散文 倒したゴミ箱のよう

 大して書きたいことがあるわけではないのだが、習慣として続けたいから更新するのである。気を抜くとアウトプットもインプットもしなくなるようなズボラな奴なのであるが、何かを作る活動は続けていたいのである。

 教員の4月がこんなにも忙しいとは思わなかった。というか、忙しいのは自分たちの学年だけなのである。4人中自分も含め2人が新人である。人事配置時点での誤りである。

 文句ばかり言ってもしょうがないのである。ようやく作れた休日を口座振り替えやら部屋のゴミ捨てやら採用試験の出願やらに使わねばならない。この実情がなぜ生まれているのか。

 そもそも「我々の仕事は子どもの成長に関わる大変高尚な仕事」と職員間で話して頷いていることが私には解せない。教育とはそこまで高尚なものなのかい?

 こんなことを書いていては叱られてしまう。しかし、この言葉のせいで業務内容が漆黒化しているように思えてならない。

 暴力を注意する教員はいる。なぜ暴力はいけないのか、それを説明する教員は稀である。私が理由として伝えるのは「人に暴力を振るう人間と一緒に働く人間はいない」とのことである。
 「自分をたいせつに生きろ」との建前で「他人とうまくやるためのスキル」を身につけさせようとしている窮屈さこそ、学校であり社会である。

 「〇〇くんはこれが最初にできてえらいね」と言いながら、対抗心を煽り、できていない子を批難しているのがベテラン勢のやり方である。その手は使いたくないのでしないが、それができないまだまだ若手であると思われているのである。

まとまらずとも、書き終えるのである。



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