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恵水〜めぐみのみず〜



原作  中村ひろし


天下茶屋公園のとある暑い夏の日……

謎の足の無い着物を着たお爺さんが小さい子に語りかける
むか〜し、昔、この賑やかな街は鬱蒼とした森に囲まれておった頃の話しじゃあ〜

ここにはなぁ、天神の森ちゅう森の中だったんじゃよ…………

                        〜〜〜

戦国時代
1542年……

武野紹鴎「おお……これは見事な大樹じゃ…やや湧水が出ておる…」

湧水を手にとりひと舐めしその旨さに驚く紹鴎

武野紹鴎『美味い!!三好殿!茶をたてまする故、ここで休憩いたしましょうぞ』

三好範長『お師匠様が言うなれば……皆の者、ここらで休息をとる』

家臣『ハハッ!』

三好範長『しかし、お師匠、、、そんな湧水で茶をたてるなぞ大丈夫ですか?腹でも下し…』

武野紹鴎『三好殿はいずれ、天下を獲るお方、些細な事は気にしてはなりませぬぞハッハッハッ』

武野紹鴎『ささ…茶をたてました故、どうぞお召し上がりくだされませ』

武野紹鴎は三好範長の方を見ながらニコニコしている

三好範長は室町幕府管領で足利将軍家を操り人形に天下を牛耳た細川晴元の側近の家臣であったがその細川晴元に父を殺されていた為、晴元に復讐する為に自ら家臣にとなっていた。

彼こそ、戦国時代最初の天下人となった
後の三好長慶公である。


武野紹鴎は元は若狭武田家の一族で紹鴎の父が武田家から離れた事で名を武田家から下野したということで武野を名乗った。


紹鴎は商人の街、堺で鎧などに多く使われていた皮屋を営んでいた商人である。

その堺の町を商人の町にまで栄えさせた立役者が範長の父で範長の父は海船政所で幕府からの文書、奉行人連署奉書により貿易を盛んにさせていたが、、、、

主君であった細川晴元の力を上回った為に本願寺一向衆と法華宗の戦を先導し範長の父を謀殺した。

海船政所を含む堺の町は焼かれたそんな恨みが武野紹鴎にはあったが三好範長が三好家の当主として立ち上がったことから紹鴎は範長を自身が得意とした茶の湯、連歌の弟子として懇意にしていた。

尚、紹鴎の弟子には……

田中与四郎『兄上様!お師匠様!あっしにも一口くだせぇ』

三好範長『与四郎!まだ歩いておったのか💦』

与四郎が転んで恥ずかしそうな顔を上にあげる

この田中与四郎こそ、後々、豊臣秀吉公まで仕える天下の茶人 千利休である。

与四郎と範長とは幼馴染で義兄弟でもあった。

三好範長『まったく……茶も落ち着いて飲めぬではないか……』


武野紹鴎『与四郎、後で飲ませてあげるから落ち着いてこっちに来なさい』

田中与四郎『へぇ……』


恐る恐る茶の入った茶碗を傾け茶を飲む範長

三好範長『ん!?……美味い!!お師匠!いつもの何倍も茶が美味うございまする!何故!?』

武野紹鴎『茶は水の清きさでその全てが極まるので御座います、、故に淀みのある水は天下すらも極めれないのでございまする
三好殿……与四郎…貴方達には天下を治むる為、晴元の様な淀みのある者になってはなりませぬぞ……』


三好範長『ハッ!』

田中与四郎『美味しい!!』

与四郎はあまりの旨さに隣にいる範長に抱きつく

三好範長『お前という奴は!!お師匠様が折角良き話をされておると言うに!』

田中与四郎『ひっひぃ〜』

武野紹鴎『ハッハッハッハッハッ笑』

                〜〜〜〜〜

それより46年の長いようで100年以上も続いた戦国時代に比べれば短い時の中で何度も争いがあり天下人となった三好長慶も織田信長もこの世を去っていった……

1588年
織田の残存勢力も全て制圧し小田原の北條を降せば天下統一とまでなる豊臣秀吉が母である大政所の大病を鎮めるべく住吉大社に参拝していた。

豊臣秀吉『……しかし、暑いのぅ……おっかあが病になるのもわかるわい……利休!ここらに一息つけれる場所はないか?』

千利休『ハッ……実はこの辺りに私の師匠からお譲りされた紹鴎の森という場所がありまして、そこに私の芽木少兵衛という弟子に茶屋をひらかせておりまする。
そこのクスノキから湧き出る水を恵みの水と呼んでいるのですが、この水でたてたお茶が大変美味しいのでごさいまする!』

豊臣秀吉『利休、ワシは舌は肥えとるでね〜その茶はどのくりゃあ美味ゃあんじゃあ?』

千利休『天下一に御座いまする』

豊臣秀吉『ほぅ、天下一とな!そりゃあ飲みにいかにゃあいかんわ!利休!案内(あない)せい!』

千利休『は!』


                            紹鴎の森

芽木少兵衛昌立『これはこれは利休様、は!?関白殿下様で御座いまするか?!
この様な見すぼらしい私の茶屋に来ていただけるとは大変、嬉しゅうございまする!』

豊臣秀吉『今のワシは利休に天下一の茶が飲めるちゅうんで機嫌がええで芽木ちゅったか?楽にせい』

芽木少兵衛昌立『ハッ!有難き幸せにございまする』

千利休『殿下、この者、実は楠正成公の弟君の楠正行(まさつら)公の一族にござりまする。  私が三好殿に仕えていた頃、三好殿に紹介された者にござりまする。』

豊臣秀吉『ほぅ、あの武勲の武将、楠家の者か!!
益々、ワシが天下をとるに天が案内(あない)してくれたのやも知れぬのぅ…』

豊臣秀吉『先ずは茶じゃ!天下人になる
この儂に天下一の茶を飲ませい』


芽木少兵衛昌立『しかしながら天下人になられる方に私の様な者が茶をたててもよろしいので?』

千利休『ん……なれば、どうじゃ、其方の祖父、光立に茶をたてさせれば、、彼奴ならその技は儂から伝授しておる故…』

芽木少兵衛昌立『………実は爺様は少し前から手が病で手が震えておりまして…その、茶をたてることは……』


千利休『……うむ、では、芽木、儂が茶をたてもよいかの?天下人になられるお方には茶の湯の最高峰であるこの千利休が茶をたてたほうが良かろうということじゃな?』


豊臣秀吉『どっちでも良いから早よせい
こっちは喉がカラカラじゃわい!』


千利休『ハッ!直ちに暫しお待ちくだされ』


大樹クスノキから出る湧水 恵みの水を採取し
芽木少兵衛の茶屋で茶を立てる利休。

千利休『思えば、、三好の兄上様には結局、最期の1杯しかここの恵みの水を使っての茶は一杯のみじゃったが、朝廷から天下人と認められし織田信長様もこの茶を飲んで天下人に……今は多少の淀みのある殿下もこの茶を飲めばきっと清き水となりて天下人になってくれるに違いなかろう…』


千利休『殿下……これが天下一の茶にございまする…どうかこの世に二度と戦がはびこらぬよう、治めてくだされ』

豊臣秀吉『ふん!たかが茶であろうに、お主は前置きがいちいち大袈裟じゃあ!』

豊臣秀吉『ん??』

豊臣秀吉『なんじゃ!コレが茶か利休!ワシが飲んでおるこれは誠に茶か?』

千利休『殿下、茶ではございませぬ、天下一の茶と申したでは御座りませぬか』

豊臣秀吉『……ハッ、ハッハッハッハッ
美味すぎるこれが天下一の茶とはのぅ!
見事じゃ!芽木少兵衛!』

芽木少兵衛昌立『は、ハッ!』

豊臣秀吉『コレよりこの茶屋を殿下茶屋としワシが小田原北條を制圧し真の天下人となった暁には天下茶屋として商売することを認める!』

豊臣秀吉『あとな、玄米三十俵もやるでの』

芽木少兵衛昌立『ハッ!?た、大変恐れ大き事にございまする』

豊臣秀吉『ハッハッハッまた、来るでのぅ』

にこやかに笑う千利休

         〜〜〜〜〜〜〜

そうして、この地は天下茶屋として大きな町に発展していったんじゃ

江戸初期には父・林玄蕃を闇討ちにした当麻三郎右衛門を、玄蕃の遺児・重次郎と源三郎の兄弟が9年間におよぶ苦難の末に、この地で見事に討ち取っておってのぅ、天下茶屋の仇討ちとして歌舞伎の題目になって日本全国に天下茶屋の名が広まることになったんじゃが……


昭和20年の大阪大空襲で全部焼けてもうての……
恵みの水は枯れてしもうたんじゃ…

じゃが、、町が今の様に再び発展したんは
どっかに恵みの水のご利益があるからなのかもしれんのぅ……


しかし、今日は暑いのぅ……
三好の兄上様、信長様、殿下、、、あの日もまた、同じように暑うござりましたなぁ……

そういうとお爺さんは少年の前で静かに消えていった…

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