私の脳内おかたづけを書いていくのに、どうしても欠かせない話題があります。それが、母親との関係。 私の学びの原点は、母親との関係にあると思っています。そして、「愛」と「愛情」の違いについて考えさせられることにもなりました。 ここでは、愛と愛情の違いの観点から、母に対する私の思いと、かつて母に対して気づいたことを書いていきます。 今日は、具体的な内容までには踏み込んでいないので、それほど重苦しくはなっていないつもりです。 愛と愛情は違う愛と愛情の違いについては、アイノオト
ふと立ち止まってます。 私は、自分のこころの奥にあるエゴをえぐってしまうような作業も、これまでやってきました。でも、それをそのまま書いたらダメなんじゃないの?と、ふと思いはじめて迷走中です。 痛みを受け入れてえぐってしまうと、一気に楽になったから自分の中にいる見たくない自分、こんな私でいてはいけないと思うような自分、あってはならない自分、そんな私が何人もいます。 そこから目をそらさず、存在していることを認めるのは、なかなか辛い作業となります。こころが何かの価値観に強くと
前回の投稿↓で、書きました。こころから好きなことなら、エネルギーが尽きないと。 今回は、その続き。 まずは好きなことからやれ!というお話しです。 結論はこれでよかったんだ家事もやらなきゃならないけれど、好きなことはやりたくてたまらない。まずは家事をかたづけてしまってからゆっくり好きなことをやればいい。 そんな風に考えますよね。 誰かへのアドバイスだって、多分そう言うんじゃないですか? まじめな人なら自分自身に、そう命令するんじゃないですか? うつ病の通院は終了し、さあ
自分が好きなことをやるのに罪悪感を根深く持っていた私です。今はそれはありません。 超ネガティブ思考で生きてきたけれど、好きでこころからやりたいことをやってみたら、自分でも驚いたお話しです。 「こころの底からやりたいこと」「こころから好きなこと」をやるパワーは、人を変えてしまうくらいの威力があるのですね。 やらない理由はもう不要私が好きなことをやることに罪悪感を抱くのは、潜在意識に刷り込まれた過去の経験によるもの。そんなことは、今となっては正直どうでもいいです。 常に人
あれこれ考えるのは自由。最後に、そう考えた自分と向き合えるかどうか、その違いは結構大きそう。こちらの視点に立てばこちらが正しいけれど、あちらの視点に立てばあちらが正しい。向き合っているようで非難しているだけなんていうのも見え隠れしてしまうのね。誰だって自分は正しいと思いたい。
前回の記事 の、続きです。 母の私に対する具体的な願いはこうでした。 女性でも経済的に自立できる仕事に就いて、結婚後も仕事を続けなさい。 おかあさん好みの、明るく活発な女の子でいなさい。 女の子なんだからいつもニコニコ感じよくして、誰からも好かれなさい。 両親を早くに亡くしたおかあさんは寂しかったから、あんたはずっと近くで暮らしなさい。一緒に街を歩きたいから。 自営業の旦那さんだと苦労するから、お勤め人と結婚しなさい。 など 母の言い分おかあさんの言ったおと
とにかく以前は超ネガティブだった私です。こんな苦しい状況からは抜け出したいと思っていたし、どうやったら変われるんだ!?と、考えていた時期がかつてはありました。 それが、今は変わってきていることを実感してます。確実に変わってます。 母とのことはちょっとおいといて、考え方の癖が変わったお話しです。 私はこう変わった気分が谷底まで落ちにくくなってます。 何かあって落ち込んでも、浮上が早くなってます。 あまり自分責めをしなくなってます。 感情が大きく揺れても、落ち着きを取
母と私のこころのすれ違いについて、書いてみます 母は、私にとっての反面教師となってくれた存在でもあります。決してここで母を非難したいわけではありません。 子育てで悩んでいる方、親との関係性で悩んでいる方、その他の人間関係で悩んでいる方等が、一度立ち止まって考えてみるきっかけになったら嬉しいです。 母の願いを、疑ったことはない私の母も、世間一般の母親という存在と同様に、私の幸せを願ってくれていました。 そこを疑ったことは、ありません。 ただね、人間て、あるひとつの純粋な
師が教えてくれた、心を軽くして生きてくためにはどうしたらいいかという答えが、「とらわれないこと」でした。 今日の結論から言うと、とらわれてもかまわないということなんです。 なんだかヘンですね(笑) 私がとらわれていたもの私のこころがとらわれているものなんて、わんさかあります。でも昔の方が多かったですね。そのうちの一つが、「言いたいことが言えない」というもの。 いくつかの記事でも書きました。何しろ私は人の顔色をうかがって生きてきた人。 それは、恐れから。 何を恐れていた
師から教わったひとりひとつ宇宙という考え方について、説明します。 見ているもの、見えているものがみんな違うの?師が言いました。 人それぞれ、視点が違うの。だから、同じものを見ているはずなのに、その見え方がまるで違うの。 だけど、どの見え方も間違いではないのよ。その人のその視点から見たら、そう見えるというだけのことなの。 視点の違いによる見え方の違いあるものを見て、Aさんがいいました。 A:あれは、まるかった。円だよ。 同じものを見ていたBさんが、興奮して言いました。 B
私はあることで、選択の余地がなかったとか、選ばせてもらえなかったと考えていた時期がありました。 今回は、本当は自分で選んでいただけだったと気づいて、一気に力が抜けたお話しです。 宿命と運命について、じっくり考えたことがなかった師の話を聴いたのは、かれこれ10年ほど前、この話題が最初でした。 説明してくれた内容の要約は以下の通りです。 宿命とは、既に決められていて自分ではどうにもできないもの。 運命とは、自分で選んでいくもの。 例えば 私たちは生まれて死ぬことは決まって
命の尊さを、再認識したお話しです。 当時の私のような人に、向いていると思います。 うつ病は脱したけれど自己評価はかなり低め。 私はいない方がいいんじゃない?と考えがち。 私には存在価値がないと、根深く思っている。 人の期待に応えられなきゃ私には価値がないと、いつも考えてきた。 あの当時の私は、こんな状態だったと記憶しています。 私にだって価値はあるとか、生きているだけで価値があるとか、頭ではわかているつもりだけど、腑に落とし切れていない感じでした。 あの日、師
過去の私は、相当ネガティブで常に力んで生きてました。 そこから抜け出すことができるようになった簡単な方法を、紹介します。 ★この方法が向いているのは、こんな人です。 こころのモヤモヤや生きにくさを、自分で解消していきたい人 「とりあえずやってみる」「コツコツ続ける」ができる人 内向的な人 内省や内観というものが好きな人 考えすぎる傾向のある人 そもそも自分を苦しめているものは何?こころを追い詰めて苦しくしているのは、自身の思考です。 ここで言う思考とはこんなも
はじめまして。 私は、ふうといいます。 これからここで書いていくため、まずは自己紹介しますね。 私についての基本的なことと、ここで何を書いていきたいのかを説明します。 ふうについて名前:あらやまふうな ニックネーム:ふう 年齢:2024年、60歳になりました。 仕事:現在は無職の主婦です。 趣味:パッチワーク それ以外にも自分の服を縫ったりリ、手元にあるものをリメイクしたりすることも楽しんでます。 性格:内向的 ★私の興味関心のベクトルは、自分の内面へと向かいます。