過去から未来へとつづく料理
誕生日のケーキだったり、クリスマスのチキンだったり。誰しもがなにかしら特別な日に食べる「特別な食べもの」というものを持ち合わせている。
ところで、わたしの家の近所には、地域で有名な大きな神社が建っている。普段は閑散としているのだけれど、1月1日からの3日間は、大勢の人が初詣を目当てに集まり、出店が多く立ち並ぶ。
わたしも毎年1月1日は初詣のため、その雑踏の中の一員となる。もちろん今年も例外ではない。寒い中、体を震わせながら行列へと並び、やっと辿り着いた賽銭箱へと五円を投じて、鈴をガラガラと鳴らす。二礼二拍して、お願いごとを心の中で唱え、そして一礼。ずいぶん長い時間並んだ割には、30秒で終わる、恒例の儀式。お詣りも効果があるのか無いのかわからないし、意味あるのかな、なんて思いもするけれど、それでも行うのが年中行事というものなのだろう。
一緒に来ていた両親も、やっと終わった、とも言いたげな疲れた顔をしていたが、突然父が「よし、アレ食べるか!」と声を上げた。母も「そうしようか」なんて言いながら顔を緩ませている。
アレ……。
と言われて、当然わたしもピンと来た。のとはま家には、初詣に来たら、絶対に食べるスペシャルな食べ物があり、それが売っている出店の前へと3人で並ぶ。出店の看板には『じゃがバター』と書かれており、あたりには溶けたバターのいい香りが漂っている。
順番が来たところで店員さんに3個分1500円を払い、家族それぞれが1個ずつ受け取る。出店からちょっと離れたところで、期待に胸を膨らませ、バターが絡んだじゃがいもをひとくち、口へと放り込んだ。
「うまっ!」と、思わず声が出た。側で父も「やっぱコレだよな」なんて言っている。
初詣のために長い行列に並んでいたことなんて、すっかり頭から飛んでいた。さっきまであった並び疲れもどこへやら。ひとくち食べるごとに、身体に温かさと旨みが滲みわかっていくようだ。
なんとなく、初詣後のこの『じゃがバター』はこれからも続いていくだろうな、と感じられた。別段「こうしよう!」なんて決めたわけじゃない、いつ頃からか続いている決まり事なのだけれど、いま1番信じられる未来の出来事だ……。そんなことを考えながら、じゃがいも1個をぺろりと平らげた。気づけば父も完食していて、母も3/4を食べている。
「もう1個いくか」と父が言い、わたしが「うん」とうなずく。
過去から未来へと確実に続くことを信じられる、『じゃがバター』はわたしにとってそんな食べ物だ。ただじゃがいもにバターを乗せただけの料理なのにね。
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