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腹を括る

 ひととはずれた三連休と寒波とコロナで、どの道、ステイホーム。

 寝る前に春馬動画を見たら間違いなく眠れない。このところ、どんどんアップされるファンの人が編集制作したであろう動画を、敢えて見ないようにして過ごしてきた。

 その理由は、見始めるとその美しさ、儚さ、輝きを果てしなく、飽きることなく見ていられる、そして見ながら、私は理由を探してしまう。どうしてどうしてから、抜け出せていないから。もっと人間のことを知りたいと思う。人のこころの不思議さ、深く、複雑なことをちゃんと知りたい。今の自分では春馬くんを救うことはできない、わかることができないことが、申し訳なくてつらい。

 私は大学で臨床心理を専攻した。河合隼雄の『コンプレックス』という本を読んで、衝撃を受けた。自分を卑下し、根本的にはネガティブに自分をとらえきってからの、力づくのポジティブ邁進型の自分を、初めて他人が言葉で語ってくれているものに出会ったと思った。ネガティブな言葉に振り回されるし、悲観的で、自分に自信がない。私はいわば、人生マイナススタートの人間。

 三菱銀行の春馬くんを見た時に、それは直観的に自分とは究極の対極の住人であると「わかった」。身も心も能力も劣等生というような深いところでの自己像がある私には、自信に溢れた、そしてその自信にさえ無自覚な、幸福な若者を直視することができなかった。

 だから、今、私はその時の自分のその「わかった」を自分に突きつけている。確かに春馬くんは私とは違う。しかしどうです。あの時のあの非の打ち所がないと思った青年は、生きていくのにこんなに苦しんできた。助けてと言うことが大事だなんて、芸能人がこんなに何回も語るのを聞いたことがあるか。

 あの日から半年が経とうとしている。春馬くんはやっぱりとんでもない人だということがわかってきた。それはあの時に「わかった」のとは違う、まったく別の青年の顔だ。そして私が直視しなかったものを、10年経った今、半年ずっと見つめ続けてきている。

 私は今、自分が春馬くんに与えられた宿題に、ちゃんと取り掛かろうと腹を括ろうとしている。彼を思って息苦しくならなくなるまで。それは、春馬くんが「血の通った産業」と言ったことを、私なりに受け取ったということだ。春馬くんが遺した何もかも全て、そして最後までを、私はしっかりと受け取って、それが春馬くんのためじゃなくて、自分のために、もしかしたら、すこしは社会のためになるようなことを見つけるために。答えがないなら、自分がその地点まで行って、自分の目で「ない」ということを見るところまで。

 

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