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展示1箇所 Utopia MoMo-Iro 14@salon cojica

2022.7.9、「Utopia MoMo-Iro 14」@salon cojicaを見てきました。

https://www.instagram.com/p/Cf1N-wpJ2do/?igshid=YTgzYjQ4ZTY%3D

以下では、展示を拝見して、自分自身が感じたことを感想文的にお届けします。

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また、今記事からは、「作る側(自身も作家)としての感想」ということを意識し、「なぜそういう(身体的な)反応になったのか?」という観点で、少し深堀りしてみます。他者へのテキストでの説明が非常に難しい面もありますが、ご容赦ください。


まず身体的な反応として、
■ぱっと見、目が痛い。絵がちらついて見える
という反応がありました。これは単純に派手な色彩がたくさん使われているからだと思います。反応の理屈は非常に単純だったのかなと。

次に、
■絵のどこを見ていいか、わからない
という状態に陥りました。おそらく絵のどの部分も等質に見えたからだと思います(作家の意図?)。そうすると自然に、
■遠くから見たり、近づいて見たり・・・と体が動く
という反応に。
これは、自分自身が絵の中に何か「正体の知っているもの」をさがし求めた結果なのかなぁと、あとから思いました。

そして、近づいて絵を見た時には、
■絵のそこかしこを、いつまでも見入ってしまう
という、絵から目が離せないような状態になりました。
絵に近づけば、色彩や形がはっきり見える。その一方で、はっきり見えているのに、それが何なのかがわからない。「ウォーリーを探せ」のように、何か自分自身を納得させるための正解を探しているような感覚なのかもしれません。

そして、次。
これは、自分だけの反応かもしれない。
■遠くから見ると動いて見える
絵を遠くから見たとき、かすかに絵が動いて見える瞬間がありました。
「待て」と一旦目を瞑り自分を落ち着かせてからもう一度見ると、絵が動いていないことは明らかなのですが、ふとした瞬間、上下左右にチラチラと動いて見えちゃいました。

以上、私の身体的な反応を少し深堀りしてみます。
色彩がたくさんあって「派手」派手しいのに「等質」っていうのが、今回の作品の注目すべき点かなと。普通、絵が「派手」になると、絵のどこかに自分の眼をフォーカスさせたくなるものですが、なぜかフォーカスできない。しかし、作品が一般的な抽象画のようなものでもない。線、四角、丸、曲線、さらには形は描かれている。いろいろ描かれているにも関わらず、描かれたものがどこまでも記号的なので、それを目に捉えても「見えた!」という感覚には到達しない。

これが作者の意図なのかはわかりませんが、「部分にフォーカスさせない絵」ということができそうです。

そこで、以下のような感想にもなったのだと思います。

ばふらっとした見え方/グラフィック的にも見える/グラフィティ、壁に書いた落書き的にも見える/好きな1枚を選べない感じ

最初は、「ここの金色の意味は何だろう」とか「作家さんが何を考えて制作しているか知りたい」とか、「アーティストステートメントがあったらいいのに」と思いましたが、それはおそらく一生なさそうで、「単純にすげぇー」とか、「何かを言わんとしているわけではない」、というのが答えなのかもしれないと思い至りました。結果的に、何か絵画の歴史に接続している絵なのだと思うが、単純に、見た目以上でも以下でもない・・・ということなのでしょうか。

「自分自身のために書こう」

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