昨夜のカレー、明日のパン リプライズ
2014年の放送「昨夜のカレー、明日のパン」。
2015年、大きな病気が見つかって、手術した。その同じ時期に、とてもこのドラマに魅かれて、繰り返し見て、原作本を買って入院した。
入院する前の1ヶ月ほど、私は生前整理に勤しんだ。無心になって作業をするということが、その時の自分の精神には助けになっていた。荷物の整理を本格的にして、しっかり時間がかかった。気がかりなことですぐにはどうにもできないものについては、元夫に託すことにした。
入院は3週間ほどに長引いた。患者というのは、患者のなかで優等生になりたいものである。自己像ががたがたになっているところを、「順調ですね」と声をかけてもらうということはとても大事なこと。ところが、なかなか血液検査の炎症の値が下がらず、点滴が終わらず、もともとの重大な病気であるということのストレスに比べたら点滴などどうということがない、と思われるかもしれないけれど、同じ病気の同じ病室の人たちが回復していくのに遅れをとるということに、焦りを感じるのだから仕方ない。
術後、身動きが取れない間、私はずっと星野源の2枚のアルバムをiPodでぐるぐる聴いていた。目を閉じれば柔らかい産毛の豆の鞘にでも包まれているかのような、声とことばとメロディと音で、寝る時には特にこの音楽がとても必要だった。
大きな手術をしても、数時間後には自力でトイレに行くように促される。からだを起こすのはベッドの力を借りて、でも体の向きを変えるのは時間がかかった。すこし動けるようになっても、体力が落ちて売店にいくのに途中で休憩が必要だった。ペットボトルを3本くらい持ち帰るのもつらかった。からだの内側の傷を治すほうに自分のエネルギーがどんどん費やされて、筋力があっという間に落ちて、戻らないという感じだった。
それでもなんとか優等生になりたくて、階段をつかって売店へ往復するところまでになった。病院の白いごはんがなぜか食べられなくて、おかずをできるだけ食べるようにしていたものの、だんだん食べる量が減ってきた。看護師さんに相談すると、「ではライト食にしてもらえるか、相談してみますね」とのこと。すぐさま、栄養士さんがきてくれて、麺類や副食のゼリーやジュースなどがつくライト食に変更となった。これはモリモリと食べることができた。食欲が出てきた。ところが、これを続けていると、やはり体力が保たなくなってきた。この頃、普段苦手な肉が食べたくて、息子に成城石井のハンバーグを買ってきてもらって、レンジでチンしてぱくぱく食べたりした。
人間のからだは正直だな。必要なものがわかるんだな。食事は普通食に戻してもらった。食べられるようになって、検査の値も正常になった。
からだが弱る、というのは、本当に気持ちが情けなくなる。この状態になれていないのと、想像していなかったことでもあってか、何度か涙が出た。
退院してからも、体力はすぐには戻らなかった。いつも10分くらいで駅までいけるのに、倍くらいかかる。仕事にはすぐに戻ったけれど、術後3ヶ月くらいはゆっくりとした生活だった。
私はそれでも病院が好きだった。入院の時も、通院時も、病院にいるときは、自分は患者というマジョリティという安心感があった。自分のからだを自分以外の、医者や看護師が見てくれているという、ちょっと荷が軽くなる感じもあった。なんというか、傷を負った人同志、弱っている人間の優しい空気というようなものを感じた。ことばをやりとりするわけでもない。けれど、お互いを察し合える約束された空間のような気がした。年齢も病名もいろいろな人が、それぞれの傷をキュアする時空を共有することを許された間柄とでもいうか。
「昨夜のカレー、明日のパン」というドラマもまた、そんな場所を感じることができる「空間」に、見る者をそっと招き入れてくれる。自分のいろんな場所が癒されていくのを感じる。ここにでてくる人たちは、それぞれに弱音を吐く。こころもからだもくたくたになって動けなくなったり、自分の欺瞞に気がついたり、罪悪感や孤独や、傷つくことを恐れる心を抱えている。弱音を吐くと、自分がなにをおそれているのかがわかることもある。弱音を吐いて、弱いやつと思われたくないけれど、弱音を吐ける場所はだいじなんだなと思う。病人のときは、病院で、堂々と弱っていられることがだいじなのだ。
このドラマを春馬くんが、自粛期間に見てくれていたらとか思うけど、それはもう思っても仕方ない。
あたたかい。さびしい。さびしい。あたたかい。暖をとりながら、生きていく。