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寄せ書きが怖くて見れない。

以前の職を退職したときにもらった寄せ書きがある。
もらったのは1年ほど前になるけれど、わたしはいまだにそれを見ていないーーというより、見れない。薄情な人間で申し訳ない。

しかし、最後に貰う寄せ書きというのは、今までの自分の好感度がはっきりと表れているような気がして、怖くて見れないのだ。

『いままでありがとうございました』
『大変だった時助けていただいて嬉しかったです』

などなど、いろんな言葉が書かれているだろう。
言葉だけではない、筆跡などにも書き手の気持ちが表れる。ヨレヨレの字だったら、きっとわたしのことを好きじゃなかったんだな、と思うし、『ありがとうございました』しか書かれていなかったら、それくらいの気持ちしかなかったんだろうな、とわたしは感じてしまう。本当のところはわからないが、わたしはそういうふうに余計な深読みをしてしまうのだ。

だからわたしは寄せ書きが苦手だ。見たとしても、そのごどのように扱ったらいいのかわからないし、飾るにしても目に入るたびに深読みをして気分が落ち込んでしまうのは避けたい。異動や退職でもらう機会がある寄せ書きであるが、みんなどのように扱っているのか、気になる。みんなどのように気持ちの折り合いをつけているのだろう。

わたしは良い社員ではなかった。スタッフとぶつかったことも1度や2度ではないし、わたしのことをよく思っていない人もいるだろう。そういった人のコメントを読むのが怖い。わたしと仲が良かった人でも、ひとことしかコメントが書かれていなかったら、実はわたしのことが嫌いだったのでは?と疑ってしまう。

寄せ書きのコメントを書くのも向き、不向きがあるだろうし、もうなかなか会わない人のコメントを気にしてもどうしようもないのはわかっているのだけれど、わたしの気持ちはどうしても見たくないと叫んでいる。

ーーというわけで、もらった寄せ書きはいまも包まれたまま、わたしの部屋の片隅で眠っている。これが開かれることがあるのだろうか。このままだと、もう数年寝かせたあとに燃えるゴミとして回収されてしまう未来が見える。それはそれで、しっかりとコメントを書いてくれてた人に対しては、非常に申し訳ない。

寄せ書きが入った袋を見るたびに扱いかねて、ほんの少しテンションが下がる。
本当はさっさと開いて見て、もしあまりよくないコメントがあったとしても、忘れてしまうのが良いのだろう。

そういった勇気がわたしにもあれば良いのに。

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