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今日は畑に行った。自宅で育苗していたピーマンとナス、ししとうを植えに行く。自宅から畑までは車で1時間ほど。家を出る時雨は降っていなかった。畑につき、早速作業を始めた。
数週間前、畝を4本作った。今は草が生い茂っている。鍬を手に取り畝の表面を削り取る。雑草がかわいそうに見えてくる。雑草とは生きている。生き物だ。こちらの都合で殺している。申し訳ないと思いつつ、植える野菜のためにひたすら雑草を殺す。

雨が降り出した。とても激しい雨だ。
やっと畝の準備ができたところなのに。天気はこちらの都合なんてお構いなしだ。車のバックドアを開け雨宿りをする。雨が落ち着くのを待つ間、持ってきた苗を観察する。本当によく育ってくれた。直径8㎝のポットに3粒、1.2ミリほどの種を植える。1週間後、3つの種から双葉が出揃うと茎が太く、徒長していない苗を選び1本にする。15センチほどになり、ポットいっぱいに根を貼る。ありがたい。

雨が落ち着いた。また降り出す前に作業を終わらせたい。ポットから苗を取り出し、地面の穴に植える。風が強く野菜の苗は強い風に今にも持って行かれそうだ。ホームセンターで買った支柱をたて紐で結ぶ。うまく育つといいな。負けるなよ。

僕はたくさんモノや人の犠牲の上に成り立っている。「食べる」ことをする以上、仕方のないことだ。畑を始めてから生きているだけでありがたいことだと身をもって実感した。生まれて20年考えもしなっかた。僕は生きているのではなく、生かされている。死にたいと思うほど辛い時があった。日本の自殺者数は年間2万人。死にたいと思う時に私は自分のことしか考えていなかったことを記憶している。そんなときに畑に出会えた。食べ物をつくることを始めて、生かされてることを知った。畑は働いた分だけ、成長を見せてくれる。畑とはこれからもずっと付き合っていきたい。

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