この胸の衝動から始まる


ギリギリ太陽が登り切る前に起床し、その惰性のまま夕方になった。陽が落ちるのもだいぶ早くなり、すぐに当たりは暗くなって今日の終わり方が準備できないまま、またベッドに入ることに恐怖を覚えいる。
さあ、そんな辛気臭い脳内を変えるために、募集中のお題の中にあった『#スキな3曲を熱く語る』について書こうと思う。好きな曲に思いを馳せれば今日の終わり方の準備ができなくても、昨日より少しだけ深く眠れそうな気がしている。

『クロックワーク』ASIAN KUNG-FU GENERATION

これを一曲目に紹介するのは理由がある。そこまでいく前に多少ボンクラである僕の話をどうか聴いてほしい。

物心ついた時には車の中で音楽が流れていた。どの家庭もそれに変わりはなくて、周りの友人たちも親の影響で、BOØWYや浜崎あゆみ、松田聖子、ボンジョヴィ、ブルーハーツ、モー娘。など自分達が生まれる前や小さい頃に時代を彩った曲を愛している。
そして僕の車内は、スピッツ、ユニコーン、モンパチ、エルレ、CHARA、Coccoなどが流れていた。その中でも1番よく流れていたのが、アジカンだった。セカンドアルバム「ソルファ」は本当ずっとかかっていたような気もする。
名だたる曲を毎日に聞くことによって、これが普通なんだと認識していた。大袈裟に言うと生活音の一つになっていて、冷蔵庫が空く音とか、冷房の送風音などと同じ類で生活音が気にならないように、音楽も気に留めなくなっていた。
そして中学、高校になるにつれ自宅の車に乗る機会は激減し、アジカンを含め親が好きな曲を耳にすることがなくなった。
そのかわりに、流行っている曲を聴くようになった。それが悪いとは思っていないけれど、僕の捉え方は最悪で、その曲が好きだとか苦手だとかはどうでもよくて、ただクラスや友達、小さなコミュニティの輪の中にうまく溶け込むためのツールになってしまっていた。
カラオケでみんなと楽しく歌ったり、「この曲いいよね」と言われれば同調していた。

「好きな音楽何?」
高校3年生の時に初めてデートした女の子に聞かれた。そしてこの普遍的なこの質問に対して、僕は困ってしまい自分の音楽観を考えた。
彼女はそのあと「私はね、星野源が好きなの!」と言ってから『ばらばら』と言う曲について、ここの歌詞が天才だとか、モテキの途中に流れてくる瞬間がたまらないだとか熱狂的に語ってくれた。「この曲いいよね」と聞いた人も彼女にもあって僕にないものは音楽的核だった。
そして、僕には熱く語れる曲が一曲もないと気づいた。音楽に興味がなく、音楽を利用していたことに悲しくなった。そのデートは上手くいかなかった。

そして僕は自分が好きな音楽を探すようになった。しかし、僕が生きているコミュニティの中ではどうやって探せばいいか分からず、そこで車内の音楽を思い出し、家にあったCDから携帯にアルバムを入れた。
ビビった。仰天した。驚愕した。元々知っていた音楽が好きだった。
そこからはソルファも繰り返し聴いたし、全く知らなかったランドマークも聴いた。
そして2018年、9thアルバム「ホームタウン」がリリースされ衝撃が走った。好きな音楽がまだまだ好きになることに。
このアルバムをリピートし続けた。そして「NANA-IRO ELECTRIC TOUR」の15年ぶり開催が発表され、奇しくも僕の21歳の誕生日だった。アジカン、テナー、エルレ。親から受け継がれる三拍子。母親を誘った。まさか人生初のバンドライブが母親と行くことになるとは思わなかった。

当日、会場は新しくできたAichi sky expo。初めてのライブ会場の立ち回り方に困惑したまま、指定ブロックの後ろ目に場所を確保し、母親とは少しよそよそしい空気で開演を待った。隣のカップルはエルレ復活してからの初ライブだと嬉しそうにし、前の人は最近のテナーの吉祥寺について話していた。僕はソワソワしたまま、曲のノリ方を予習してないことに焦っていた。
そんな僕を待たずに照明が暗転した。観客全員が前のめりになったことが分かり、それと同時に地響きのような歓声が聞こえた。その歓声は止み、ここは宇宙空間に似た不思議な沈黙が空間を支配する。
ステージの照明が灯る。
聞いたことのある、だけれど新鮮なギターの音が聞こえる。『クロックワーク』。このライブを始める一曲は9thアルバムと同じ『クロックワーク』だった。アルバムに収録されている『クロックワーク』は生活音から始まってギターが鳴るものだったが、そのライブは生命を感じる沈黙から始まった。ギターの音を聞いた瞬間に地から脳天まで勢いよく駆け巡る浮力に似た感覚は忘れられない。
さっきまで抱いていた焦りや不安などは消滅し、ただただ一心不乱にステージで演奏する彼らに対して熱くなっていくだけだった。

一曲目にこの曲を紹介した理由はこれだった。始まりの一曲。ただのセトリの初めだけではない。何か新しく始める時や、ここから何かが起こるその前はこの曲を必ず聴く。イントロが流れれば前向きな気持ちとあの浮力に似た感覚を感じ、これからやっていこうと思える。ギターに入る前の生活音は僕の環境の生活音と混ざり毎回変化する。いつか長針と短針が重なるためにこの曲で始める。

『マンマミーヤ!』MONO NO AWARE

アジカンで3曲書くのは容易いけれど、どうせならいろんなものを語りたい。しかし、一つ目を読んで「なんだよ、一個目でこんな長えなんて後読めるかよ」とここまでお付き合いしてくれた人は思っていると思うので、この後二曲はできるだけ簡潔に情熱的に書いていきたいと思う。

MONO NO AWAREと出逢ったのは音楽の入り方としては多少邪道で、RANDYというファッションブランドのインスタだった。その写真はフィルムで撮っているのとRANDYのキレイな服、メンバーのかっこよさが全て相まってレトロで魅力的な写真だった。そこに付けられていたタグに飛んだのが出逢いだった。
その時は好きな音楽を探そうと思っていた期間だったので、直ぐにYouTubeを開いた。
『東京』。初めて聞いた曲がこれだった。聞いたことのないメロディーに特徴のある声、そして独特な言葉選び。すぐに虜になった。
そして紹介したいのが『マンマミーヤ!』
この歌の言葉遊びにはひっくり返って元に戻るぐらいの音楽の楽しさがあった。

「クックドゥードゥルドゥーと」
この歌い出しに何が始まるのかとわくわくする。
「鳴く君の その胸肉に飛び込み泣くのさ」
ん!!なぁぁぁぁああ!なんだこれは!料理の歌なのか、恋愛ソングなのか!!
「カップヌードゥルドゥー」
なに!!!!!鶏かと思うたら、カップヌードルだと!!
「私たちの人生はお湯を入れたら最後 時間に追われる運命さ」
なんだなんだ!!男女がカップヌードル!?!めっちゃめっちゃ楽しいのに、すんげえ楽しいのに!変態だああ!!
「照れるぼんじりの憂いを 帯びる丸みや」
「サバの肋のカーブや 夜の梅のおもかげも」
「いわゆる二天皇、命を操るキノコやまほろばに生えるピーチには」
エロい!!!!!エロかっけえええ!!
ここまでくると怖い!! 
「君の自慢のお料理を見る」
こうなるとここの歌詞が官能的にしか見えない!
「咀嚼ネットワークが広がる」
ソーシャルネットワーク…もう勝てねえ!!完敗だあ。
「もういい!どうにでもなる気がする」
ふう。やっと終わるか。まいっちまったぜ…
……
「2段熟カレー」
!!!!!!?!?!???!!?! 
僕はもう打ちのめされた。演奏が終わったと思ったらこのセリフで真のラスサビに繋がる。
完膚なきまでに心を持っていかれた。
燃えたよ……まっ白に……
燃え尽きた……まっ白な灰に……
僕は座っていた椅子に腰掛け白黒になった。なんて妄想していた。
熱く語るというかめちゃくちゃに書いただけである。ただ今まで出会っていなかった歌の中でこんな言葉遊びがあることにとても楽しくなった。勝手に思っていた音楽の範囲は限りなく広がり、ここからまた好きな音楽が増える明るい可能性が生まれた一曲である。
語彙力が皆無でお伝えしてしまったが、これは一回聞いてもらえればこの感情はわかってもらえると思うので、是非聞いてほしい。

『BABY BABY』銀杏BOYZ

この曲はどうしても外せなかった。まだまだ紹介したい曲はもちろんあるし、銀杏の曲もティモンディ高岸の言葉を借りるならば「ぜーんぶ、金メダル!!」と声を大にして言いたい。本当は全曲紹介したい。だけれど、一曲目とするならやはりこの曲しかなかった。

高校3年で音楽を好きになった僕は本当に無知だった。銀杏を知ったのはもう高校を卒業した後だった。初めて『BABY BABY』を聞いた時、とても悔しくなったことを覚えている。心臓を鉄パイプで叩かれているようで、汗臭いけれどその飛沫は美しい。そんな曲を18年間知らずに過ごしてきたことに悔しくなった。音楽はずっと熱帯林からでも闇夜からでもデバイスからでも商店街からでも手を伸ばしていたんだとこの曲を聴いて思った。もっと早く自分が求めていればと駆け抜ける青春が気づかせてくれた。

こんなに衝動が走るバンドのライブ映像が気になって調べてみた。あゝ、涙が出た。峯田さんの歌う姿はなぜあそこまで目を奪われ、心臓をグルグルグルグル乱回転させ、それによって生まれた摩擦熱が僕の体温をグッと上げた。閉ざされた空間と液晶の向こうの温度の違いにそれもまた悔しくなる。
そして1番驚いたのが観客だった。
顔を真っ赤にして歌う人、首から下げたタオルを両手で強く握り締め空に向かって歌う人、かまいたち山内のように目がイッてしまっている青春体現体。見たことのない人間の喜びの顔や溢れすぎている涙がそこにはあった。こんな美しい酔狂な世界があることに救われた。

周りの友達に銀杏を知っている人が全くいなかった。多分前までだったら、また一人自分の中だけで完結していた。しかし、この曲たちはどうしても好きな人たちにも伝えたかった。知ってほしかった。好きな人達に自分の好きなものを否定される怖さは常にあった。どう説明して伝えればいいのか考えると伝えるのが難しい。それでも「BABY BABY」を含め銀杏の曲は僕に青春を伝えてくれた。

何をどうやって紹介したかはテンパって覚えていない。「ふーん」とか「今度聴いてみる」とか、あーやっぱり難しいなと思いながらも、二人の友達は銀杏を聴くようになった。紹介してから次会った時に教えていない曲を、これいいよね!と言われた時は飛び上がるほど嬉しくなり、無駄に饒舌で話してしまいウザがられてないかと心配になったが彼は笑ってくれていた。
「なあ、ツーリングしようぜ」
もう一人の友達からそんな連絡が来た。
ママチャリにまたがってローソンであたりめを購入し、堤防に向かった。
誰も通ることがない夜中の堤防。昼間は川が流れているはずなのに底知れない闇に変わっていた。揺れる木々に自転車の光しか灯っていないアスファルト。
「なんか曲かけて」
友達がそう言う。
「わかった!」
そう返事をし、迷いもなくBABY BABYを再生する。
「街はイルミネーション 君はイリュージョン 天使のような微笑み〜」
進む先が見えない暗闇に向かって二人で叫ぶ。どこにも辿り着かないであろう声に向かって自転車を立ち漕ぎする。
「BABY BABY BABY BABY 君を抱きしめたい」
抱きしめたい。あの液晶の向こうにあった空間には全く及ばないけれど似た空間がここにあって抱きしめたくなった。
「かけがえのない愛しい人よ」
そこから始まった音楽はまだ鳴り止まない。どれぐらい走っただろうか。気づけば太ももの筋肉が悲鳴を上げていた。それさえ愛おしかった。
伝える大切さと伝えられる嬉しさ。
青春が何かと聞かれたら正確にはわからない。分からないことが青春なのかもしれない。だとすれば青春なんて決まりはなくて、「BABY BABY」のライブを見た時のようにまだ知らない感覚が駆け巡り乱回転し、生まれた摩擦熱が体温をグッと上がって抱きしめたい衝動に駆られる。そんな目に見えない不確定なものを僕の青春と呼びたい。何歳になっても環境が変わっても世間で言われる青春とは違う僕の青春を求めて大切にしたい。

fuji rock festival'19のBABY BABYで峯田さんが伝えた言葉がSNSで話題になった。

シャブやってもいいですよ
援助交際だってなんぼでもやっていいですよ
ハッパやってもいいですからね
闇営業やってもいいですからね
生き延びてください
生き延びたらまた会えますよ

どうもありがとうございました!
銀杏BOYZでした!

僕は生配信でこのライブを見ていた。どうしてこんなにも届くのだろうか。なんて素直な人なのだろうか。生きてきた中でやっぱり死にたくなる日もあるけれど、この言葉に身が軽くなる。また会いたい。まだまだこの時代に生まれた理由はあるはずだ。この曲と出逢えたことも銀杏に出逢えたのも、今日紹介した曲たちに出逢ったのも、好きな人、好きな映画、名前のない感情に出逢ったのもこの時代に生きているからこそ成すことができたんだと強く思う。

23歳になろうとしている僕は音楽を好きになって5年。まだ月日が浅いのに、これだけ大切にしたい曲に出会えたことを幸せと思うのと同時に、まだまだ衝動に出逢える曲がたくさんあるのだろうと思うと嬉しくて楽しくて仕方ない。
記憶のそばには音楽があって、生活の中にも音楽がある。眠れない夜に聴く音楽もある。
流れる時間の中で変わっていく環境に音楽がある。
人生と音楽はもう切り離せない存在になっている。
何かを始める時には「クロックワーク」を、彼女(いつかできる想定)と料理をしながら「マンマミーヤ!」を、この時代を生きていくために「BABY BABY」を。
好きな曲を抱きしめて抱きしめられながら、21世紀の荒野を不安定でも不恰好でも進んでいこうと思う。



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