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「安い」「高い」

雨がとにかくすごい。熊本県南部の方では人が死んでいる。自然は怖いと再認識した。雨が降り続き畑には全く行けてない。空き家の方の作業も滞り悶々としている。

自宅のベランダで育てているヘチマが黄色い花を咲かせた。昨日は咲いていなかった。すかさず写真を撮った。雨と風が強い。スーパーに買い物いく。

「安いもの」と「高いもの」
僕は安ければ安いほどモノが欲しくなる。
特にセールなんかしてるスーパーは大好きだ。
160円のじゃがりこLサイズなんかが100円で売っているとすぐに飛びつく。安いことが嫌な人はいないはず。ぼくも「安い」ということは良いこだと信じてきた。自分のことしか考える余裕がなかったからだと思う。食べ物を作り始めてモノに対する考え方が変わった。汗水垂らして大事に大事に育ててきた野菜たち。スーパーに行くと山のように詰んである。ぼくは比較的夜にスーパーに行くことが多いのだが夜でもタマネギやジャガイモはたくさんある。でも少しだけ傷があったり、色艶がなかったりする。
タマネギ1つ38円。ジャガイモ1つ20円。キャベツ1玉150円。時期にも夜がだいだいそのくらい。作る側からすると安すぎる。ここで疑問が出てきた。初めて安いことに違和感を感じた。たぶんそのモノ(野菜)の背景を知ったからだ。ジャガイモ1つにしてもタネイモから芽を出し定植し収穫。汚れを落とし小分けのパックにいれ箱詰めをし出荷。たくさんの工程があり、手間がかかっている。去年の白菜なんかは暖冬の影響で食卓に白菜が並ぶ機会が少なかったみたい。売上が出荷するための段ボール代にもならず収穫適宜を過ぎても畑に放置。挙げ句の果てには腐りきったあとトラクターで踏み潰され土に帰っていった。今はスーパーで買う野菜を買うことに躊躇する。

安いことが必ずしもいいことではないと気づいた。これを考えるきっかけになったのは「程よい量をつくる」という本だ。(この本凄くいい。これから私たちがしたいこと、考えていることに近いものがたくさん見つかった。ありがとう。)

1個40の玉ねぎと1個150円の玉ねぎが売り場に置いてある。以前のぼくならきっと40円の方を4つ買う。なぜ安い方を手に取るのか。 それは価格以外の情報がないから。そのための自ずと価格で判断するしかなくなる。
「1個40円の大量に作られたうちの一つの玉ねぎ」と「こだわりのある農家さんが手間暇かけて作った1個150円の玉ねぎ」が置いてあると僕は150円の玉ねぎを買う。ちょっと迷うかもしれないけど。

食べ物に関してだけじゃない。どんなモノでも売り場にあるモノはそこに並ぶまでの背景がある。「食」に関しては「安い」ことが価値になっていることが多々ある。それも農家さんが食っていけないほどに。

売り手は背景が見える工夫が必要だと思うし、買い手も玉ねぎ1つに込められた思いを感じとれるアンテナを身につけて常に受信し続けたいものだ。

今日もうちの猫はだらけきっている。最近はずっと横になって腹を上にして寝ている。夏に向けて毛がだんだんと薄くなっていく。それにしてもだらけきっている。

ヘチマの花が風でちぎれて落っこちた。
短い間だったけど、ありがとう。
水に浮かべてもう少し楽しむよ。頑張れ。


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