創作する人の集まり、未創作につき現在、捜索中

 今週の仕事で一山超えたので、ご褒美というか、気分転換に松山に旅行中である。
 道後温泉付近は千と千尋の神隠しの広告でいっぱいである。
 映画の概要をさらっというと、インターンシップin道後温泉である。
 道後温泉駅まで続く路面電車は、高知市のそれよりも線路がくねくねしていている。

 温泉に入るまでの待ち時間、仕事のことはそっちのけで、自分のことを振り返っていた。
 最近、なんとなくマンネリ化しているというか、なんかやる気が出ないのである。

 悩みましたら音楽を聴きながら散歩するに限る。
 そうして聞いていると、最近新しい曲を聞いていないことがやけに気になった。
 しまった。いつの間にか自分の過去にばかり囚われて、過去の問題を解決したかしていないかばかり熟考していた。新しく感じたこと、考えたことが何もなくなっているではないか。
 
 とはいえ、いざ考えても、次に自分がすべきことが見当たらないのである。

 道後温泉から少し離れたところ、風俗街があった。風俗店の名前はなんとも言えない味がある。一捻りでは足らず二、三捻りしたような痕跡が面白い。
 そこを通った夕方の時間、一組だけ無料案内所から出てきた。その一組とすれ違う時、彼らは私を仲間のように思ったのかもしれなかった。そんな視線を感じた。

 ふとそのことを考えてしまった。私にそれだけ持て余した性欲があるだろうかと考えた。
 いやいや、無いぞ。昔から。勇気が出ないのではなく、性欲よりも金欲の方が上なので、金をそこに使う気がない。しかも、金欲もそこまでない。酒たばこギャンブル女、それらに興味が湧かない私は以前から不思議がられたり、「人生何が楽しいの」と心無い言葉を受けてきた。心外である。過剰に無いだけで0では無いのである。0ではないのだよ。えっへん。

 しかしながら、そこまで欲がないがために、次にやりたいことが無くなってしまったのではないか。欲望を満たすために生きることが幸せであるならば、私は前提とすべきものを見失っている。オールのない手漕ぎボートなのである。現在遭難中である。

 高校大学時代の私を突き動かしていたもの、創作欲である。
 ならば、私は、今、ここに、創作物としての彼女を作らんとする。

 松山の商店街の端にあるスタバである。午後9時、辺りは大学生だらけであるし、なんなら店員すらも全員大学生である。私の隣でiPadを触る黒ニット巨乳女子大生を私は彼女にした。

 これはもう正気の沙汰ではないのである。これはもう正気の沙汰ではないのである。
 
 いやだ。楽しい。

 目の前の席に座る女子大生の髪の毛はくすんだ青色である。彼女の髪色の変化は著しく、強烈なブリーチという愛のムチを与えつつ、上質のトリートメント剤という上質の飴を与えることで彼女のペットと化している。同級生たちは、彼女の髪色が変わったのを見て、季節が変わっていたことに気づいた。

 うん。やっぱり楽しい。

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