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藤本タツキ「さよなら絵梨」を読んで

みなさま、「チェンソーマン」「ファイアパンチ」の藤本タツキ先生の新作読み切り
マンガ「さよなら絵梨」は読みましたでしょうか。
わたしは、起きてすぐ読みました。

この記事は「さよなら絵梨」についての感想、考察記事です。
ネタバレが多く含まれますので、作品を読んでから見ることをオススメします。

◆藤本タツキ先生について

まず、藤本タツキ先生ですが、
秋田県にかほ市出身、1992年10月10日生まれの漫画家。(Wiki参照)
代表作としては、2018年から2020年まで「週刊少年ジャンプ」で連載されていた「チェンソーマン」が有名ですね。

ほか、「少年ジャンプ+」にて2021年に公開された長編読み切り「ルックバック」が、宝島社発行のムック「このマンガがすごい!2022」において、オトコ編1位に選出されるなどしており、いま大注目の漫画家です。

その藤本タツキ先生が、このたび2022年4月11日に、「少年ジャンプ+」にて発表したのが、表題作の長編読み切り「さよなら絵梨」です。

◆「さよなら絵梨」について

まず、あらすじとしては、大まかに言えば
「さよなら絵梨」は、『主人公が絵梨という女の子と出会い、その子に創作について教わりながら二人で映画を撮っていく話』である。

この絵梨という子が非常に魅力的で、主人公が撮った映画を唯一褒めてくれて、さらには主人公に創作論を教え込んだ上で、また映画を撮るよう促すんですね。

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①起
誕生日に買ってもらったスマホを使って、病気ながらも優しく美しい母親を撮り、それを1本の映画としてまとめる主人公。しかしその映画の最後は爆発オチになっており、「病死した母親の気持ちを考えていない」「クソ映画」として、観た人に馬鹿にされてしまう。

②承
自殺しようしたところで絵梨と出会い、無理矢理何本もの映画を見せられる。それは、主人公に映画を通して創作を知ってもらうこと、さらにはもう一度映画を撮らせようという絵梨の試みだった。主人公の映画を「面白かった」という絵梨に心打たれ、主人公はもう一度映画を撮ることを決心する。

③転
絵梨と、たくさんの映画とともに日常が過ぎていく。その中で主人公は、今度の題材は絵梨にすることを思いつく。しかし実は絵梨も病を抱えており、母親と状況が重なる。そんななか、主人公がどうしても撮れなかった「母親の最期の瞬間のビデオ」を父親に見せられ、その母親の愛のない様子から、実は1本目の映画は、母の暴力的なプロデュースのもとで撮られたことが示される。

それでも絵梨との撮影は続き、その最中に絵梨は亡くなり、2本目の映画が上映される。そこで今度は観客を感動させることに、主人公は成功するのだった。
しかし、映画の中では美しく優しく表現されていた絵梨も、実は裏では傍若無人だったことが示される。が、その友人から美化された絵梨を撮ってくれたことを感謝される。

「わたし、これからもあの絵梨を思い出す。ありがとう。」

④結
歳月は流れ、主人公は大人になった。そんななか、父と妻と子を事故でいっぺんに亡くしてしまう。
再度自殺しようとする主人公。思い出の場所で死のうと、絵梨と映画を観た廃墟へ行くと、死んだはずの絵梨がそこにいた。そこで絵梨は、実は吸血鬼だったと主人公に伝え、何度も死んでは生き返って、を繰り返していることが発覚する。その度に記憶を無くしていたが、今度は主人公が撮ってくれた自分の映画があることに感謝するのだった。
「見るたびに貴方に会える…。私が何度貴方を忘れても、何度でもまた思い出す。それって素敵な事じゃない?」

その後、別れる絵梨と主人公。しかし、主人公が後にした廃墟が盛大に爆発する。
まるで1作目の「クソ映画」ラストシーンのように……。

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以上、作中で絵梨が言っていたハリウッド式創作論のように、作品を一言で説明した上で、起承転結に分解してみました。

こうしてみると、タツキ先生も起承転結を意識して描かれていることがわかります。
「起」で主人公を落とした上で、「承」で絵梨と出会ってストーリーに乗せ、
「転」で、実は……とひっくり返し、「結」でまとめています。

しかし、やはり読んで人みんなが驚くのはラストシーンの爆発でしょう。
正直、わたしもかなり驚きました。
「なに考えてるの!?」と。

絵梨と話して「良い話でした」とまとめることも出来る流れだったのに、唐突に爆発しているんです。さらに言えば、絵里が唐突に生き返るのも、かなり驚きです。ここでも「どうした!?」と思いました。

でもいまこうやって冷静になって考えてみれば、こういうのをタツキ先生は狙ってやっているのでしょう。

言ってしまえば、観客を混乱させて作品に夢中にさせて行くのです。しっかりとしたストーリーで引っ張った上で、どんでん返しをすれば、読者はみんな良かれ悪かれ作品に惹きつけられてしまうのです。そのバランス感覚はタツキ先生の作品には「ファイアパンチ」にも「チェンソーマン」にも「ルックバック」にもありました。これがタツキ先生のスタイルなのでしょう。

しかし、わたしは、今回はそれをさらに上手くやっているとはっきり感じました。

「さよなら絵梨」を読んでいただければわかるのですが、この作品にはいくつもの転換点があります。その中で、「絵梨の病発覚」や「絵梨の吸血鬼発覚」以上に、地味ながら大きな転換が二つあります。

「母が実は暴力的だった」「絵梨は実は傍若無人だった」

これは、映画の“編集”で削ぎ落とされてたり、カメラの外で起こっていたことです。
これを「実は…」とやることで、「何か裏があるのでは」「カメラの外では何が起こっているんだ?」と揺さぶります。
ただでさえ、この作品は映画の画面的なコマ割りが適応され、ずっと画面と向き合っている気にさせてくるのです。このカメラ外のことを描写することで、何が本当のことかわからなくなってくるのです。作品の中で作品をやるという、作中作の入れ子構造になっているのですが、カメラが外から内へ向かうのではなく、内から外へと広がっていくので、どこまでがカメラの中でのことなのか、わからなくなってしまうのです。

だからこそのラストシーンだと、わたしは感じました。

爆発は、日常ではめったにおきませんが、映画や漫画の世界では頻繁に起きるものであり、言ってしまえば、映画や漫画の証とも言えます。
つまり、最後に爆発させることで、「実はこれも映画でした!」と読者に向かって示しているのではないでしょうか。
こういう悪ふざけ感が実に藤本タツキ的だと感じます。

しかし、マンガの受け取り方は人それぞれであることも間違いありません。
何が本当なのでしょう?どこまでが現実で、どこまでが作品なのでしょう?
そういったことを考えさせることこそが、この作品の狙いであり、面白みの中核だとわたしは思います。

◆藤本タツキ先生のツイッターアカウント?!

と、いうところまで書いて、「藤本タツキ先生の面白すぎるツイッターアカウントを知らない人もいるのでは?」と思いましたので、これを書いてます。

こちらが藤本タツキ先生のツイッターアカウントなのですが、
「タツキ先生ご本人が」藤本タツキの妹として運用しているのです。

意味がわからないと思いますが、もう10年近く運用されていて、その歴史は漫画家デビューよりも前にアカウント開設されています。

以前は「チェンソーマン」1話の試し読みを投稿されていたり、日頃のことを(小学3年生の女子的口調で)投稿されていますので、なんというか、、、おすすめです。

チェンソーマン第2部が2022年初夏より連載予定とのことですので、そのこちらも試し読み等されるかもしれませんね。


                                    おわり

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