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ロマンスやエロティカの境なく楽しむ時代に 売上急増の背景にある新たな読者像

日本国外ではロマンスやエロティカに関する書籍の売り上げが急速に伸びているようです。特に米国や英国では2020年から2023年にかけて売上が倍増しており、英ガーディアンによると、若年層(ミレニアル世代とZ世代)の「体裁」や「恥」への意識の変化が大きく影響しているようです。一方の日本でもセックスの指南書から、セクシャルウェルネスの書籍まで様々に出版されています。本記事では現代における性に関する出版やメディア事情について取り上げます。

エロティカは文学ではない?

エロティカは性的な興奮を起こしたりするような官能的な描写を伴う芸術に使われ、文学もその範囲に入りますが、ロマンスには「ロマンス文学」という確固たる言葉がある一方で、エロティカは、定義上、文学とはみなされてきませんでした。
 
米作家のスーザン・ソンタグはエッセイ『The Pornographic Imagination』の中で、その理由を説明しています。
 
まず、彼女は「読者を興奮させようとすることは、文学の複雑な機能と対立するもの」であると指摘します。

そして、ポルノ的な書き物は「始まり」、「中盤」、「終わり」という構成を欠いていること。さらに、「その目的は言葉が低俗化された…役割を果たす非言語的な幻想を喚起することにある」こと。そして「それは完全に形成された人物を軽蔑し、動機の問題を無視する」という点です。

ソンタグは、『O嬢の物語』や『目の物語』、ベルギー作家ピエール・ルイスの問題作『セックス・レッスン 母娘特訓(Trois Filles de leur Mère)』を引用し、エロティカに対する従来の見解を慎重に再評価しています。
 
しかし、アメリカのロマンス専門書店「Ripped Bodice」の共同創業者のリア・コッチ氏は「エロティカの定義は、キャラクターの成長が性的な状況から生まれること」と定義しており、この定義からはエロティカが文学であるも言えるかもしれません。『フィフティ・シェイズ』シリーズや、最近のミランダ・ジュライによる『All Fours』など、キャラクターはセックスを通して描かれることが多いためです。
 
こうしたことを考えると、エロティカが文学であるかどうかはもはや大きな問題にはなっていないのかもしれません。SNSの影響か、あるいは単に時代の流れかは定かではありませんが、現代の読者は「体裁」を気にすることが少なくなっているようです。

現代の出版業界におけるエロティカとロマンスの急成長

 こうしたことを背景に、ガーディアンは「女性が読むもの」として偏見があったロマンスやエロティカが、今やより広範な読者に受け入れられていると指摘します。これが、冒頭のように欧米での売上倍増に寄与しているようです。そして女性だけに限らない読者の幅の広がりは、ジャンルの多様化、さらにはそこから細分化に繋がります。
 
単に「ロマンス」や「エロティカ」の違いだけではなく、「スティーミー」(情熱)と「スマッティー」(卑猥)の違い、ファンタジーやサーガ・フィクションなどを細かく区別し、ジャンルを無限に細分化しています。読者は自分の好みに応じて適切な作品を見つけやすくなり、書店もこうしたニーズに応じた品揃えを行っているようです。

オメガバースへの注目も

 こうした多様なジャンルの広がりと同時に、新たに「オメガバース」と呼ばれるエロティックなフィクションにも注目が集まっています。オメガバースは単なるポルノではなく、ジェンダーや性的指向に制約がないユニークな世界観を持つもので、従来の性別や社会的な役割に対する固定観念を壊しています。例えば、男性が妊娠可能で、発情期をもち、人間らしい理性と、抗えない本能の葛藤を持つジャンルとして知られています。
 
このジャンルは、ファンタジーや支配・従属のテーマを絡め、読者に強烈な世界観を提供しています。
 
そして、受け入れられている要因として、これらの作品が現実の資本主義的な制約から逃れるための「逃避」として機能しているという点をガーディアンは挙げています。多くのロマンスやエロティカの作品では、登場人物たちは経済的な問題を持たず、日常の制約から解放されています。例えば、宇宙では食べ物が3Dプリントされ、妖精が食料を提供してくれるといった設定が登場し、キャラクターたちはお金の心配をすることなく恋愛や性的な冒険に没頭できるのです。これは現代社会の「資本主義疲れ」に対する読者の潜在的なニーズを反映していると考えられるでしょう。
 
さらに、日本でも2024年9月に翻訳本が出版された「ロマンタジー」である『フォース・ウィング―第四騎竜団の戦姫―」が大きな話題となっています。内容はファンタジーでありながらもエロティックな描写が取り入れられており、読者が性的な描写と物語を同時に受け入れる読書体験を求めていることが示されました。

エロティカは日本では漫画に

一方で、日本では官能的な内容が王道の文学の注目を集めることは少ない印象です。
 
ただ、2000年代には中高生の間では新たな文学の形として「ケータイ小説」が流行しました。この中では、個人サイトで発表されるものも多く、出版社などを通していないことから著者の実体験をベースにした過激な描写が特徴でした。
 
このケータイ小説から官能小説も生まれ、売れっ子作家も登場しています。このケータイ小説から官能小説家へと転身したことで知られる逢見るいさんが2020年の「ダ・ヴィンチ」でのインタビューに答えたところによると、逢見さんが24歳ごろにケータイ小説を執筆し始めて当初は今でいう『ティーンズラブ』に関して書いていたそうです。これが「出せば売れる」ほどだったと言いますが、インタビューでは「求められる内容にも変化があった」と言います。
 
「ガラケーからスマホに移行し始めたあたりで、『ティーンズラブ』や『ボーイズラブ』というジャンルが一気に広がり始めたんです。(中略) 求められる内容にも変化がありました。それまではとにかく抜けることが目的で、濡れ場がメインのショートストーリーだったけど、それに加えて恋愛要素やストーリーを楽しみたいという読者が増えてきた。携帯と比べて画面が大きくなり、長いテキストも読みやすくなったことも影響はしていると思います。」
 
ただ、逢見さんがインタビューで「現代はティーンズラブもボーイズラブも小説はあまり売れなくなっていて」と答えているように、セクシャルなテーマは漫画やゲームに人気が移行しています。
 
出版科学研究所によると、電子出版の市場規模はコミックに限ると、2014年の887億円から2022年には4479億円へと約5倍に増えています。一方で電子書籍は増加はしているものの、2014年の192億円から2022年は446億円と2.3倍に止まっています。
 
電子コミックは巣ごもり需要もあってユーザー層を大きく拡大。各社が積極的に展開するキャンペーンやフェアの効果もあり、映像化作品や電子書籍ストアオリジナル作品などが売れ行きを伸ばしているそうです。この正確な統計はありませんが、この電子コミックにおいて、セクシャルなテーマが大きな割合を占めていることは間違い無いでしょう
 
一方で、近年の日本の若者の間では、欧米からのトレンドが影響を与え始めています。例えば、「オメガバース」も日本の同人文化やBL作品の中で一定の人気を誇っています。また、ライトノベルやオンライン小説のプラットフォームでも、異世界転生やファンタジーと絡めたロマンスが増えてきています。
 
アメリカのロマンス専門書店「Ripped Bodice」の共同創業者のリア・コッチ氏は世代間のいくつかの変化を指摘しています。最初の変化は、「若いほど、性やロマンスに対する恥やスティグマ、そして狭量さが少なくなる傾向がある」というものです。
 
もう一つの変化は非常に興味深いものです。「ミレニアル世代やZ世代の読者は、登場人物に共感できるかどうかをあまり気にしない傾向があります」と彼女は続けます。
 
「ベビーブーマー世代やX世代の読者は、登場人物がゲイだったり黒人だったりすると共感できないと言いますが、若い世代は、登場人物が狼男でも気にしません。

Z世代・ミレニアル世代の態度の変化

欧米では、Z世代やミレニアル世代が、性やロマンスに対する偏見を持たず、多様な性的指向やジェンダーを含む物語に対してオープンな態度を取っていることが、ロマンスやエロティカの人気を支えています。たとえば、LGBTQ+キャラクターやノンバイナリーなキャラクターが登場する作品が人気を集めています。
 
日本でも、Z世代やミレニアル世代の間で性やジェンダーに対するオープンな態度が広がりつつあります。特にBL(ボーイズラブ)やGL(ガールズラブ)といったジャンルが多様な読者層に受け入れられており、ジェンダーレスなキャラクターが登場する作品も増加しています。しかし、社会全体としては、まだLGBTQ+への認識が欧米ほど広がっておらず、出版市場においてもLGBTQ+作品が主流にはなっていないでしょう。

まとめ

作品が文学的かどうかや、品位に関わるかどうかは問題視されなくなりました。たとえば、公共の場でオメガバースの小説を読んでも、恥じることなく、たとえ誤解されて「ポルノ」だと思われても意に介さない。また、ヤングアダルト向けの作品を読んでいても、実際に若くないことは気にならない。そして、たとえ父権的な社会がその行為を批判的に見ても、読者はその影響を受けることはないのです。
 
欧米と日本ではロマンスやエロティカに対する読者の態度や市場の動向に共通点もあれば違いもあります。欧米ではロマンスやエロティカの売上が急増し、Z世代やミレニアル世代の読者が体裁や恥に対して寛容になり、これが市場の成長を支えています。一方、日本ではマンガやライトノベルといった既存のメディアがロマンスやエロティカの需要を満たしており、特に大きな売上の伸びは見られないものの、異世界転生やファンタジーと絡めた恋愛作品が若い世代に人気です。また、ジェンダーや性的指向に対するオープンさも少しずつ広がっているものの、欧米と比べるとまだ成熟の途上にあるかもしれません。
 

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