタイのバンコクを中継地としていた頃。
たぶん20年は過ぎている。
当時はバックパックを背負ってインドとスリランカのアーユルヴェーダクリニックやリゾートを訪ね、どのような治療法があるのか体験していた。

日本に帰る前にバンコクに寄りタイ古式マッサージの総本山ワットポー寺院のスクールに行った時、たまたま居合わせた校長先生と話すことが出来た。

私がインドにアーユルヴェーダを学びに行っていると話したら「私はアーユルヴェーダをとても尊敬しています。それはタイ古式マッサージのルーツはアーユルヴェーダでタイにアーユルヴェーダを持って来たのは釈迦の弟子であり主治医の耆婆(ぎば・ジーヴァカ)だからです」と話されていた。

史実は耆婆では無く、耆婆の弟子だと思われるけれど、アーユルヴェーダを広めたのは仏教徒である。
それは権威的なバラモン階級は、クシャトリヤやマハラジャなどの富裕層だけ治療していたのと、アーユルヴェーダの治療法は門外不出で
他人に教えると効力が無くなるとバラモン達は言い伝えていた。

しかし、仏教徒は反権威主義で、人々を苦悩から救うために生きる事が人生を賭する使命であると定めて布教活動をしながら病者を治療していた。

耆婆がアーユルヴェーダを習い師匠から卒業試験を受けた時の逸話がある。
耆婆の師匠が丸薬を耆婆に与え「この薬の成分が解るか?」と質問したところ、耆婆は総て明らかに答えた言われている。

耆婆が初めて治療したのは蓄膿症で、現代でも診断が難しいと言われている腸閉塞も耆婆の優れた診察眼によって見つけたり、人類で初めて全身麻酔を使って開頭手術もしている。

仏教説話で有名な話は反逆者・提婆達多にそそのかされて父親の王を殺し王位に就いた。
阿闍世アジャセに悪瘡が出来て色んな医師が治療を施しても、高位のバラモンが祈祷をしても、癒やされるどころか悪化を繰り返し耆婆に治療を依頼したけれど、この病は精神・心と業カルマによるものなので、自分には治すことが出来ない。
釈迦でしか治すことが出来ない事を悟り、釈迦のもとに阿闍世を連れて行き釈迦との対話の中で、父親を殺した慚愧の念を起こし仏教に帰依し悪瘡が癒えたと言われている。

天台宗の一念三千観念観法の修行では、外界と自身の内面に十境という対境を立て、移り行く自身の念を止め、観て、外界に生じては滅する現象世界を観る。
その十境の一つに病患境がある。
これは自身の中に病を観じる時、それは業カルマが謝しているとしている。
十境は他に二乗境や増上慢境などがある。

仏教医学では薬や治療に優れた効果を現すためには報恩の心が必要だとしている。

阿闍世の名前は現代の心理学に使われている。
阿闍世コンプレックス
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%97%8D%E4%B8%96%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

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