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多様性のアクセサリー

美人は三日で飽きる。
そんなことをいっても、物語の主人公は美男美女と決まっている。どんなメディアでも外見が美しい人が中心だ。

小汚い服を着ていたシンデレラ。雪女のお雪。ブスだと思っていた学級委員長はメガネを外すとあらフシギ!かけているのは本当にメガネですか?

冒頭のことわざも美人よりブスがいいというわけではない。
これはブスを娶った男性用の言葉だと思う。「見た目はアレだけど美人は三日で飽きると言うもんなぁ。しっかり者みたいだしいいんじゃない?」という具合だ。力づくのブス持ち上げ痛み入ります。

現実は美人>ブスなのに、世論に敏感で外面のいい大人は『ありのままが美しい』とか『多様性』が飛び出すからちゃんちゃらおかしい。A5の和牛がおいしいのは周知なのに、スーパーのアメリカ産が一番好きと言っているようなもの。

子供向け番組でも登場人物は美男美女。
プリキュアはいい例だろう。褐色肌の女の子が出たり、男の子がプリキュアになったりと多様性を押し出してはいるが、ブスはいない。どこにもいない。そういえばデブもいない。こうも出ないと制作側に人間として見られていないのではと勘ぐってしまう。大丈夫。同じニンゲンですよ。噛みついたりしません。

ディズニーはもっとヒドイ。メガネすら許されないらしい。ディズニー・ヒロインにはメガネはいない。つまりメガネ=子供の夢を壊すとお思いか?

いや待てよ、入れ墨だらけのお兄ちゃんは出ていたぞ。金曜日の夜に見たことがある。メガネより入れ墨のイメージが良いというわけか?ならば入れ墨ミッキーでも出してみたらいい。

メガネだけで拒否反応をおこすなら、補聴器、車イス、人工肛門なんてもってのほかだろう。これからは彼らを主人公にすることに意義がある時代だと思うんですけど。

なにが言いたいかって?メディアは外見が美しい人しか認めていないのに、口先で多様性をほざいてるのが気持ち悪い。24時間テレビのチャリティーの片隅。出演者に出演料が支払われているのと同じ気持ち悪さ。

いやいや、卑屈にならずにもう少しだけ考えてみよう。
なぜ美男美女がこんなにも尊ばれているのか。私の答えは『美しさは金になるから』だ。

電車を利用する人ならお分かりだろう。車内の広告は脱毛、エステ、英語が多い。細かく言えば『美人になる過程が金になる』。メディアに映る女性の九割九分はムダ毛がない。みんなツルツルでおきれいだ(男性は別)。

俳優は英語が話せるとそれだけでキャラが立つ。イケメンによる英語の記者会見。自分もあれだけ話せればチャンスがつかめるか?てやんでい、異人さんの教室がなんぼのもんじゃい!

本来ならば、英会話教室の広告モデルは誰でもいいはず。むしろ日々の仕事でくたびれたサラリーマンを起用したほうがリアルだろうに。
学生の頃に英検3級を取ったサラリーマンが一念発起。仕事と家庭を両立をさせて英語を学び、ラストは外資系企業に雇用されて家族みんなで万歳三唱はどうだろう。中年で大企業に中途採用されるより現実的ではなかろうか。あ、これ大人のちゃれんじマンガ?

しかし、目の前の広告は偶像的な美男美女で夢を与えている。外見が美しい人は得だなと思う、心から思う。
では偶像として利用されている美男美女はどうなのろうか。

広告の美男美女は勝ち組というよりは、この商品を買えばあなたも同じ人生がおくれるというまぼろしでしかない。広告の主人公は商品であり、裏の主人公は購入者、つまり自分自身だ。

美しいからこそ埋没する可能性もある。アイドルの群衆は見分けがつかない(少なくとも私には同じ顔に見える)。
独立すると仕事は激減。群れているからこそ仕事になっている程度だ。AVデビューを期待する声も出てくる(決してAV俳優が悪いわけではない)。

一般企業の中には顔採用をしているところがある。経歴よりも容姿の善し悪しで採用することだが、めずらしいものではない。アパレル店員は顔採用は当たり前。店員はブランドイメージも左右する。顔以外にも身長、体重が吟味されているはずだ。

一昔前はちょっと人気の企業なら顔採用をしていたように思う。この考えは田舎でも根強く残っていた。今は求人募集があれば御の字。

私が勤めていた会社は雇用期間が決まっている有期職員と正職員がいた。正職員は大卒。それも女性は国立大、元帝大卒の将来有望な人たちだった。劣等感を刺激されたこととはウソではないが、それ以上に彼女たちはやさしく美しく、努力家だった。

彼女たちを眼にした年配の有期職員は、顔採用の小娘と陰口を叩いていた。決して顔採用するような企業ではなかった。したところでメリットのメの字もない企業だからだ。能力での採用であることは明白なのに容姿が整っているからと顔だけで判断していた。

ブスは他人からの判断と自己で悩み、美人はひがみで悩むのか……。

ニンゲンはつくづくめんどうな生き物だ。
『多様性』と口にしつつも現状は何も変わらない。偽りのコトバのアクセサリーがぶらさがっている。真に多様性を認められる世界は来るのだろうか?イヤ、こないと思いますけど。

(約2,000文字)

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