紅茶はスペシャルドリンク

いつ頃からコーヒーが飲めるようになったんだろう。

子どもの頃はもちろん飲めなかった。おそらく大多数の人がそうだろう。両親が飲んでいるのを羨ましそうに眺め、「ぼくにも一口ちょうだい」「苦いよ、飲めるの?」「うん!」なんてやりとりをしたあとに、ごくり。「うげー」と、苦味よどこかへ飛んでいってくれとばかりに大きく口を開けた。そんな思い出がある。

それがいつの間にか、コーヒーを美味しくいただけるようになっている。

中学、高校の頃には飲んでいなかった。大学生の時もまったく飲んだ覚えがない。あるのは、社会人になってから。次々とやってくる業務に追われながら、自分を奮い立たせるように、ごくり。また、日々の隙間に訪れる休日に、カフェでまったりと読書をしながら、ごくり。

仕事中だったり、休日だったり、コーヒーを飲むシチュエーションは対照的だけれど、なんとなく思い返してみると、溜まっているストレスを洗いがなすかのように、コーヒーを飲んでいる自分が思い起こされる。コーヒーとは、私にとって、ストレスに対する薬のような位置付けなのかもしれない。そういえば、仕事が忙しくなると自然とコーヒーの量も増えていたっけ。

そんな私だけれど、最近は紅茶をよく飲むようになった。

こちらも同じく、若い頃は飲んだ覚えがなく、大人になってから飲めるようになった飲み物だ。でもこちらは、仕事の忙しさとは関係なく、ストレスが溜まっている時に飲みたくなったりするわけではない。飲み始めたのも30歳を過ぎてから。そのころ私はすでにバリバリ社会人をやっている。

でも、なんとなく。
紅茶は、コーヒーとは違って、ストレスが溜まっているときには、むしろ飲みたくない、というふうに感じる。思い返せば、実家に帰って転職をし、ストレスが減ってから飲むようになった。カフェで本を読みながら、またはこうして文章を書きながら、くぴりくぴりと飲んでいく。家では飲まず、飲むのは決まって外食のとき。シチュエーションはコーヒーのときとよく似ているけれど、心にのしかかっている負荷の重さが、コーヒーのときとは明確に違う。紅茶は私にとって、ストレスがないときにのみ飲める、スペシャルドリンクなのかもしれない。

いまカフェでレモンティーを飲みながらこれを書いている。
できることなら、こうしてストレスを感じずに、ゆるゆるとした日々が過ごせればいいな、と心から思う。

でも、そうしたらコーヒーとは疎遠になってしまうのだろうか。
コーヒーの味も好きなだけに、それはそれでさみしい気もするなあ。

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