2016年11月 「今頃いなかったかもね」

午前中、近所のHクリニックでK医師の診察。大学病院の経過観察とは別に月に一回通い、噛み締めと、舌と歯の接触を緩和するためのマウスピースの調整をしている。舌がんの経過も診てもらっている。口内炎とか心配なことがあれば随時診てもらってきた。
この日もいつも通り、マウスピースの減り具合と噛み合わせを確認したあと、舌のようす、あごと首のリンパに異変がないことを確認。

診察を終えつつあるK医師は「やっと1年だね」と言い、「でもまだまだだよ」とことばを継ぐ。「まだ4年もあることは日々考えていますが・・・」と内心思った。
さらに、「ほんとに早く見つかってよかったよね」「もし手術ができない状態で見つかってたら、notomさんの年齢だったら、そうだなぁ・・・今頃・・・」と言葉を切り、「今頃、いなかったかもね」とカラッとした口調で言う。「いたとしても・・・寝たきりでうんうん言ってただろうね。痛みで。骨に転移すると痛いから」とさらに続ける。医師からすれば想定されることを淡々と話しているだけなのだろうけれど、患者からすると受け止めるにはまだ生々しく強烈なことばが次々とでてきて、固まる。
こういうときに、とっさに異議を申し立てることはとても難しい。
会計を終えてからじわじわと、自分が言われたことばの意味、その恐ろしさを反芻し、体中が重たくなってくる。

発見が遅かったら見舞われていたであろう事態の深刻さは、告知の日から常に考え続けていることだし、今のところそうなっていない自分はたまたま幸運だっただけだったと思っている。1年無事に過ぎ、再発や転移については確率は低いとはいえ、この先もないとは言えないということは日々考えている。次回の経過観察で何か見つかるかもしれないし、来年の自分が元気かなんてわからない。未来の自分についてわからないということは、がんという病気の有無にかかわらずすべての人に言えることだけれど。

午後、夫と合流して外出したけれど、全身がぐったりとしてしまい、出先で少し休憩をとった。今日言われたことをネタに夫と何度も話し、笑ってみる。
夜、会った人達にも話してみたが、まだ生々しすぎて滑稽に話しきれず、微妙な雰囲気にさせてしまった。笑ってほしかったけど。

K医師から投げられたことばにぐったりと疲れ、ダメージを受けたものの、泣くこともなかったし、なんだかんだでその日の予定はきちんとこなせたことに、1年という時間の経過を感じる。フラッシュバックを経験してしばらく調子を崩した3月の自分と比べれば、着実に私は元気になっている。

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