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肩の膨らみ


「火中の栗を拾うのですよ」
左の肩から、唐突に声がした。半醒半睡の状態にいた私の耳に、その声は遠雷のようにじんわりと響いた。重たい瞼をこじ開けて左肩を凝視してみると、中央の部分がうっすらと膨らんでいた。声の主は、どうやらその部分に潜んでいるらしい。私は何の迷いもなく、その部分を手元にあった短刀で切り落とした。切除するにあたっては、何の迷いもなかった。ただ私の意識が「その膨らみは災厄をもたらす」と告げたのである。私は、自らの意識の忠告に従ったまでだ。

切り落とされた膨らみは、暫しの間、床の上でのたうち回っていた。私は幾分軽くなった肩の具合を確かめながら、その様子を眺めていた。異物を排除した今、この肩の具合こそが本来のものなのだが、どうにもこうにもしっくりこない。膨らみが綺麗さっぱり取り払われた肩は、どことなく頼りなく見える。膨らみという中枢を失った肩が「何故に膨らみを切り落としたのか。その理由を簡潔に述べよ」と私に対して問い質しているような気がした。もちろん、気のせいである。そして、肩は自分の身体の一部なので、もし肩に詰問されたとしたら、それは自問自答ということになる。そうなった場合、私は肩が満足するような回答をひねり出すことができるだろうか。現今において、自信は全くない。

それにしても、なぜ私の肩に異物が宿ったのだろうか。過去に行った僅かばかりの悪行の報いだろうか。だとしても腑に落ちない。なにせ私の悪行というのは、子悪党の域にすら達しないような極めて些末なものだからである。私は、富豪の家で生まれ育った所謂「お坊ちゃん」なので、悪行といってもたかが知れているのだ。私はその出自故に、これまでに出会った様々な人々から、嫉妬や羨望が入り混じった眼差しを向けられてきた。それは今も継続中である。私が富から見放される予兆はまだない。まことにありがたいことである。

今はもうすっかり慣れたが、子供の時分には、自らに向けられる特異な視線が殊更に嫌であった。そのような視線から逃れるために、生家の没落を願ったこともあった。だが、それも昔の話である。もはや私の意識は、下降を希求していない。私は、人生の潮流に対して、奮然と大槍を打ち込む機会を虎視眈々と狙っているのである。意識は本流に乗り、その勢いをぐんぐんと増していく。その様子が手に取るようにわかる。事を実行する以前の現段階において、事を成し得た後に到来するであろう高揚感を存分に味わっているのである。これほど愉快なことがあるだろうか。



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