ものぐさな私に、果物の幸福を教えてくれた人
果物を買うのは苦手だ。果物ってやつは、おいしくてみずみずしいのに、むくのがこの上なく面倒な作業である。
「食べたいな」と思って果物を買ったとしても、「今日は無理。果物をむく気力なんて1%も残っていません」という日が、平気で4~5日続いたりする。
そうして、ようやく「よし、今日は果物をむいて食べるぞ」と思ったころには食べごろをすっかり過ぎ、傷んでいたり味が落ちていたり、なんならもう食べられないくらい熟してしまっていたりする。
果物ってやつはお高いわりに、食べどきが合わず、ダメにして心がすさむことすらある。
だから、食べたいけど、買わない。
果物はそんなやつだ。
私がもっと体力が合って、丁寧な食生活に向いていたら、食卓にもっと果物が並んでいただろうに。それは未来の私に託すとしよう。
ただ、私が1年に1度は、取り寄せしてまで買ってしまう果物がある。
それは日向夏だ。
日向夏、ひうがなつ、と読む。
名前からして、なんだかとてもさわやかなこの果物。むくときいつも、お義母さんを思い出す。
私は関東出身で、日向夏を食べたことはなかった。居酒屋で「ひうがなつサワー」を注文したことがある程度。夏みかんみたいなものだと思っていた。
初めて九州にある義実家を訪問し、しかも宿泊して緊張している中、お義母さんがふるまってくれたのは日向夏とおいしいお茶だった。
日向夏が、しろいわたを残してカットされ、「どうぞ、食べてみてね」と出されたときは驚いた。
食べてみると、そのわたのほのかな甘みと柔らかさ、果汁の多さ、柑橘系なのにすっぱすぎないさわやかさにより一層驚いた。
日向夏は、その果汁の多さから、むき方が特殊だ。みかんのように皮をむいては、果肉がつぶれてしまうのでいけない。わたを残して表面の革だけをむき、カットしていただく。
そのさわやかさ、みずみずしさ、わたさえやわらかくて甘い、という上品な果物は、お義母さんそのものであった。
穏やかで優しく、いつも美しいお義母さんは、私のあこがれの女性になった。
遠方に住む今は年に1度会えるか会えないかであるが、日向夏をお取り寄せするたびにお義母さんを思い出す。
そうして今日、久々に日向夏を食べた。
子供たちにも食べさせた。わたを嫌がるかな、と思ったら、果汁のおいしさが勝ったらしく「おいしい!」と言ってパクパク食べた。
私はこれからずっと、日向夏を見るたびに、お義母さんを必ず思い出すのだろうな。
それはそれは、さわやかで、幸せなきもちになるんだろうな。
こんな素敵な贈り物があるだろうか。
これを見るたびに、食べるたびに、あこがれのあの人を思い出す。
この贈り物をくれたお義母さんのように、私も誰かの心にさわやかな贈り物を残せる人でありたいと、そう思いながら日向夏をむくのであった。
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