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書く理由

プライベートを記すには 理由がある

息子に 障害がないのなら 書くこともないが

息子に 知的障害があるということは

やはり この親子関係は 少数派

実際 母が育ってきた環境に その存在をみることはなかった

息子を授かったことで

多数派を生きてきた人生が 少数派の人生に変わったときの状態

それを どう言えばいいのだろう…   

そうだな  例えば


たぶん……  行ったことはないが


サハラ砂漠の夕暮れに ぽっんと置き去りにされたような


きっと

そんな感じじゃなかったのかと思う

その上 腕の中には宇宙人のような息子がいるわけで

私はどこ? ここはだれ?  

と 何を尋ねているのか

息子を抱いた 若き日の私は立ち尽くしていた


そこから ここまでの道のりを

忘かけた記憶を たどりつつ

ここに記し

今  現在  

サハラ砂漠にいる少数派に伝えられるものがあるとしたら

『太陽のあるほうへ 歩いてみて』  と


もちろん 私たち親子も 道の途中ではあるけれど

ずいぶんと前に サハラ砂漠から生還し

もうすこし 整備された道にいる


今  砂嵐の中で耐えている親子がいて 

もし  届けることができるのなら

私たち親子の 体験も

書いておく意味が あるのかもしれない


それが

書く理由です






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