法学部は法律を学んでいないのでは?

どうも、のっちゃんです。
突然ですが、私は大学で法学部に所属していました。
法学部に進んだ理由は、なんとなく「法律を知ってたら色々役立つでしょ」という浅いものでしたが……

そういった背景もあり、私の法学部に対するイメージは例えば「この事件は刑法◯条◯項に反するので、犯罪!」というアバウトなものでした。

しかし実際に法学部に在籍する過程で、こう思うようになりました。


あれ、法学部って法律を学んでいないのでは?

法律とは「解釈」である

法律と一口に言いますが、法律には様々な種類があります。よく言われる六法は「憲法・刑法・民法・商法・民事訴訟法・刑事訴訟法」なのですが、よく聞くのは憲法・刑法・民法の3つかと思います。

その3つで特に顕著(な気がする)なのは、この3つを学ぶということは「言葉の解釈を学ぶ」ということである、ということです(言い過ぎかもしれませんが)。

例えば分かりやすい例を一つ出してみます。
刑法199条は「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」としています。所謂殺人罪ですね。
では、人を殺したというのはどのように定義するのでしょうか?
例えば人を海に突き落とし、呼吸が止まったとしても心臓が動いていたら、それは「死」と呼べるのでしょうか。あるいはなんらかの事故によって植物状態になっても、脳の全ての機能が停止しているわけではありません。この場合、この患者は「生きている」のか「死んでいるのか」どちらでしょう。

実はこの問題(当然と言えば当然ですが)、正確な答えは出ていません。しかしそれでは法律を実際に運用することができなくなります。そこで刑法上は「三徴候説」や「脳死説」といった学説を用いて「死」という状態を定義し、それに当てはまった際に199条を適用するわけです。

大学のテストで問われる内容は主にこの「学説の解釈」の比重が大きいです。要は問題文で状況を説明され、それが199条に言う「人を殺した」に該当するかを、学説を交えて記述するわけですね。

こうして見ると、所謂”法律"を学んでいるというよりも、学説とそれに合わせた「解釈」を学んでいると言った方が適切なのではないかと、私は思うわけです。

法律は個別具体的なケースを全て挙げているとキリがないため、多くの状況に当てはまるようやや抽象的な書き方がされることが殆どです(民法ではこれを「パンデクテン方式」と呼んだりします)。だからこそ文面の解釈次第で犯罪が成立するか否かが変わり、その解釈を巡って学説の対立が生じるわけですね(政治家の言う「法解釈」の差異もこれに起因するところが大きいです)。

大抵の場合

大抵の場合、言われた法律を素直に守った方が得をするなぁと、法学部に来て多々思うようになりました。

例えば民法における「登記」。登記とは不動産の所有権など重要な権利義務を明示する制度なのですが、よく問題として挙げられるのは不動産登記です。
基本的に不動産の各種権利(抵当権など)は登記をしてる人(登記人)が優先されるですが、何を血迷ったのか登記をしないまま不動産を他人に売買したり譲渡したりする輩がテストでは現れます。その場合は当然不動産の本来の所有者、登記人、購入者や譲受人との間にトラブルが発生するわけです。

これを見て毎回思っていたのが、「いや登記人が登記さえしてればこの問題発生しないだろ」ということでした。ただ実務上はこの「登記忘れ」がままあるということで、さらに驚愕したのもよく覚えています。

やっぱりトラブルを避けるために、ある程度関係した法律には従った方がいいのだなぁと、学部生ながら実感した覚えがあります。


まとめ

法学部に進むということは、必ずしも思っているような”法律”の勉強をするわけではない、ということが伝わったでしょうか。もしこれから法学部に進みたいと考えている高校生や、お子様が法学部に進学したいと仰っている親御さんの方々がいらっしゃいましたら、ぜひご参考までに。

なお余談ですが弁護士法72条では、「非弁護士による弁護行為」が禁止されています。そのためこの記事では具体的な事例に言及する意図はありませんし、個別具体的な法律相談について言及するものでもありません。あくまで学部生が得た一般的な知識を記載しているに過ぎないものです。皆さん呉々もこの記事の全てを鵜呑みにするのではなく、弁護士の方々にご相談くださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?