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猫星


あるところに、かなりの度合いで偏屈な猫がいました。その猫は、自分のことを巨岩かなにかのように思っているふしがあるようで、日中はほとんど動きません。降り注ぐ陽光にその身をさらすことに専心するのみであり、他のことは一切眼中にないのです。周りの猫達は、その猫のことを視認してはいるものの、干渉はしません。まるで「視界には一応収めているが決してピントは合わせない」と示し合せているかのようです。それはごく自然のうちに構築された意識の動きであり、何者かに強制されたものではありません。時間の経過と共に四季が移ろうように、猫達の思考も変容するのです。

日が暮れて、周囲の景色が暗くなると、その猫はのっそりと動き出します。その緩慢な動作は、太陽が地平線に沈む様子を思い起こさせます。「太陽が沈んだ代わりに自分が浮上したのだ」と主張しているかのようです。その猫の表情は暗闇に包まれていて判然としないものの、日中とはまるで違って、大らかな雰囲気に包まれているのがわかります。巾着袋の紐のように固く結ばれていた表情はすでに過去のものであり、今では夜空に輝く一等星のように煌びやかな表情を浮かべています。まるで、満天の星空の一部を切り取って、その猫の顔面に張り付けたかのようです。片や上空、片や地上という違いこそあれ、その内に宿しているのは同質のものなのです。

冬の星空というのは、気温が低いために空気が澄んでいて、たくさんの星が見えます。もちろん、星はいついかなる季節においてもたくさん存在しています。「よく見える」というのは、地上から星を見上げるという限定的な条件下での話です。特定の状況や条件を踏まえた上での観測ということです。星からすれば「そちらから見えようが見えまいが、自分はいつもここにいるのだ」と文句の一つも言いたいところでしょう。しかしながら、物言わぬ星です。人間が星を好き勝手に分類して、珍妙な名前を付与したとしても、それに抗うそぶりは一切見せません。秘すれば星なのです。

その気にさえなれば、様々な抗議方法や報復手段を思い付くでしょう。それらを実行に移す能力も気概もあるはずです。ですが、星はそうしません。なぜなら、そのような七面倒くさいことをしたところで、人間が全く応えないことをわかっているからです。「自身の本懐は燃え尽きることにある」ということを重々承知している星には、人間にかまけている暇などありません。自身の内圧が消失し、重力が解かれるその瞬間まで、星は粛々と燃え続けるのです。




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