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アーカイブ:2000-2009年

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2000-2009年のあいだに、せんだいメディアテークの企画に関するものや各種媒体(新聞や小冊子など)に寄稿した文章。
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#映画

「retake-とらえなおされる日常-」コンセプト・ノート

これは、2002年にせんだいメディアテークで開催した「retake-とらえなおされる日常-」を企画するときのメモである。開館2年目の最初の企画で、展覧会・上映会・ワークショップを組み合わせたものであった。私は全体のコンセプトと、展示作家の一部、上映企画、ワークショップの基本的なアイディアを担当した。20年も経った今読むと「SNSがない時代」を実感する。 ところで、当時の分担からしても私がギャラリーの企画に関わることは想定外であった。このまま展覧会の仕事もコンスタントにしていた

「ヤマガタ」の名とともに映画は世界をめぐる

2006年に山形国際ドキュメンタリー映画祭がNPO法人化するにあたり、山形新聞が組んだ特集に寄稿したものである。この映画祭は、学校を卒業してすぐにせんだいメディアテークの仕事に就き、専門でもないのに上映会を企画しなくてはならなくなった私にとって、映画の先生の一人であったので、山形市が映画祭をNPO法人化すると決めたことへの批判を込めたつもりだった。 初出:山形新聞(2006年4月) 山形市の隣、仙台市にあるせんだいメディアテークでは、開館以来、山形国際ドキュメンタリー映画祭

キャメラのむこうにある<リアル>

せんだいメディアテークで2002年に企画した上映会「キャメラのむこうにある<リアル>」の企画を考えているときに構想メモとして書き、上映会当日の配付資料に掲載したものである。当日は故・佐藤真監督も来館されお話しいただいた。その記録映像は現在メディアテークのライブラリーで見ることができる。それを見直しながらこのテキストのことを思い出したのだが、若さと無知はおそろしいもので、佐藤監督を前によくもこんなことを書いたものだと20年経って震え上がっている。 初出:『キャメラのむこうにある

プチブルのひそかなたのしみ-凝視できない隣人を凝視するためのワイズマン-

この短い文章は、2002年5月30日付けのテキストファイルというだけで、何のために書いたのか思い出せない(思い出したら追記する)。しかし、当時せんだいメディアテークで企画した『映画への不実なる誘い』の打ち合わせか何かでお茶をご一緒しているとき、その講師である蓮實重彦氏からふと「あれ面白かったですよ」と言われたことだけは憶えているので、どこかに載ったものであることは間違いない。そして、たとえそれが社会人3年目になったばかり、映画をろくに知りもしないままの若造へのリップサービスだ

イレネオのために映画を

『ショートピース!仙台短篇映画祭2003』(2003年10月11-13日/せんだいメディアテーク)のために書いた文章である。初出:『ショートピース!仙台短篇映画祭2003 パンフレット』(2003年) 映画のはじまりは短篇であった。 それを単なる発明というより発見されるべきものとしてこの世に送り出したリュミエール兄弟が作った映画のなかでも、最も古いもののひとつに『工場の出口』という作品がある。文字通り工場の出口から次々と人が出てくる様子を撮影したもので、いくつかのヴァリエ