『ご本だしときますね!』BSジャパン

 東京は住む場所じゃないと聞いて、そう言うものだと思い込んでいた。
 実際はとても居心地が良い。こんなにも自分の生活に合っているとは思ってもみなかった。

 アラサーあたりから、自分の心地よい場所を作れるようになってきた。
 仕事終わりにカフェに寄れたほうがいい。家で仕事のことはしないほうがいい。毎週1度は仕事を忘れてのんびりと街を歩いたほうがいい。
 それが全部できる東京住まいは大変ありがたい。

 さらにさらに、最近、人生がもっと気楽になってきた。

 思えば、世の中で求められる男性を意識しすぎていた。
 仕事はできなきゃいけない、女性を幸せにできる人にならないといけない、良い家庭を築けなければいけないと思っていた。
 そして、一度心を病み仕事から離脱した自分は、この路線から外れた。
 戦線離脱によって、すごく心が軽くなった。が、それは敗北宣言でもあった。
 敗走するほうが心地よかったので、私はそもそも生まれながらの敗者だったのだろうと確信していた。
 これが私の卑屈さの要因でもある。

 人生には目的地が必要とばかり思い込んでいた。いや、なくてもいいんだけど、あったほうがいいんだろうと思っていた。
 去年や一昨年には、結婚を意識してお付き合いしてくれた方がいた。
 素晴らしい家庭を築けるような男性にならなければいけないと思っていた私は、どうやらその目的を達成し、結婚を意識している女性にウケるようになっていた。私もその期待に応えられるだけの準備があった。
 いざ結婚を身近に感じる状況に身を置いてみて、「私は本当は家庭に幸せを求めていない人間だ」と初めて気がついた。

 結婚は幸せなものである。いずれにせよ、誰かの人生が誰かに受け入れられる瞬間である。
 重要だからもう一度。瞬間である。問題はその後の顛末である。必ずしもそれが続くわけではない。
 人生を狂わされた結婚を間近でみてきた。親である。別れたくても別れられない、それは不幸かあるいは幸せか、考え出したらキリがない。
 要は、家庭に対していいイメージを持っていないのである。

 これまで、どんな人間になれば良い家庭を築けるかと考え、試行錯誤してきた。
 失敗を重ねながら、おおよそそれができるかもしれないところに来た。
 だがそれは、世間で求められた理想像を追いかけることや、私が自分のコンプレックスや向き合う中で会得したものである。
 そうして「世間的に言う幸せな家庭」を築けそうな雰囲気を私は会得したものの、幸せな家庭に対して自信もなければ、興味もさほどないのである。
 おそらく、私が感じる結婚の幸せや動機は、もっと別のところにある。
 
 もっと考えるべきことは、目の前の人がどんな人で、どんな瞬間に幸せを感じているかである。それに尽きる。
 そう考えるようになったのは、ここ数年、自分の性分がよくわかってきたからかもしれない。

 本書は、若林正恭と数人の作家が本について語る。
 本と言っても作家にとっての本は、読み手にとってのそれとは異なる。自分の書いた本との向き合い方はさまざまである。
 が、本を書くことに魅せられているのはどの作家にも共通する。

 多くの人にとっても結婚との向き合い方はさまざまである。
 が、多くの人が、誰かに受け入れられたいとの共通の価値観を持ち、それをベースに世界がうごいている。
 


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