好きの解像度
わたしは自分の好き嫌いを楽しんでる。
過去に何度か、あなたは変態だねって言われた時
「それは違うと思う。好き嫌いがハッキリしているだけで、自分の好きなものを知っているだけだよ~」って言ってた。
何が詳しいとか長けているとか、どんな相談にも応えてあげられるとか、
そんなんじゃない。自分の好き嫌いを知っているだけ。
いや、分からないから考え続けている分を自分の範囲で応えられるってだけ。そこに変態も何もないね?って。
(相手が全部ひっくるめて私に変態って言っていた可能性は、、分からない。)
今はまた違う言い方が出来るかもしれない。
自分を知りたいから掘ってる。
それは大事な相手を知りたいから掘ってるとも言える。
一概には言えないけどね、これって他者とのコミュニケーションでひらかれるものだから自分だけで完結は、多分ない。
こんな事がこんな風にたまらなく好き、って。蕩けるほど、より深く強く知っていたいし、それを好きな相手に伝える言葉を持ち合わせていたい。
相手が伝えてくれた言葉を知り得るだけの言葉も持ち合わせていたい。
当然、嫌いに関しても同じように。
これはこんな風に嫌いだから同じ意味ならこっちが良い!とかね。
そうして大事な相手と言葉で共有していくと更に好き嫌いの輪郭がハッキリしたり、時には膨れ上がって分からなくなったり。自分をたどり続ける。
翻せば、自分の好き嫌いのように、大事な相手の好き嫌いを知るために。
そこからまた【言葉と意味の確認作業】の繰り返しをする。
わたしは好きな相手とするこの確認作業の繰り返しが、とても好き。
相手から突きつけられる未知の自分とか、自分で取りに行って他者にひらかれる未知なもの、勿論お互いの間で突然生まれる未知の感覚や言葉も、
ぞくぞくするほど甘い。
甘いなんて言っても、好きを確認するってすんげぇ痛いもんね。
それを好きな相手と通じるか分からない中、確認し続けるのだからなぁと思う。涙も出るし嫌にもなるよ。
でも、言葉と意味の確認の会話で“突然知る”のはよくあることで、
言語化の最中に更に認識が深まっていくことはあるあるだ。
そうしてピースがハマる、パーツを見つける感覚を、夫と一緒になってわたしは実感させてもらってる。その分わたしたちはその確認中に痛い思いもして、
そりゃもう精神的にも物理的にも血だらけになってきたわけなのだが。
痛いよなぁって、ねぎらい合いながら、それでもしつこくお互いの言葉と意味の確認作業を繰り返している。
好きだから知りたい。失敗するし変化もある、生きている分。
自分が何を好きか、どうして好きか、
反対に何を嫌いか、どうして嫌いか、
あなたはどうか?わたしたちそんなことの言語化ばかりしてる。角度を変えると楽しくてあそことあそこは繋がるね、じゃあさ、って次々出てくる。
三月に入り、夫との特別な日でもあり、
嫌でも母とのことが頭をよぎる陰虚な日でもある誕生日を迎えて。
毎年ナーバスになってしまうのだが。そんな日に、毎年毎年いろいろなことがあって楽しいなと、ふと感じてる。感じられるようになった。
美しく美味しいタルトのケーキを前に、夫がうたうギター子どもたちがうたうhappy birthdayで、そこにあるしあわせを噛み締めた。
そもそも我が家は、わたしたち夫婦は、本当によく喋る。
話をするしか能がないみたいにずっとずっと喋り続けている。
たとえばコミュニケーションの手段が限られた世界で他者と生きていく場合に【もうこの電話しかありませんよ】となったなら。
それは人間として当然の反応なのかもしれない。
単純にわたしたちがよく喋るだけなのかも、その両方かもしれない。
ここ二年くらいはわたしの中で分かりやすい変化も起きていて。
書きたいと思ったことや、腹にある言いたいことをいつも夫と話し合っているので書く必要がなくなったのだ。なんて不思議な感覚なんだろうと思う。実感は大きい。
わたしたちの話し合いの中身は、くだらないものは勿論かなり重たいシリアスなもの、メンタルやフィジカル、セックスに関しても、子育て、政治の話も含め、パートナーとして生きていく上で関わること全般だ。
自分自身の問題、社会的認知の問題、どちら側からも。
しかしまぁ、一緒に居る実質時間は驚愕の少なさなのだが、
夫婦間での電話の通話量はとにかく尋常ではない。
バカップルどころではないし、これではただのキチガイになりかねない。
でも、未だに大好きだ。お互いの考えを聴くことが、言葉を交わすことが。話しているうちに相手に自分を知らされることが。
理屈も感覚も出来得る限りに言葉を共有して、その感触に年を重ねる度に心を躍らせそうして話をするのが楽しくて。
わたしたちは丸七年を重ね、八年目を今一緒に生きている。
ある意味こんな奇妙な不思議な生活を、
贅沢にも、モノにして堪能している。
セックスは具体的な好き嫌いを伝え合うのがより難しいコミュケーションだから。言う側も聴く側も。自分が何が好きで嫌いか知らなきゃいけないし、他に比べても大事な相手との共有が難しいと思う。
デリケートでとても感覚的。
だからここは丁寧に時間をかけて言葉と意味の確認。
余程勘の良いセンスの良いタイプでない限り時間は必ずかかる。
だって違う人間の違う身体のことだからね。
そんな、違う身体の違う人間の夫をわたしは心底愛してる。
彼の好きなところはたくさんあって。
「言葉を捨てられる」ところってのは前に書いたことがあるんだけれど。
数ヶ月前、あぁ、めっちゃ好き。ってしみじみ思うことが、ですね。
しみじみ、というか好きが後からじんわり暴発という感じで。(ひとりシャワーを浴びてぼ~っと考えながら内心あらぶってたんですけど。)
彼はね「パンストを勝手に破かない」の。絶対に。
これ、分からないひとには全く分からないと思う話なのだが。
わたしたちここまで夫婦やってきて、デートも勿論するし大人時間は大事にしてる。セクシャルなこともよく話し合っていると思う。
お互いの好みなんてかなり知った仲なわけじゃないですか。
新たな扉まで開いちゃったりかなり充実した満足感のある性生活送ってますよ、マジで超努力して一生懸命話し合ってるから。
だからね、ツーカーですし、パンストね、破く時あるじゃないですか。
だってわたしたち好きなんだから。
でもね、わたしに破いて良いか訊かないで破いたことは一度もないの。
ざっくり十年弱セックスをしているパートナーとの間でね、分かり切っていても勝手に破いたりしないんですよ。
これがどんだけ尊いか。もうね、めっちゃ好き。
自分の中でば~っと暴発が済んだ後、夫に話したけれど返しは予想通りで。「当たり前じゃない?」「ひとの服勝手に破いたりしないでしょ」って。
彼はわたしにあらゆるカタチでリスペクトを伝えてくれて大事にしてくれる。言葉が通じなかったら言葉を替えて、痛みに寄り添い、
好きも嫌いも一緒に年中研究。愛しかねぇな、と思うけど、
考えてみればわたしに負けず劣らず、相当好き嫌いハッキリしてる。
わたしにとって彼は今まで出会ったひとの中で誰よりもまともなひとだ。
愛しているしリスペクトもある。
リスペクトを持つこと、
リスペクトを言葉にして伝えること、
リスペクトが相手に伝わるかどうか、
それらは全部違うことだから三つ巴、仲良く手を繋いで変化していければ。
世界はハッピーだね。
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