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糯米と餅屋に学んだ、時代と共に生きると言うこと

もち米についてもお伝えしたい、たくさんの事

皆さまこんにちは。
今日は「糯米(もちごめ)で元気をもらった」ことについてお話したいと思います。

米屋が米のソムリエよろしく、
米のスペシャリストであることは過去のnoteにも書いてきました。
実は、米屋にはまだお伝えしていないもう一つの魅力があります。
それは、糯米のスペシャリスト集団(自称)だということです。
「糯米」は「もちごめ」と読みます。
大福やお赤飯の原料となるお米、
あのもっちもちのやつです。

なぜ餅米ではなく、糯米なのか。
それはいわゆる、皆様の口に入る、調理加工されたものが「餅」であり、
お米の状態の場合は、「糯」と表記するのが一般的であるからです。

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石川県は米処で和菓子処

当社米屋がある石川県は、全国でも有数の和菓子処でございます。
四季折々の和菓子を通じて季節を感じることはもとより、祝いの贈答品としても多くの方々に親しまれています。
特に石川県は和菓子との密着度が強いように感じます。

そのため、通称「餅屋さん」と言われる餅菓子をつくる和菓子屋さんが多く存在します。「朝生菓子」と言われる和菓子はその日の朝早くから作られ、順に店頭に並べられます。お店の近所の方が家で食べる用に、来客用の茶菓子用であったり、ちょっとした手土産として買ったり。

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米屋のサラブレットである私も、まだ祖父が存命の頃は、
祖父の家に行けば常に何かしらの和菓子が置いてありました。
「マサミチ、この餅うまいか??」と幼い私に大福を頬張りながら、
いつも笑顔で自慢げに問いかけてくるおじいちゃんの笑顔が脳裏に焼きついています。
そんな祖父の餅菓子に対する思いは、単に糯米を取り扱っているから、
というだけではありませんでした。

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今から50年以上も前の話です。
当時は、和菓子店ばかりが加盟している「組合」という組織がありました。
1店舗だけで原料を購入すると金額的な負担も大きく、
組合としてまとめて原料を購入することで、金銭的な負担を和らげることや安定した原料の確保を目的とした作られた組織です。
そして弊社米屋は、その組合で購入された糯玄米の県内唯一の指定搗精(とうせい=精米の意味)工場だったのです。
その指定精米工場に育てたのが私の祖父でした。
そのため、組合という大きな組織の精米業を引き受けた以上、
絶対に高品質に拘った糯米を届けなければいけないと、日々精米技術を磨くことに専念していたと聞いています。
それだけ糯米にも餅にも思い入れが強かったのです。
ちょうどその技術向上のために取り組みを始めたのが、当社が全てのお米に採用している静電気除電精米(通称:マイナスイオン精米)です。
このマイナスイオン精米については、後日noteで紹介したいと思います。

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そして時代は巡る

やがて、時代の流れと共に組合も組織としての機能が薄れていきました。
人々の生活が豊かになり、ものを手に入れることがそれほど難しくなくなったためです。
そのため、ある時期を境に、皆(当社を含め)組合を通してではなく、直接餅屋さん(和菓子屋さん)とお取引をさせていただくことがメインになり、
我々米屋と和菓子屋さんのお付き合いは、その頃から何十年と今日まで続いているわけです。
本当にありがたいことです。
そして、そのお付き合いを強固なものにするために、糯米の商品を充実させ、糯米の契約栽培への取り組みを始めました。

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改めて糯米と向き合うと言うこと

県内で栽培されるすべての糯米を取り揃え、要望があれば県外で栽培された糯米も積極的に提案させてもらいました。
そして、糯米のオーダーメード。
うるち米(通常のお米)と同様に、糯米もお客様のご要望に合わせてブレンドすることで、和菓子の職人さんの拘りに応えてきました。

先にも触れましたが、当社はまた、
特定の産地だけで作られた糯米を契約栽培という形で商品化もしました。
契約栽培の目的は安定供給だけに限りません。
生産者の方々と餅屋さんをつなぐこと(見える化)で、お互いの信頼関係を強めていただき、その信頼の力が最終的なエンドユーザー様の安心に繋がると思っています。
水田と食卓を結ぶ米問屋の役割のかたちのひとつです。
他の米屋さんにはない、商品のラインナップと精米技術。
生産者と消費者をつなぐ役目に徹してきたおかげで、多くの餅屋さんに支持をいただいている、と自負しています。
そのような経緯から、大変ありがたいことに石川県の糯米といえば「米屋」とまで言ってくださる方もいらっしゃいます。

駄菓子屋・餅屋が地域の交流の場だった

しかしながら、時代の流れと共にお餅を食す習慣や、
餅文化に対する人々の関心に変化がおきはじめました。
食の多様化です。
私が子供のころのお菓子といえば、近所の駄菓子屋さんや餅屋さんによく行ったものでした。そこには、駄菓子だけではなく、大福や餅菓子も置いてあり、よくお使いにもいかされました。
買い物のついでにそのお店のおばあちゃんと何気ない会話をする。
当たり前の風景でした。今ではその駄菓子屋さんがコンビニエンスストアに変わりました。
和菓子に限らず、洋菓子や色々なお菓子が、気軽に買える時代になりました。
しかし、都市部などでは特にですが、コンビニの大量商品需要に対応できるのは大手の菓子メーカーさんだけで、昔から家族経営でなさっている和菓子屋さんの大福がコンビニの棚に並ぶことは難しくもあります。
もちろん、消費者にとってみればとても便利になりましたし、コンビニが増えることは決して悪いことではないと思います。

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ただ、現実、米屋のお得意先である餅屋さんには困ったことになりました。
多くの国内産業同様、
昔に比べればお客様は減ったというお話を最近はよく聞かされます。
また、世帯人口の減少した影響もあり、大きな消費が見込めていたお正月用の餅などの消費は大きく減少しました。
それだけ餅屋さんに足を運ぶお客様が減ったことで、
かつてお店(餅屋)を中心に繰り広げられていた地域の人々のコミュニケーション量も減ってしまったということです。

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「〇〇さんの家では赤ちゃんが生まれたから一升餅準備しんなん(金沢弁)」
「〇〇さんの家のご長男が結婚するから五色生菓子の準備やぁ」
「〇〇さんのあんちゃんは、今度厄年やから厄除けの餅準備しんなんね」


など、
餅を媒介にした、地域住民との様々なコミュニケーションが生活をしていく上では欠かせない大切なことでした。
そのコミュニケーションの機会が減ったことによる影響は、餅の売上の減少だけには止まりません。
人生の節目で大切にされていた(餅を媒介に執り行われていた)日本の文化そのものも減っていくということに繋がります。
やはりそれは非常に寂しく感じてしまいます。
さらには、餅屋さんを継いでくれる後継者がいないという問題など、私の祖父の時代とは随分と様変わりしてしまいました。

昔に比べれば餅屋さんを取り巻く環境も、我々米屋の糯米の売上も大きく変化しました。
それでも日々創意工夫を重ね、餅屋さんは餅屋さんなりに時代の変化に負けないよう色々な取り組みをされています。

時代の流れに順応していく、と言うこと

そんな中、私達も糯米の取り組みに誇りを持ち続けなければいけないと元気をもらったエピソードがございましたので、ご紹介したいと思います。

米屋は石川県を中心に北陸3県の餅屋さんと取引をさせていただいています。
その中で、とある田舎町の餅屋さんへお伺いした時のことです。
自然が豊かで昔の風景が大切に守られている、例えるならばジブリの世界のような町と想像してください。

地元では老舗和菓子店として、今でも地域の方々に愛されています。店主のMさんは、三代目。
3年前に大規模なご自身の店の店舗改装を行いました。
その大きな投資の裏に込められた覚悟は並々ならぬものがあったのです。

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時代の流れによって、餅屋さんを取り巻く環境が変化したのは、Mさんのお店も一緒でした。
餅を食べる人がどんどん減っていき、餅の文化を伝える人もどんどん減っていき、昔のような活気がなくなった
ことに大きな危機感を感じていました。
お店の将来が不安になり、スーパー、百貨店、その他諸々、販路拡大を求めて卸売にも力をいれるなど、試行錯誤されていたと言います。

Mさんは、同業者とのコミュニティーにも積極的に参加し、
情報交換を通して餅作りの技術を磨き上げることや、地元の菓子業を束ねる会の会長を務めるなど常に前向きに事業に取り組んでいました。
そうした試行錯誤をくり返しながら、自分自身の進む道が決まった出来事があったそうです。

とある餅屋さんの運命が決まった話

彼が「地元の農家さん、若手和菓子職人数名とタッグを組み、餅文化の魅力を再認識してもらおうというプロジェクト」に参加された時のことです。

その当時、生産から加工流通を自らが一元的に行う、(所謂SPA事業のようなもの)農産品6次化の取り組みブームで、お米農家さんも米づくりだけにとどまらず、お米をつかった加工品の販売も積極的に取り組み始めていました。

そんな状況を餅屋のMさんは、糯米農家さんご自身が「餅を使った商品作り」をしていることを羨ましがっていました。
Mさん曰く「もち米づくりができて、さらにそれを「餅の商品」にまでできるなんて素晴らしい、最高」だと。

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ただ、その時に一緒にいた糯米農家さんから言われた一言が、
Mさん自身の「餅道」を貫く決心につながったと言います。

糯米農家さんの言葉、餅屋さんの決意

農家さん:
「餅を作れる農家が羨ましいなんて、それは違うよ、Mさん
確かに農家は糯米を作って、こうして餅も作れているけど、
その餅に使う糯米は自分たちが育てたお米だけだ。
でもMさんは、最高に美味しい大福を作るために、世の中の色々な糯米を吟味して、厳選して使うことができる。多くのお客さんが集まる場所を持てる。
それは餅屋にしかできないことじゃないの?

Mさん:「・・・・・。」

Mさんは、その言葉を聞いてもう一度餅屋として何が大切なのかを気付かされたといいます。
町の餅屋としてどうあるべきか。まさに原点回帰でした。

そうしてMさんは以下の4つの「決まり事」をご自身に課したのです。

①地域のお客様がとにかく一番大切だということ。
そして、その地域のお客様と頻繁にコミュニケーションをとること。
特に子どもたちには、餅作りの体験を通じて、餅の美味しさと、餅文化を伝えていくこと。
②素材の美味しさ重視。添加物を使わないで、その日の朝に作った大福はその日に食べてもらうこと。
③自分のお店だけで販売すること。

④餅の原料である糯米とその糯米を作ってくれる農家さんに感謝をすること。

④を実現するために、
Mさんは定期的に近所の方を招いてお餅の試食イベントを行い、
その時は、必ず糯米の農家さんもお招きしています。
農家さんは涙を流して喜ぶと言います。自分たちが作った糯米がみんなの笑顔になっていることに。そのことを感じることが何よりも糯米づくりの励みになると。

そして、私が一番感動したことは、その原点回帰で取り組んでいるすべてのことは、いずれ事業を継いでほしい息子さんのためでもあるということです。
後継者不足で悩んでいる餅屋さんは沢山あります。
そうした現状と課題を素直にみつめ、事業を継いでもらうためにはどうすればいいか。真剣に考え原点回帰をされたMさんの強い決意に心を打たれました。
3年前に将来を模索しながらも、いたずらに販路を拡大する路線も捨てて、
自らの母体でもあるお店の大規模改装に踏み切った決断の裏には、
大切なものを絶対に絶やすことはしないという覚悟があったのです。

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人は誰かのため、
それが大切な人のためであればあるほどなんとかしたい。

その想いを聞いて元気をいただきました。この熱い思いがある限り、
まだまだ餅文化は廃れない、と。
そして、そのような素晴らしい方と一緒にお仕事をさせていただいていることに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

Mさんがつくる看板商品「まめ大福」は絶品です。
作りたての朝一番に食べることをオススメします。
でもすぐ売り切れるのでご注意を。

実は、その大福に使われている糯米は、米屋の糯米だけではありません。
それでいいのです。

もちは餅屋。
米問屋は米問屋。

「それぞれにおかれている役目を果たすこと」

その思いで一緒にお仕事をさせていただいていることが何よりも大切だと感じるからです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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