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尾行者への警戒


日暮れて家路を急ぐ男がいた。その男は、何者かに尾行されている。なぜ自分が尾行されているのか。心当たりはまるでない。だが、この際、心当たりの有無などどうでも良いことだ。自身の胸の内を丁寧に探ったところで、尾行されているという事実は揺るがない。男は可能な限り早足で歩いたが、尾行者との距離を広げることはできなかった。
尾行者は、付かず離れずの距離をしっかりと保っている。男は半ば感心しながら、尾行者がいるであろう方角を眺めた。はっきりとは視認できないものの、その方角に尾行者がいるということは明らかだった。男は、尾行者の双眸から放たれる視線を確かに感じていたのである。

尾行者は、自身の姿を男に正視されないように慎重に慎重を重ねて行動していた。まるで慎重ローム層である。男は、尾行者がいるであろう方角を何度も振り返ったが、その姿を認めることはできなかった。気配だけがその場所に残されていて、本体は綺麗さっぱり消え失せているのである。並大抵の技術ではない。
その技術を獲得するために、どれほどの研鑽を積んだのだろうか。おそらく、その筋の養成施設に通っていたのだろう。課題がたんまりと出るような厳しい施設だったはずだ。男は、レポートの作成に取り組む尾行者の姿を想像した。まだ半人前の尾行者は、しかめっ面をしながら、文字を地道に書き連ねていた。今は立派に任務をこなしている尾行者にも、そのような初々しい時期があったのである。男は誰に言うともなく「人に歴史ありだな」と呟いた。

そうこうしているうちに、男は家に辿り着いた。男の家は、山の麓にぽつんと建っている古びた一軒家だ。周囲には、数十年前に打ち捨てられた巨大な廃工場があるだけだ。さて、尾行者はどのような行動に出るだろうか。定石通りに考えれば、廃工場に忍び込んで、こちらの様子を伺うだろう。だが、男はその考えを即座に振り払った。あの尾行者がそのような安直な作戦を取るはずがない。長い時間をかけて尾行されているうちに、男は尾行者の思考の大枠を掴み取ることができるようになっていたのである。

もちろん、男にしても、尾行者の思考の全てを読み取れるわけではない。だが、「大よそのところ」を手中に収めることができるというのは、途轍もなく有用な技術なのだ。尾行者が養成施設で学び成長したように、男も尾行されながら学び成長したのである。本人にその気さえあれば、どのような状況においても、学びの成分を抽出して、自身の滋養にすることができるのだ。男は「生涯学習」と呟いてから意識を失った。家に辿り着いた安心感からか、男は猛烈な睡魔に襲われて、ことりと眠りに落ちてしまった。睡眠学習に移行したのである。まことに勤勉であることだ。



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