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「名も無い日」鑑賞のススメ


ーこれは、ある現実の追体験の映画であるー

映画「名も無い日」を鑑賞した私の目線から、すでにこの映画を鑑賞した人。
また、これから観るであろう人にこの映画の鑑賞について語りたい。

ドキュメンタリー映画としての「名も無い日」

まず、映画のあらすじは名古屋市熱田区に生まれ育った3人兄弟の長男、達也(永瀬正敏)が主人公だ。
カメラマンになる夢を叶え現在はNYで生活を送っている。
そんな彼の元に、次男、章人(オダギリジョー)の訃報が届き地元に帰ってきたところから物語が始まる。

鑑賞前の事前知識として、この映画はエンターテイメントや娯楽映画というよりもドキュメンタリー映画の区分にする方が適切だとお伝えしたい。

なぜなら、映画の主軸となる次男・章人の死、主人公の生い立ち、仕事、撮影地、次男の行動、そして次男が亡くなった自宅までもが監督・日比遊一の実際の体験、実物の現場そのものなのだ。

それ故に、この映画の特徴でもあり欠点でもある圧倒的な説明不足に繋がってしまう。

映画鑑賞前の方に声を大にして薦めたいのは、この映画はあらすじをきっちり読んでから鑑賞すべきだと言う事。
何の事前知識もなく映画を見始めると物語の中盤まで主人公達也が何のために帰ってきたかはっきりと語られないまま物語が進行して行くからだ。

孤独になりがちな現代社会

かつては三兄弟は家族一緒に暮らしていたが、長男・達也(永瀬正敏)はカメラマンになりNYへ。三男・隆史(金子ノブアキ)は結婚し地元から離れて暮らし、兄弟で唯一のエリート街道に進み家族からも実家を継ぐのはお前しかいないと頼られ者の次男・章人(オダギリジョー)は地元に残り両親と暮らすが父が亡くなり、また父の死に憔悴し介護が必要になった母の面倒を一人で見ていた。
やがて母も亡くなりたった一人でかつて家族みんなで過ごした実家で一人で暮らすようになった章人は次第に部屋は荒れ、自身の目の病気も直そうとせず、まともな生活もままならなくなっていった。

普通の物語であれば、章人の目線から思いの吐露や描写があるものだが、実際には亡くなった人がどんな思いを持っていたかなんて残されたものにはわからない。
だから、主人公・達也は章人が暮らした町を、自分の故郷の風景を廻り思いを馳せることしかできない。
そんな描写が続くので、ぶっちゃけ物語としての面白さはあまりなくて、人の死に直面した人たちが現実を受け止めていくまでの過程を覗き見るような感じである。
それが冒頭のドキュメンタリー映画と言った理由である。

この作品が撮影されたのは3年前だが、皮肉にも現在のコロナ禍で家族がこまめに様子を見に行ったり、一緒に過ごせない状況のなか自身の家族に置き換えて感じる人も多いのかもしれない。

また、章人が置かれていた状況も現在社会の問題を色濃く反映している。
孤独死、高学歴ワーキングプア、孤独介護、セルフネグレクト、うつ病。
これらのワードに無関心であっても無関係でいられる人はあまり多くはないだろう。

私も、この映画の観賞後に、将来起こり得る兄弟の連絡不精や親の介護問題など考えずにはいられなかった。


映画内で説明が少ないんで勝手に解釈するコーナー

・明美(今井美樹)の存在
主人公・達也の同級生にして、若くして亡くなった級友の恋人だったが、級友の死(事故死)の責任は自分にあると立ち直れず孤独に毎日を過ごしている。
彼女は職場の休み時間に同僚の輪に入ろうとせず、同窓会や飲み会に誘ってくれる友人の誘いにものらず自らを罰するかのように孤独へ向かってしまう。
その姿は家族に助けを求められなかった章人の孤独へと進んでしまった姿と重なる。
真面目な人ほど、自分に原因がある。自分が頑張れば何とかなると周囲に助けを求められないのだろう。
しかし、明美は達也と再会したことで級友の母(木内みどり)に会い、抱えていた思いを吐き出すことで彼女は孤独ではなくなる。
章人と明美は同じ孤独にすすむ姿の対比として描かれているのではないか。あの豪雨の日が彼女の運命を変える瞬間だったのだ。

2019年にお亡くなりになられた木内みどりさんのご冥福をお祈りします。

・燃やされた自転車
尚武祭(あつた祭り)の夜、賑わう神社を避けるように人気の無い公園をぶらつく達也。
ふと、そばで花火で遊ぶ子供が自転車を打ち上げ花火で囲み燃やしている。
唐突なシーンだが、その日に章人の遺体を火葬場で燃やしたばかりの達也は今まで抑えていた感情を一気に吐き出す。
何で自転車を燃やしてるのか?と思ったけど前後の流れで多分これは火葬場のメタファーなのかなと思いました。

・真希(真木よう子)の耳打ちといとこ?(岡崎紗絵)の去り際
三男・隆史の妻・真希が達也との別れ際に秘密の耳打ちをしていたがおそらく所々で話にでていた「妊娠した(子供ができた)」が妥当だろう。
そしていとこらしき少女の妙に明るい「未来で待ってて。」もなんだか場違いな明るさで今その話いる?
と思ってしまう。
しかし、何か意図があると考えるとこの二人はもう未来に歩き出した人として現実にまだ上手く向き合えていない達也の姿との対比なのでは無いだろうか。

映像記録に残る熱田

地元の住民には馴染み深い熱田まつり(尚武祭)は毎年6月5日に行われるお祭りで夏を告げる風物詩である。
今回のような映像記録に残るのは初の試みらしく地元住民として嬉しい限り。

また、映画内で大きな船に乗せられた無数の提灯が川を流れていくが、一般に堀川祭りと呼ばれるお祭りの風物詩。

達也の同級生が営む居酒屋がある商店街
あった神宮のお膝元に神宮前商店街があるが、さらにその商店街の裏の小道に神宮小路という建物のほとんどが傾いている旧飲み屋街がある。
建物全体の老朽化が進んでおり、ここの姿を見ることができるのもあと数年かもしれない。

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