今更(2022/8月傑作選)

遠のいってた君に振り向いてって言えるかな、今更

・私が書いている雑記が7/30で1周年を迎えるので、去年の今頃の雑記を振り返る回。全部ではなく良いと思ったヤツだけ抜粋して。前にもやったけど改めて。あとふせったーかTwitterがいつ終わるか分からないからね。それとあまりにも鬱々としたヤツとか、今とちょっと思想が違うかなと言うのは省いてる。

・フォロワー限定な気がするけど、全部見たい人はこちらから。

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私たちの人生は6ビットにすら満たない(7/30の雑記)

今日は全体的に落ち着いてた。歳を取ったのに。
思うのだけど、人の脳をデータ容量で計算する事ができるってとても凄いと思う。魂のグラムは悠然とした都市伝説だが、これは明確に指標がある。人の魂は定義できないが、脳が電子的に定義できるのなら、やはりLainで玲音が自分の全てをインターネットに移し記憶されそこで生きて干渉できるようになったように、我々も老いや仕事などに追われず、記憶を媒介して電子に生きられるようになると思う。その電子群を誰が管理するのかとか、エラーが起きたらどうするかは置いといて。人が肉体に縛られず生きられるようになるのは、解放だと思う。
しかし、肉体が無いと言う事は我々を害から守る物が無いのだ。全てが100%伝わる。それの恐怖性を肉体を持つ私たちは想像する事しか出来ない。
もし、幽霊が帯電微粒子帯であるのなら、人は死なないと完成しない事になる。なんとも難しい。

水着マックイーンが出た〜。世間ではゴルマクが溢れてる。これは厄介オタクの発言なんですが、公式でカプ要素を強く打ち出しのはちょっと引く。これはウマウマでもウマトレでも変わらない。公式が同人みたいに強く暴れ出すと、バランスが狂うと思う。私の言うバランスは結構曖昧なのだが、公式がそのように描くと他のカップリングの創作が下火になったり、細やかな不満や衝突が起きたり。そう言う物が起きてしまうと思う。描くなと言う訳でなく、強火になり過ぎない方が良いと思う。難しい匙加減だけど。
でもオタクも悪いよ。安易にネタを擦るから。
お前らはファインモーションやシンボリルドルフをなんだと思ってんだ!!!!!! セイウンスカイやタマモクロスを!!!!!! なぁ!!!!!!! おい!!!!!

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meta-reference(7/31の雑記)

私はフォロワーの事を好きで幸せになって欲しいと言ってるが、これはガチである。と言うか、世界中の人間の幸せになって欲しい。バランスだ。その為なら多少の犠牲や改革があってもいいと思う。しかし、これは選別にあたる。選別が苦手と言いつつ選別を厭わない矛盾を抱えてる事になる。良くない。正しいと思うなら選別をしていいのか、と言うと違うのだ。
人は自分を正しいと思わない方が良い。それは、狂人への一歩だ。

自分が死ぬ時があれば知り合いも話す相手もフォロワーも居なくなって真に孤独になったと感じた時だろう。遅かれ早かれそれは来ると思ってる。私は毎日抵抗してるが。でも、そうなったら死んで無になって空気に帰るしかない。風に乗って旅をしよう。

私はてぇてぇって言葉を異様に嫌ってる。ハッキリ言って言葉が殺されたと思ってるから。元々尊いって言うオタクスラングがあって、それがvtuberの配信とかでチャットする時省略しててぇてぇになってそれが定着したのだが……は? キショ過ぎだろ!!!!!!!! 殺すぞ!!!!! こんな消費をするだけのニチャって女同士の絡みを喜ぶ無惨な画一された食用動物が同士で馴れ合う為に言葉は存在するんじゃあない!!!!! アグネスデジタルがちゃんと「尊い……!」って言うキャラであって良かった。じゃなかったらもう俺は狂って頭を打ち続け電子機器持ち込み不可の管理病棟に送られてた。
てぇてぇって言葉に意味はなさない。あるけど、無いのだ……。

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最上階に君が存在する(8/1の雑記)

人と人が離れる時、どちらから離れるのだろうと思うが、私は両方だと思う。お互いが磁石だとするのなら、徐々に性質が変わってゆっくりと反発し行く。気がついたらもうくっつかないのだ。変わって、新しい人を探すのか、何とかして仲を取り戻すのか。どっちにせよ大変ですねー。交友関係を広げたいとは思ってるのだけど、上手くいかない。ネットですら内向的だし、他人がどう思ってるか分からない。文に抑揚は無いから読み取れやしない。感情も。怖すぎ。これを見てるアナタが私をどう思ってるか考えるだけで、一日は簡単に潰せるほどに悩める。

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六本木のバーから来ましたBlack Cat⭐︎(8/5の雑記)

これは多分世間から見たら私が変なのだが、私は性別など人に有ってはいけないのだと常々思っていて、男性である事のバランスを取っている。それで、どうとでも取れるようにすれば、やがて半々の存在になれるかもしれない。中途半端と言えば、そうなのだが。ウルトラマンシリーズの作品の一つにウルトラマンA(エース)と言うのがあるのだが、その主役のエースのデザインモチーフの一つの男性でも女性でも無い完璧な存在と意図がある。これ、ヤバすぎる。我々は光の巨人では無いが、人々を守り優しさを信じる彼が全てを超越した完成した見た目をしている。これこそ、完成された生き物だろうと思う。私は、彼のようになりたい。誰にも優しく、信じ、完成された人になりたい……。

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やがて宇宙《そら》を包む(8/7の雑記)


世の中にはえっちと言う本能に訴えうる感情を書ける人間が少ないと思ってる。おい!! 渋とかの成人向け二次創作を読んだり見たりしてみろ!! 安易な上辺だけな肉欲と性欲をなぞった作品ばかりだ……。私はこれを本気で不味いと思ってる。世の中、分かり易い方向ばかりに人が進み過ぎてると前に書いたが、それがここにも現れている。元々文字を書き創作をすると言うのは遥か昔まで辿れるし、近代の文字書き文化は大正から明治あたりにおおよそ雛形ができたと言っていい。小説がバカの娯楽と馬鹿にされた時代、それと戦ってきた人たちが居る以上、文字が広げる世界は深く、広く、多様に面白くあるべきだと思う。別にそれらの作品が無い方が良いと言う訳ではなく、バランスがあまりにも悪過ぎるのだ。作品たちの。これではやがて私のような人たちが後にも先にも気遅れてしまうのでないか。それで創作の幅が固定化されるのは嫌だ。もっと多様な作品があって欲しい。もう一度えっちは何か、いや、えっちと言う形が様々なモノであると言う事に気づかなきゃ人はいけない。

自分で書いててまとめてコイツ何言ってんだ……。ってなってきた。いや、本気何ですけど力を持たない一個人には身に有り余る思想な気がする。と言うかそうだけど。でも、だからと言って諦めて発信しないのは違うよな……とも思う。そもそもこれ書いててまた不安になってきた。感情がジェットコースターだ。

明確に知らない幽霊に感情のスイッチを入れられる感覚がする時がある。怖い。

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パスワードには大文字小文字と記号を入れよう!(8/11の雑記)

ここ数年ぐらいずっと思ってるんだけど、都市伝説と言う概念は時代に殺されたなと思っていて、最近アノニマス・コードが発売されてまた強く感じた。広くから言えば怪談の“きさらぎ駅”や“八尺様”……実在的なので言えば“ニューワールドオーダー”とか。私は昔からそう言うのが好きなのだが、2015年ぐらいからどんどんそう言うのが好きと言い辛くなったり公にネタにし難い空気になったりしてる。私は空想や創作の幅で楽しんでいたのに金を巻き上げたいだけの欲にまみれたアノニマスが迷える人たちを狂わし何かを壊していく。“Qアノン”の実態がどうであれ、実際に商売や売名道具に使われてしまった時点で都市伝説と言う概念は死んだのだ。それは噂でも与太話でも無くなり、人を殺す立場を害める武器になってしまった……。なんて嘆かわしい。別に、Qアノンだけじゃないのさ。八尺様だって素の怪異である、怖いモノであると言う軸は取られてオタクたちのオナペットになる。これだって殺人の一種なんだよ。元あった、それを楽しんでいた人がいた事を人は忘れてるのか知らないのか。物事と言うのは時間と人々によって変わっていくのだが、それで絶望したり割りを食う人がいると言うことは自覚しなくてはいけない。今、私が創作のネタや暇つぶしとしてテスラコイルの世界システムが〜とか、cicada3301の正体は〜とか、言ったとして得られる反応はオカ板に行けとかそう言う優しいモンじゃあない。話題に乗ってくれる人は居ない。陰謀論に惑わされてるバカとか、地球を平面だと思ってそうwとか、アルミホイル巻いてそうとか上辺の偏見や差別性、考えることを放棄した人たちに良くないモノと一緒くたにされて終わる。
そもそも今のインターネットが余裕と言うモノを削ぎ落としてしまっているのが問題の一つでもあるのだが。今の時代に猿夢やコトリバコは生まれないし、イルミナティカードの模倣は燃やされ、ヒトラーは黒魔術を行使できない。

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昏いゲームの中、目隠しされてたんだ(8/12の雑記)

確か、R.D.レインの「我が半生」か「生の事実」の後書きで訳者がレインの毒が人に必要とされなくなるべき時代が来るべきだと言っていたのを思い出した。R.D.レインが誰かと言うと、昔存在した精神科医で、反精神医学を提唱した人として有名だ。彼は多くの資材を投げ打って患者との共同生活を設けて生活に根ざした治療を行なっていた。最も、彼自体がソレに飲まれたか晩年は精神病患者みたいになってしまったと言うが。まあそんな人間。いくつか本を残しており、それが前述の「我が半生」とか「生の事実」とか。詩集も二冊出している。それらの本は決して少なくない影響を与えており、庵野秀明監督アニメの「新世紀エヴァンゲリオン」や戸川純の楽曲「好き好き大好き」、プレステのゲームである「lain」とか色々。サブカル的コンテンツは影響を受けてる事が多い(今はもう殆ど無いけど)
そんなレインの思想や言葉が後書きであったように毒と言えば、そうなのだ。理解できない人から見たら怖いし病的であるし、理解できてしまう人にはあまりにも優しすぎる。それらを俯瞰的に受け取るのは難しく、大なり小なり何かを与える。何か、歪んでしまう。そしてその毒が適してしまう理解できてしまう人が居るという事は、世界はまだ歪んでしまっている。病んだ人が産まれる環境が発生してしまう。レインの表現や言葉が残り受け継がれる事は大事だが、それが治療薬や逃避として存在してはいけないんだろう。ごめん、これも上手く言えてる自信が無いない。詳しく聞きたいこととかあったら気軽に質問とか通話で問いかけてくれ。
他者を認める事の難しさ、病との戦いはあまりにも難しいのだが、それを出来る様に頑張る事すらしないのは諦めだろう。一人一人が誰かを認める事が、毒が薬として要らなくなる一歩なのだろうと私は思う。

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アレンジは自在/適応型(8/16の雑記)

富野の発言でかなりインパクトかつセンシティブなモノの一つに、「今の女性キャラクターにはxxxxを舐めたくなるようなキャラクターがいない」ってのがある。初めてこの発言を知った時私はちょいと引いたが、今思うとなんとなくキレたくなるのも分かる。キレイなだけ、上辺の属性やシチュエーションを書いただけじゃそれはテクスチャーで血が通ってないんだろうな。中身も無い。もっと考えて、嫌な所とかこの場合こうするとか、ああするとか、自分の中でこれはこうだ! あれはああだ! こうすれば魅力的だ! とそうやって捏ねくり回して丁寧に書いてこそ、初めて本当にえっちになるのだろうな。テンプレ的じゃ1回見ただけで飽きてしまうから……。なんて難しいんだ。

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恐いか? “新時代”が……(8/23の雑記)

私はエアプと言うモノが割と嫌いで、理由としては2016〜2017年の当時、遊戯王ARC-Vと鉄血のオルフェンズをリアルタイムで私は見てたんですが(遊戯王とガンダムが好きなので)内容がクソ過ぎて見てない奴らにも広まった結果、見てもいないのにネタにする奴が爆増してくっっっっっっそムカついたからです。確かに当時私もクソなストーリーだなと思ったけどちゃんと全話、毎週見て、用事がある時はちゃんと録画して見返して、その上で評価してるのに見もしねぇカス共は単芝を気楽に生やしながら罵倒する。ネタにする。おかしいだろ。ファンでもねぇ奴が口を出すな。浅瀬チャプチャプしてるだけなら一生そこでつまんねぇカス同士で連んでくたばっとけと……まあとにかく嫌なワケでした。思えば私のオタク嫌いの理由はここから来てるのかもしれません。それが色々煮詰まって出来たのが今の哀しき化け物と思うと、辛いですね……。

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“ふっかつ の じゅもん が ちがいます!”(8/28の雑記)

今月のニュートン(有名な科学雑誌)真面目に人口問題特集してて面白かったな。毎月ニュートンを読むサイクルを最近再構築できたので読んでるんですが、文系の人間でも分かりやすく面白いのでオススメです。たまに別冊ニュートンも出て宇宙の話してる。他にもムーとファミ通を毎回購読してます。最近だと優駿も。意外とムーを読んでいる人間って少なく、私の周りでは観測した事が無い。大体奇怪な目で見られる。なんでだよ。半分過ぎたぐらいから占いのページが挟まってその後はなんか寂しい雰囲気の商店街みたいにネタがまばらに散っている雑誌を……。
ニュートンとムーを読み始めたのは中学生ぐらいの時からです。きっかけは「Steins;gate」にどハマりした事から……。見事なオタクムーヴですね。相対性理論とかもその時勉強してました。もう忘れましたが、経験としては良かったな。そうやって視野を広げる事が如何に大事か! 人は知る事を忘れたら死んでしまうんだ……。老いる事は知る事を忘れて何も知らなくなり、忘れる事しかできなくなる時だと思っているんですが、私はそれを極端に怯えています。物理的に死ぬより嫌だ。だって本当に生きてる必要が無くなる! 知能がある生き物としての敗北を感じる

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今の僕たちにロックマン2をクリアできない(8/28の雑記)

今のゲームは親切になり過ぎと言う意見が多々あるが、私は別にそれが悪いとは思わない。時代流れと言うモノがあるからだ。コンテンツ飽和の時代で、更には誰もが発信できる環境にあるのだから。たまに思い出したように昔のゲームをやるが、まあまず操作に慣れるところから始まる。初代スーパーマリオブラザーズにはやった事あるなら分かると思うが妙な慣性と滑りがあり、昔プレイした時はなんとも思わなかったが今やると癖が強い! ってなる。悪魔城ドラキュラとか酷く、右移動しながらのジャンプができない! 流石に子供の頃でもこれは酷いと思ったがそれでも最後までプレイするまで慣れた。今は多分ストレスのが先に来る。魔界村とかもだりぃよ〜〜。昔のゲームには昔の良さがあるが、今の時代のゲームは昔と言う土台があるからよっぽどが無い限りもう今のゲームのが楽しいし遊びやすい、気軽! KOTY受賞作品が無くなる時代の方が(奇人にとっては寂しいが)勿論良いのだ。昔のまんまで終わらず、進んでいる証にもなるのだから。

ゲームとして下限を知っていると大体の事にストレス無く過ごせる。これは映画も漫画も小説もなんでも共通する。私は映画の下限として死霊の盆踊りがあるからほぼ全ての作品に対して面白味を感じれる。無から興味を引き出す遊びを否が応でも覚えてるから。しかし、アニメやゲームだと明確な下限になる軸が無い。私が浅いと言うのもあるのだけど、日本のその手のカルチャーが割と恵まれているのもあると思う。言うなら私は艦これみたいにストレスのかかる運ゲー要素が強く無ければなんでもいい。艦これも悪いが全く悪いとは思ってない。結構色々なモノを出来る限り楽しもうとする姿勢を無理にでも取ろうとしているから。
しかし一度快適さを知ったら後には戻れない。今、艦これを始めたら恐らく胃に穴が開くだろう。悪魔城ドラキュラやロックマン(無印)を新作として出されたら爆速で積む。小さい頃にファミコンとかの世代前のコンテンツに触れられて居たのは本当に幸運で、当時の新しいゲームばっかに触れていたらレゲーの事を知らずに生きていただろう。知らないよりは知っていた方がいつか面白味に繋がるのだから。

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シェイクスピアも感じた孤独が(8/31の雑記)


これは身内の会話で言ったことがあるんですが、今の世の中は今だからこそ昔あった電波やそれに付随する生き方を取り扱った作品が出るべきだと思っている。さよならを教えてみたいな。アレはやり過ぎだけど。もっと近く言うなら天使のいない12月とかだけど、アレはアレでちょっと違う。もっとワイド・スクリーン・バロックで、アバンギャルドで、かっこぶった哲学があって、それでいて生きる事や人との関わりを描くような。そう言った作品が要ると真剣に思ってる。今の時代はあまりにも擦れてしまったし、これからはもっとヤバくなるだろうし。このままじゃ。だから、自分の在り方や過ごし方を思うような、隣人(これは知り合いや職場、学校の関わりがある人。Twitterの仲の良いフォロワーとかを指す)について考える“きっかけ”になる作品が必要だと思う。そうして、少しでもそう言う人が増えれば、人は生きやすくなって、誰かに優しくなれるかもしれないと思っている。
例に挙げた作品はエロ描写とか成人向けゲームだからあるけど、別に成人向けゲームとかである必要は無いし、ゲームである必要は無い。人に考えさせる事ができれば作品である必要も無い。ただまあ作品であった方が敷居は下がるだろうから。
力も名声も無い人間が何言ってんだと思うかもしれないけど、私はそう言う軸を持っている事は残しておこう。

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・以上、約7300文字。
この頃は毎日1000文字前後書いてて本当にすごい。今より思想や考えを出し切ってなかったから書く事が多かったのと、鬱がそれなりに悪化してた時期だったからと思う。マジでコイツ暗すぎだろ……ってのがいくつかあった。でも去年は一昨年よりはマシで、一昨年は……となんだかんだ年々改善はしている気がする。

・取り敢えずこの傑作選はnoteに移行する前の10月末の分までやろうと思う。と言っても、進めば進む程あまり良いのもないだろうけど。

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