展示1箇所 「Near the Number」@茶廊法邑
6月4日、「Near the Number」@茶廊法邑を見てきました。一方は切り絵作家さんで、以前にも展示を拝見したことがありますが、もう一方の方の展示は初めて拝見しました。その方のSNSによると、「木彫平面と太鼓/drawing」とあり、SNS等で作品を目にしたことはあります。
以下では、展示を拝見して、自分自身が感じた「何か」を感想文的にお届けします。
まず全体の印象ですが、
「生きてるな、自分」という感覚を抱きました(確認作業をしました)。自身の手や体をあらためて自分の視界に捉え、その動きを確認しながら、自分自身の存在を確認せねばならぬ・・・という自然な衝動?動き?になって、それは表れました。まず会場に入ってすぐ感じたことなのですが、技術的なところはともかく、今になって考えるとそれに尽きる感じがします。
おそらく一つ一つの作品ではなく、切り絵と壁に写ったその陰、そこに貼りめぐらされた平面作品・・・という組み合わせ(セット)が、私にそのように感じさせた原因ではないかと思います。こういうコラボって良いな、そんな目で眺めてました。
平面作品については、全体に沈んだ色彩、そこに彫刻刀で削った躍動的なラインが入っている作品が多く、各々、逆をいっているようで不思議な感覚になりました。一見、沈んだ感じに見えるのだけど、そこには浮かぶ?上昇する?ハイになる?というのが両立している感じ。言葉では、ちょっと表現が難しいですが、違うものがうまい具合に混在している感じというか・・・
また、平面作品には、見えるか?見えないか?といった白っぽい絵画作品もありました。上記の沈んでるけど浮いている作品、そしてまた趣向の異なる白っぽい絵画、多種多様の作品がありましたが、その配置と切り絵とのコラボで一体感がありました。
最後になりますが、平面作品に埋め込むような形で「鏡」がありました。これは、やはり自己像との対峙を作家さんもイメージしているのかな~と。鑑賞者が、自分自身と対話する・・・というのは、お決まりなのかもしれないですが、全体を見て自分が感じた「自分自身の存在の確認」みたいなところは、間違ってはいないだろう・・と。
また、上述した「一体感」はどこからくるんだろう・・・と不思議だったのですが、ただ作品を見るのではなく、宙に浮いた切り絵を意識しながら、時に頭にぶつかりそうになるのを避けながら、壁にある平面作品を鑑賞する・・・そして、必ず切り絵作品やその陰が視界に入る(意識せざるを得ない)・・・という自分の身体の動きや内面の意識が、全体的な一体感を生ませているのか?・・・という気がしました。私も、こういった身体や意識を否応なく観客に意識させるような展示をやってみたい・・・と思いました。
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