20170102 実家に帰る

昨日に続き、今日も晴天。おだやかな正月。
朝食は余ったスモークサーモンを切ったものと、昨日もらってきたキャベツを千切りにしたもの。昨日も食べ過ぎたし、今日も食べ過ぎるに違いないので控えめにした。

自分の実家に行く支度をしながらTBSラジオを聞く。伊集院の番組にカミナリが出ていた。笑った。
健康系のラジオCMの症状がいちいち自分にあてはまる。「刺さる」ってこういうことか。特に「痛散湯」の「腰の痛み」バージョンがすごい。

実家には11時に着くように言われていたが、ぐずぐずしているうちに10:30になってしまい、母に電話を入れてから自宅を出た。遅刻だ。
野良猫を眺めに、バス停に行く途中の駐車場に立ち寄る。日当りのよいブロック塀の上でじっとしているのが見えたので、写真を取ろうと近づいたが、気づかれてしまった。近くにいくと、鼻をくんくんと言わせて近寄ってくる。満足な写真がとれない。地面にすとんとおりると、私の足の周りをぐるぐると回って、短く鳴きながらしっぽや尻をすりつけてくる。しばらく触って離れた。

12時に実家到着。トイレ、台所のガスレンジと換気扇などの掃除をした。その間、母は料理の仕上げ。ここ数年、母が首を痛めて以来、掃除をするのがつらいらしいので、私が実家に帰ったときは手のかかる水回りの掃除をするようにしている。
部屋の掃除をしていたら、疎遠になってしまった古い友人がかつてくれた手紙が出てきた。

14時ころ、夫が到着。ついで14:30すぎに兄夫婦と姪が到着。
4月で高校2年生になる姪が私よりも大きくなっていた。まだ身長がのびているらしい。
冬休みの宿題に小論文があり、ボランティアに関して書くという。参考文献の著者名を聞いたがわからない。聞かれてないけど、『災害支援手帖』(荻上チキ・木楽舎)を一応紹介した。

両親、兄夫婦と姪、私と夫、ようやく全員がそろったので、料理を並べる。
母が作ったのは、黒豆、栗きんとん、ごぼうと人参の牛肉巻き、うま煮、牛すじ煮。まぐろの刺身、父用に酢ダコも買ってあった。他には、兄の妻が作ったサーモンのマリネ、だて巻き、彼女の母が作ったローストビーフ。私は昨日と同じで、黒豆、だて巻き、煮豚と味付け卵、サーモンのマリネを持参。一気に食べて、だらだらと寝たりしゃべったりした。
東北の漁師の家に生まれ育った母は、「パパ、昔、タコって赤い物だと思ってたんだって」「酢ダコしか知らなかったんだって」と話す。加熱されたタコを食べるときはこの話を必ず聞かされる。

姪がトランプをもってきたというので、姪、夫、私、母とでババ抜きをやる。私のiPhoneでクラシックをかけながらやっていると、中世ヨーロッパの貴族の遊びのようだ。
トランプにもすぐに飽きた。寝転がり、読みかけの『漂うままに島に着き』(内澤旬子・朝日新聞出版)を読み終わる。
東京にいていいことは、最新の医療につながれること、という点にはほぼ同感。

兄と姪が、近所に住むおばと長男家族の家に挨拶に行った。帰ってきたところで、私がもってきたデザートにした。パイシートにリンゴのスライスを並べて、三温糖、シナモン、バターを散らして焼いたもの。切り分けて、軽くあたためたところにバニラアイスをのせた。好評。

夕飯は、黒豆、牛肉巻き、おばの作ったけんちん汁を少量ずつ食べて終わり。
終わり頃、父が夫に一生懸命話し始めたが、妄想めいた内容が入り込んでいて暗い気持ちになる。父の話を何度か止めようとした母に対してかっとした父が、母を叩いた。それに対して私が衝動的に「叩くなよ」と腕をつかんでしまい、とっさに出た自分のことばの荒さにいやな気持ちが残る。父の老いがつらい。平均寿命を数年前に超え、いよいよ人生の終盤を迎えつつある彼なりの格闘であることもわかるだけに。わかりつつも、父の人生を私があきらめているというのがひどい。

母の作った料理を持ち帰るようにわけてもらい、兄の車で送ってもらう。
車の中では父の話題は出なかった(誰も出さなかった、とも言える)が、ずっと頭を離れなかった。

腰痛がひどく、銭湯に行くことも考えたがさすがに休みとのこと。夫の入れた風呂に入る。明日は正月休み最終日なので、地元の温泉施設に行こうか。

股関節を中心にストレッチをして、寝る前に幻の名盤解放同盟のクラウドファンディングに出資。夫と二人で1万円。プロジェクトの説明文がいい文章だった。無事に行って帰ってきてほしい。

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