見出し画像

『津軽』

 毎日、とても冷え込む寒い日が続いている。

 昨日、テレビに原田マハさんが出演していて、彼女が選書した一冊に『津軽』(太宰治)があった。

 3年くらい前から乗り鉄の鉄道好きの方々に引率されての鉄道旅を何度か楽しんだ。2年くらい前まで車に乗っていたが、新しい町で暮らしはじめてからは自転車にも乗らず、電車・バスの公共交通機関を利用するか徒歩、という生活になった。以前は歩いて3分のドラッグストアにも、梅田やなんばにも車で出かけていた。荷物を持って歩くというのが億劫になっていたし、車の運転が好きというのもあった。

 私は鉄道オタクというようなものではないけれど、電車に乗って車窓を楽しむのがとても好きで、これは車の運転が好きというのと共通していて、町の様子を見るのが好きで仕方ない。歩く人、家並み、店、看板、田畑や山並、そういうものを見ていて飽きるということがない。だから高速道路を使わないで、下道で延々と走るのが好きだった。

 10年前に車で島根県に行って以来、鳥取・島根の山陰と呼ばれる地域が大好きになった。瀬戸内の風景より山陰が私には興味深く映った。訪れた季節が夏だったということがあるかもしれないが、想像とは違う明るい風景が魅力だった。一昨年の秋に新幹線で上越妙高駅まで行った時は(駅に降りただけ)、晩秋の雨の日本海もちらっと見ることができて、その海を見た時に、子ども頃に母に読んでもらった『赤い蝋燭と人魚』の情景が浮かんだ。調べてみたら、物語の舞台は新潟の海辺と知って、新潟は無縁の場所だと思っていたら、自分が何十年も前に出会っていた風景なのだった。そんな、思いがけない場所と自分との「物語」の発見は、私の中に眠っている「物語」の掘り起こしへの強い衝動のようなものを刺激した。

 2年前からテレビでYouTubeが見れるようになって、ちょくちょく鉄道の動画を見ているが、年末に「裏日本縦断」というような企画の動画を延々見た。「裏日本」ということば、もう近年はまったく耳にしない。じいっと見ていたのではなく、ごそごそ片付け物をしたり、編み物をしたり、食べたり、寝たりしながらだけれども、そこで見た青森の風景や青函トンネルの部分がとても興味深かったので、青函トンネルについてネットで調べてみた。大正時代からあったトンネル構想、戦後まもなく着手となり、さまざまな困難に見舞われたのち27年の歳月を経て開通した。トンネルについては今も現在進行形でさまざまな課題に直面しているということもわかった。トンネルの構造についても初めて知った。

 そんななかで、昨日の原田マハさんのおすすめは太宰治の『津軽』であった。私も人並みに太宰を読んでいた時代があったけれど『津軽』については記憶がないので、おそらく読んでいないのだろう。集英社の日本文学全集にも収録されていない。それで朗読のデータがないか調べてみたら、動画サイトに見つけることができた。この動画は長時間聞いていても疲れない読み手さんの声質がよい。文学作品の朗読は読み手の工夫が邪魔になることが多々ある。この読み手さんは、物語が進むにつれて調子が上がってくるのがわかる。文章が長いとどこで区切って読むのが正しいのかわからないことが多い。妙なところでひと息入ると、後の文章が頭に入ってこない。そういう小さい気になる部分が後半はぐっと減って、途中からは「これだけの長い朗読をしてくだってありがとう」という気持ちになる。

 ところで、これを文字ではなく耳からの「音」として聞いていても「津軽」という地域の図面が浮かび上がる。音声を聞きながら青森をGoogleマップで開いてみる。朗読を聞いていると、「五能線」とか「奥羽線」、ほかに駅名もいくつか現れる。駅前の様子、食べたものなど、津軽に関するさまざまな記述がある。これを現在の様子(地図・ストリートビュー)と照らし合わせてみる。太宰が旅をした1944年の春ごろは、本土空襲前夜、田舎の方は随分とのほほんとした暮らしぶりだったのだとわかる。東京の妻子を思い出して、地獄の罪悪感に苛まれる太宰。しかし、全体としては明るく、気楽な旅の記録が続く。

 ロケ地巡りとか、聖地巡礼、というのは、無縁だった土地と自分とを結ぶ物語を発見することによって、そこで実際に見える以上のものを見ることができる自分の特別な能力が発揮される特別な体験のように思う。そこにはもういない人、ないものを実感できるような感覚。

 ところで、この『津軽』には、あの「碇ヶ関」という地名も出てくる。二十歳の春馬くんが勤務していた青森の駅(JR東日本・東北新幹線新青森駅開業CM)。今から80年近く前の小説に、ちゃんと「この温泉のすぐ近くに碇ヶ関といふところがあつて、そこは旧藩時代の津軽秋田間の関所で、したがつてこの辺には史蹟も多く、昔の津軽人の生活が根強く残つてゐるに相違ない」と記述されている。ひとつのフックがいくつもの出会いを連れてくる。なんでもない風景ではなくなる。意味を見つければ見つけるほどに人生は豊かになる、のかどうかわからないけれど、たぶんそうなのじゃないだろうか。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?