奇妙な頬杖


その頬杖は、見る者に奇妙な印象を与えた。一見すると、取るに足らない頬杖である。だが、注視してみると、それが歪なものであり、その姿形に対して疑問を抱かずにはいられない。ある者は読みかけの本をそっと閉じ、その頬杖をちらりと見やった。視線が向けられているという事実を頬杖に気取られてはならない。頬杖に感知された瞬間、頬杖を構成する諸要素の一切は瓦解する。頬杖はその瞬間を今か今かと待ち侘びているのだ。

ただ、頬杖にしても、野放図に朽ち果てるつもりは毛頭ない。頬杖の周辺には「頬杖という存在は、何の考えも無しに瓦解するものだ」という思い込みに絡めとられて、思考の型枠を無意識のうちに締め上げている者も少なくない。頬杖は、そのような周辺環境を好ましく思っている。頬杖は「自身の一切合切を接受されること」を積極的に忌避している。そのため、見当違いの方向に視線を固定させたまま、猪突猛進を繰り返す輩というのは、頬杖にとって「大いに歓迎するべき塵芥」なのだ。

頬杖は、気が向いたときに、ふと空を見上げる。もちろん、空にはなんの言葉も記されていない。理解可能な言語の欠片すらも浮揚していない。だがそれでも、頬杖は空を見上げ続ける。たとえその場所で、なんの要素も発掘できなかったとしても、それは決して味気ない体験ではない。自らの意思で特定の場所に目を向けて、その場所を丹念に眺めること。その行為自体が何よりの成果物なのである。

過日、ある個が部屋の片隅で密やかに発酵した。その工程は誰にも周知されずに駆動し、誰にも看取られずに終焉を迎えた。個が発酵するに至った経緯は明らかにされていないし、個自体もそのことを望んではいない。そもそも個というのは「それのみにおいて屹立するもの」である。言うなれば、独立独歩の存在だ。そのような存在に対して、周りの者がやいのやいの言うのは無粋以外の何物でもない。

個はただひたすらに完結を目指しているのであり、その他の一切のものは考慮に入れていないのだ。個が介入を許す条件はいくつかあるのだが、その詳細は明らかにされていない。そのため、個への介入を試みる者は、あらゆる手立てを講じて、個が拵えた参入障壁の突破を図らなければならない。そのことに対して不平不満を抱いている者も一定数いるが、それらの者はやがて淘汰圧の渦に巻き込まれて自然消滅する。個はその様子を遠目に見ながら発酵に専心するのだ。漸進することに腐心するのである。



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