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「シュレディンガーの猫」について考える

どうも,のうむです。

今日は大学レベルの化学の話ではなく,「シュレディンガーの猫」について考えてみます。

結構長くなってしまったので,お手すきの際にゆっくり読んでいただけると幸いです。

!注意!あくまでものうむ個人の意見です。

そもそも「シュレディンガーの猫」とは?

とりあえずWikipediaを覗いてみた

「シュレディンガーの猫」って聞いたことあるけど何なの?よくわかんないという人のために,まずはWikipediaを覗いてみましょう。

シュレーディンガーの猫(シュレーディンガーのねこ、シュレディンガーの猫とも、英: Schrödinger's cat)は、1935年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した物理学的実在の量子力学的記述が不完全であると説明するために用いた、猫を使った思考実験。シュレーディンガーは、EPR論文を補足する論文の中で、観測されない限り重ね合わせであるとして記述すると巨視系の状態が"状態見分けの原理"(巨視的な観測をすれば区別できる巨視系の諸状態は観測の有無にかかわらず区別できるとする原理)を満たさないことを示す具体例としてこの思考実験を用いた[1]。
Wikipedia「シュレディンガーの猫」より

・・・。
んー,よくわかりませんねぇ(笑)

つまりどういうことか

このまま進めてもよくわからないので噛み砕きながら説明します。
のうむなりの解釈も入れながら噛み砕いているので,実際のシュレディンガーの猫とは少し異なるところもあります。
(正しい解釈については「量子力学を取り入れてみる」に記載しております。)

「シュレディンガーの猫」とは思考実験です。
物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが量子力学の矛盾を説明するために考案したものです。

まず,ガラス張りされた箱に,猫と蓋つきの毒ガスの入った瓶を入れます。
この瓶の蓋は人間や猫によって開け閉めすることができず,神の気まぐれで毒が放出されるかどうかが決まります。
蓋があかなければ猫は死なないし,蓋があくと箱の中に毒が充満してしまうので猫は死んでしまいます。
つまり,猫の生死は「毒が放出されるかどうか=神の気まぐれ」で決まります。

この箱はガラス張りですが,箱の中の音は外には聞こえず,外から中に干渉することはできません。
また,猫が中から箱を開けることはできず,いつ毒が放出されるかわからないので外からも簡単に箱を開けることはできません。

では,中の猫が生きているかどうかを判断するにはどうすればよいでしょうか?

答えは簡単ですね?ガラス張りなので箱の中を外から見ればいいだけです。

では次に,この箱に黒い布をかぶせて中が見えないようにして見ましょう。
するとどうでしょう。中の猫が生きているかどうかわからなくなりました。

黒い布がかぶっているとき,猫はどのような状態であるか考えてみましょう。
猫が何をしているかを考えるときりがないので,猫は”生きている”か”死んでいる”のどちらかと言えます。

つまり,猫は生きているかもしれないし,死んでいるかもしれない状態と言えます。

では黒い布を剥がすとどうでしょう?
中の様子が見えて猫の様子が分かるようになります。

つまり,生きているか死んでいるかわからなかった猫が,生きているor死んでいる状態になります

この黒い布を剥がすという一瞬の操作によって,猫の状態が一瞬にして一気に変化します。

量子力学を取り入れてみる

※少し踏み込んだ話をするので,量子力学に興味ない,量子力学なんて大嫌い,量子論なんてくそくらえと言う人は読み飛ばしてください。

実際の「シュレディンガーの猫」は毒ガスの瓶のところが少し異なります。

正しくは放射性元素であり,この放射性元素の1時間当たりの放射性崩壊確率は50%とします。
ガイガー計数管が放射性元素の崩壊を観測したとき,毒ガスが放出され,猫は死んでしまいます。

つまり,猫の生死は「放射性元素が崩壊するかどうか=ミクロの世界の状態」で決まることになります。

何が矛盾しているのか

我々の常識では,黒い布をかぶせていようが,猫は生きている状態か死んでいる状態のどちらかになります。

しかし,神の気まぐれ(正しい解釈ではミクロの世界の状態)によって,猫は「生きているかもしれないし死んでいるかもしれない状態」になってしまいます。
つまり,猫は「生」と「死」の両方の状態を持っていることになります。生きているのに死んでいるのです。

・・・よくわからない?
むずかしいですよね・・・(笑)

ではこう考えてみてください。
我々の常識では,「生きていて死んでいるもの」は存在するでしょうか?

存在しませんよね。

しかし,神の気まぐれ(ミクロの世界の状態)によってこの状態を作り上げてしまうのです。
これがエルヴィン・シュレーディンガーが伝えたかった矛盾です。
量子力学では我々の常識が通じないということです。

「生きていて死んでいる」ってなんだろう?

とりあえず検索してみた

自分で書いていても「生きていて死んでいる」ってなんだかよくわかりません(笑)。

なので,とりあえずGoogle検索をかけてみました。

やはりというか「シュレディンガーの猫」についてが多いですが,一番上にヒットしたサイトは意外にも異なりました。

NHKニュースのWEB特集「生きていても 死んでいるのと同じ」でした。

記事の内容については詳しく解説しませんが,チュニジアの貧困と密航について書かれていました。

チュニジアではあまりの貧困で,死の危険の高いヨーロッパを目指す密航に出てしまい,多くの犠牲者が出ているそうです。

そんな彼・彼女らは,チュニジアで生きることは,生きているのに死んでいるのと同じな状態だそうです・・・。

うーむ,物理の話をしていたのに,貧困問題が出てくるとは思ってもいなかった・・・。

じゃあ死なない生き物ってなんだ?

生きない生き物は存在しないので,死なない生き物について考えてみた。

まず思いついたのが「クマムシ」です。
クマムシは肉眼では見えない小さな生き物で,どんなに過酷な環境でも生き続けます。

乾燥 : 通常は体重の85%をしめる水分を3%以下まで減らし、極度の乾燥状態にも耐える。
温度 : 100 °Cの高温から、ほぼ絶対零度(0.0075ケルビン)の極低温まで耐える。
圧力 : 真空から7万5000気圧の高圧まで耐える[3]。
放射線 : 高線量の紫外線、X線、ガンマ線等の放射線に耐える。X線の半致死線量は3000-5000グレイ(ヒトの半致死線量は4グレイ)[4]。
射出 : 拳銃弾より速いスピードでの射出に耐える[5] 。
Wikipedia「緩歩動物」より

これを見て「本当にクマムシは不死身なのか」と思い調べてみました。

すると,興味深い情報が出てきました。

活動状態にあるクマムシは、乾眠状態にあるクマムシよりはるかに低い37.1℃が24時間続くと、半数が死んだ。これは、これまでにデンマークで記録された最高気温よりも1℃ちょっと高いだけだ。
「地球最強の生物「クマムシ」も、温暖化には弱いかもしれない:研究結果」より

え,37.1 °Cで半分死ぬの?
「クマムシ=不死身」ではないんですね・・・。

まあ,人間でも水分がなく,24時間もいれば死ぬかもしれないけど・・・。

じゃあ死なない生き物ってなんだ?その2

不死身の生き物と言えばベニクラゲの仲間もそう呼ばれているのを思い出しました。

正確には,有性生殖の後に若返るそうです。
(通常のクラゲは有性生殖の後に死ぬようです)

ただ,無限に若返ることはできず,いずれは若返ることができずに死んでしまうようです。

(不老)不死について考えてみる

ベニクラゲのWikipediaを見ていたら興味深いページがありました。

なるほど,死なない生き物って不死って言えるな。
なぜ今まで気づかなかったのか・・・(笑)

ただ,不老不死は生物というより文学の世界で考えてみると面白いかも。

(不老)不死の文学等について自分の知っているものを思い返してみると結構あることに気づいた。

・西遊記の三蔵法師を食べれば不老不死になる。
・竹取物語(かぐや姫)で,月に帰る直前に不死の薬を帝に差し出した。
・不死かどうかは言及していないけど,ONE-PIECEのDr.くれはは実質不死だろうなぁ。

竹取物語では「富士山=不死山」ってあった気がする。
(間違っていたらごめんなさい・・・)

人類は昔から,不老不死に対する憧れや,実現を目指してきた歴史があるんだと思う。

・・・とかなり「シュレディンガーの猫」から離れてしまっているな。
一度話を戻して考えてみよう。

マクロな世界では矛盾が生じないのか

話は戻って「シュレディンガーの猫」について考えてみよう。

先に述べたように,「シュレディンガーの猫」は神の気まぐれ(ミクロの世界の状態)で矛盾が生じるというものだ。

ではマクロな世界では矛盾が生じないのか考えてみよう。

マクロな世界は物理学で言うと古典力学である。
ここでは難しく考えることはしないので,肉眼で見える物体として考えよう。

箱の中に猫と一種に毒瓶ではなく,別のものを入れてみよう。

その1:ナイフなどの刃物

刃物は鋭利だし,扱いを間違えたら猫は死んでしまいます。

でも自分で刃物を体にさすというのは猫が行うとは考えにくい・・・。
(人間でも普通はしませんものね・・・)

猫が死ぬことがなければ黒い布をかぶせても猫は生き続けていると判断できるので矛盾はないですね・・・。

その2:毒薬

では猫と一緒に毒薬を入れればどうだろうか。
もちろん猫はそれが毒薬だなんてわかりません。

するとどうだろう。
猫が勝手に薬をひと舐めして体内に毒を取り込むということがあり得ますね・・・。

というとは黒い布をかぶせてしまうと猫の状態は生きているか死んでいる状態になる。
マクロな世界だけで「シュレディンガーの猫」が再現できそうだな。

実のところミクロの世界だけの話ではないのでは?

エルヴィン・シュレーディンガーは量子力学の矛盾や特異性を説明するために「シュレディンガーの猫」を提唱しました。

でも,毒薬をつかえば「シュレディンガーの猫」が再現できそうとお話ししました。

これを読んだあなたはどう思いますか?

私は改めて考え直してみました。

結論としては,やはり「シュレディンガーの猫」は我々の常識の矛盾を突く,つまり毒薬では「シュレディンガーの猫」は再現できないということです。

毒薬を使う場合と,実際の「シュレディンガーの猫」の大きな違いは何でしょうか?

それは猫の生死を誰が握っているかです。

実際の「シュレディンガーの猫」では,猫の生死は神の気まぐれ(ミクロの世界の状態)によって決まります。つまり,猫の生死は我々はこの外の人間が握っているのでもなければ,猫自身が握っているわけでもありません。

一方,毒薬の場合はどうでしょう?
猫が死ぬには猫が毒薬をなめる必要があります。

つまり,猫の生死は猫自身が握っています。
ただ,猫がそれを理解(把握)していないだけなのです。
(猫はそれが毒薬かどうかなど知らないから)

まとめ

さて,今回は「シュレディンガーの猫」について考えてみました。

チュニジアでの貧困問題,クマムシやベニクラゲの特徴,不老不死の文学的側面など,様々なことについて知ることができました。

また,「シュレディンガーの猫」の伝えたかった量子力学の特異性についても改めて理解できました。

また機会があればこのような考察をしてみるのも面白いですね。

みなさんも感想や考え等ありましたらコメントを頂けると嬉しいです。

長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました!!
それではまた。

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